第13話 作られた奇跡には値札がある
天幕の下で美しく両手を広げ、朗々と祈りの言葉を紡ぐ次期聖女候補セラフィーナ・ローゼ。
だが、奇跡の光に包まれて微笑む彼女の華奢な指先だけが、誰にも気づかれないように小刻みに震えていた。
その不自然な震えの理由を、私はすでに知ってしまっていた。
「おお……痛みが、嘘のように消えていく!」
「なんて美しい光だ。まさに女神の使いだ!」
広場に集まった人々が、セラフィーナの放つ金色の光を浴びて次々と歓喜の声を上げる。
だが、物陰からその華やかな儀式を見つめていた私の耳に届いていたのは、賞賛の声だけではなかった。
『祈りの残響』。
彼女が患者たちに向けて癒しの言葉を口にするたび、私の胸の奥に、彼女自身の強烈な心の声が流れ込んでくるのだ。
こわい。
失敗したらどうしよう。
選ばれなければ、捨てられてしまう。
お願い、私を、本物にして。
それは、悲鳴のような怯えだった。
私を「地味で華がない」と見下した時の、あの高慢で自信に満ちた態度はどこにもない。
彼女から響いてくるのは、大人たちの期待と重圧に押し潰されそうになりながら、必死に自分を『完璧な聖女』に見せかけようと足掻いている、等身大の少女の恐怖だった。
彼女は、人々を騙してやろうと企む嘘つきの悪女などではない。
むしろ、誰よりも自分自身が偽物であることに怯え、それでもなお、見捨てられないために作り物の奇跡を演じ続けるしかない孤独な子供なのだ。
(セラフィーナ様……)
彼女の震える指先を見つめながら、私は胸の奥がギュッと締め付けられるような同情を覚えていた。
だが、彼女を覆い隠すあの眩いほどの『奇跡の光』が一体何なのか、私にはまだわからなかった。
「……なるほど。彼女の祈りは偽りではないが、真実でもないということですね」
辺境伯家の執務室に戻った私は、広場で感じたセラフィーナの祈りの残響について、カイ様に報告した。
カイ様は手元の書類から目を離さず、淡々とした声で応じた。
「カイ様、あの不自然なほど華やかな光は、一体何なのでしょうか。私の魔力感知では、あれほどの力を生み出せるようには思えなかったのですが……」
「その疑問への答えなら、すでに出ていますよ」
カイ様は羽ペンを置き、机の上に積み上げられた書類の束の中から、数枚の羊皮紙を抜き出して私の前に並べた。
「これは、中央教会の会計局と、王都の特定商会との間で交わされた取引記録の写しです」
そこに記されていたのは、私が見たこともないような品物の名前だった。
『細粒反射石』『発光性薬草の粉末』『聖水噴霧用・特殊魔導具』。
「反射石……? 薬草の粉末?」
「ええ。光を極端に乱反射させる特殊な鉱石の粉と、魔力に反応して発光する薬草の粉末です。それらを微細な霧状の聖水に混ぜて、魔導具で広範囲に散布する」
カイ様は、まるで子供の簡単な手品を暴くように、あっさりとそのカラクリを口にした。
「それが、彼女の放つ『奇跡の光』の正体です。そして、その粉末には軽い鎮痛作用がある。重症は治せませんが、一時的に痛みを麻痺させ、完治したと錯覚させるには十分すぎる効果だ」
私は息を呑み、並べられた書類の金額欄に目を落とした。
そこには、孤児院の子供たちが一生遊んで暮らせるような、莫大な額の金貨が記されている。
「そんな……。あの光は、女神の奇跡ではなく、ただの……」
「大掛かりな舞台演出です」
カイ様の灰色の瞳が、冷ややかに細められた。
「中央の演出司祭たちは、莫大な予算を使って彼女を『完璧な次期聖女』として仕立て上げている。民衆の支持を集め、教会の権威を揺るぎないものにするために」
カイ様は、証拠の書類を指先でトントンと揃え、氷のように冷徹な声で告げた。
「これは、決定的な証拠になります。孤児院の予算を流用して作られた虚飾の奇跡。この購入記録を突きつければ、彼女の取り繕ったメッキはすぐに剥がれる」
カイ様の言葉には、監査官としての確かな自信が満ちていた。
「彼女を喚問し、追求しましょう。怯えているというのなら好都合だ。少し脅せば、背後にいる中央の演出司祭たちや、大司教の関与について、いくらでも証言を引き出せるはずです」
彼は、セラフィーナを『不正を暴くための有効な駒』として、完全に利用するつもりだった。
感情を挟まず、証拠と効率だけで最短の出口へ向かおうとする彼らしい、極めて合理的な判断だ。
「待ってください、カイ様」
だが、私はどうしてもそれに頷くことができず、きつく首を横に振った。
「……待つ? なぜですか。証拠は揃っている」
カイ様がわずかに眉をひそめ、不解な視線を私に向ける。
「カイ様には、これがただの不正の証拠に見えるかもしれません。でも、私には……」
私は、広場で見た彼女の震える指先と、悲鳴のような祈りの残響を思い出していた。
「彼女は、悪人ではありません。大人たちの都合で飾られ、失敗すれば捨てられると怯えている、ただの女の子です。今、証拠を突きつけて彼女を追い詰めたら、彼女の心は完全に壊れてしまいます」
「彼女の心など、監査には関係のないことです」
カイ様は即座に切り捨てた。
「私たちは、腐敗した教会を裁くために動いている。彼女が怯えていようが、加担している事実に変わりはない。情を挟めば、敵を取り逃がすことになります」
「それでも、味方にできる人を、わざわざ敵にして追い詰める必要はありません!」
私が珍しく声を荒げると、カイ様は少し驚いたように目を見開き、そして口を閉ざした。
いつもなら、私が入り口を見つけ、カイ様が出口を作ってくれる。
けれど今回初めて、彼が見ている『証拠としての価値』と、私が見ている『怯えた人間の心』という、決定的な見立てのズレが私たちの間に生まれていた。
カイ様の言うことは正しい。
けれど、人の心を待てない彼のやり方では、きっと大切なものを零れ落としてしまう。
執務室に、重く冷たい沈黙が下りた。
机の上に残された書類だけが、残酷な真実を静かに物語っている。
あの広場で人々を熱狂させていた、華やかで眩い奇跡の光。
それには、莫大な金貨という明確な値札がついていたのだ。




