第18話 異端審問の召喚状
「教会権威の毀損。次期聖女候補への妨害工作。そして、虚偽の祈りの流布」
王都から届いた分厚い羊皮紙の封書を破り、そこに記された罪状を一つ一つ読み上げるカイ様の声が、重く冷たく執務室に響いた。
それは、中央教会が私という小さな存在を、異端審問という絶対的な力で完全に潰しにかかってきたという、明確な反撃の合図だった。
「……異端審問、ですか」
私は、血のような赤色の蝋印が押された召喚状の端を見つめながら、乾いた喉からどうにか声を絞り出した。
異端審問。
それは、教会に逆らう者や教義に反する者を裁くための、最も恐ろしい公開裁判だ。
そこで異端と認定されれば、聖女としての資格を剥奪されるどころか、最悪の場合、命すら奪われかねない。
「グラン司祭の横領、ヴィクトル司教の優先券、そして今回の偽聖女の演出。次々と己の手足を帳簿で切り落とされ、中央もついに本腰を入れてあなたの口を塞ぎに来たというわけです」
カイ様は、召喚状を机の上に放り投げ、険しい表情で腕を組んだ。
「罪状はどれも言いがかりに等しいが、相手は教会法の元締めです。王都へ出向けば、不利な盤面で戦うことになる。証人は買収され、有利な証拠は握り潰されるでしょう」
「でも……」
私はギュッと両手を握りしめ、言葉を継いだ。
「王都には、まだ祈っている人たちがいます。治癒院の冷たい床で、順番を待たされている母親や、痛みに苦しむ子供たちが」
あの広場で出会った、熱にうなされる子供を抱えて泣くこともできなかった母親。
そして、今もどこかで、金貨の重さで命の価値を決められ、助けを求めて祈っている人々。
「私がここで逃げたら、彼らの祈りは、本当に誰にも届かなくなってしまいます。……それに」
私は、窓の外の雪景色へと視線を向けた。
あの日、大司教様は私に言った。
『あなたの祈りが、誰にも届かない場所へ行きなさい』と。
「大司教様は、祈りの残響を聞く私を疎ましく思って、この辺境へ追放しました。でも、私はもう、祈るだけの無能な聖女ではありません」
私は再びカイ様へと向き直り、真っ直ぐにその灰色の瞳を見つめ返した。
「私には、聞き届けた祈りを、確かな証拠へと繋げてくださるカイ様がいます。だから、私は逃げません」
相手がどれほど強大であろうと、偽りの権威で武装していようと。
奪われたものを返してもらうために、私は王都へ戻らなければならない。
たとえそれが、最初から勝てない盤面での戦いになるとしても。
私の言葉に、カイ様は少しだけ目を伏せ、深々とため息をついた。
「……相変わらず、理屈の通じない人だ」
彼はそう言って、机の上の召喚状を乱暴に引き寄せた。
「あの魔窟に自ら飛び込もうというのですから。監査官としては、到底賛同できる判断ではありません」
「カイ様……」
「ですが」
カイ様は顔を上げ、氷のように冷たく、しかし、いかなる強敵にも決して怯まない強靭な意志を宿した瞳で私を見た。
「あなたがそこへ行くと言うのなら、逃げ道は私が作ります」
その言葉は、ただの励ましでも、気休めでもない。
彼がこれまでの戦いで示してきた、確かな『証拠と制度』という力に裏打ちされた、彼なりの不器用で絶対的な守りの約束だった。
この辺境で、私が彼に背中を預けてきたように。彼もまた、私の理屈に合わない無謀な決意を、その有能さで支えようとしてくれているのだ。
「ありがとうございます。でも……」
私は、彼の言葉に甘えるだけではなく、私自身の願いを言葉にした。
「逃げ道だけではなく……戻る道も、お願いします」
ただ彼に守られて逃げ帰るのではなく、不正を暴き、誰かの祈りを救った上で、二人でこの辺境へ帰ってきたい。
私は、共に進むための覚悟を込めて、そう告げた。
私の言葉に、カイ様は少しだけ目を丸くした後、かすかに、本当に微かにだが、口角を上げたように見えた。
「……承知しました。では、準備を始めましょう」
私たちは顔を見合わせ、静かに頷き合った。
守る者と守られる者という関係ではない。
祈りを聞く者と、それを証拠に変える者。
互いに欠けたものを補い合う、対等なバディとして。
私たちは、大司教が待ち受ける敵の本拠地、王都の中央教会へと向かうための準備を始めた。
そこに、どれほど過酷な罠が待ち受けていようとも。




