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エリス

第47話 エリス



「正しさの終わり」


雨が降っていた。

ノエールの街は、光っていた。ガラスと金属の建物に、雨粒が流れ、歪んだ光を落としている。

カールは、ひとり立っていた。

高い場所。街全体が見える場所。


「……うまくいってる」

誰に言うでもなく、呟く。


倉庫は増えた。工場も増えた。雇った人間も増えた。

食料は行き渡り、金も回る。

飢えは減った。


完璧だった。


だが。

カールの視線は、一点に止まる。


路地裏。

雨に濡れた、子供。

動かない。


カールは目を細める。


「……なんでだ」


計算は合っている。

供給も、分配も、雇用も。

すべて回っている。


なのに。


「なんで、死ぬ」


声が、少しだけ低くなる。


背後から声がした。

「見つけた」


エリスだった。

雨に濡れながら、カールを見ている。


「……来てたのか」


エリスは、少しだけ息を整える。

そして、真っ直ぐに言う。


「あなた、見てるだけ?」


カールは答える。


「見てる」


沈黙。


エリスの表情が、変わる。


「助けないの?」


カールは、ゆっくり首を振る。


「助けてる」


エリスの目が揺れる。


「……どこが?」


カールは街を見る。


「全体で見れば、死んでる数は減ってる」


「だから、成功してる」


その言葉に。


エリスは、完全に怒る。


「……は?」


一歩、近づく。


「今、あそこにいる子は?」


指を差す。


「“数”なの?」


カールは一瞬だけ黙る。


だが、すぐに答える。


「……全体の中の一つだ」


その瞬間。


エリスの手が、カールの胸を叩いた。


「ふざけないで!!」


雨音が、強くなる。


「人は数じゃない!!」


カールは動かない。

ただ、見ている。


エリスは続ける。


「あなた、変わった」


「昔は、違った」


カールの目が、わずかに揺れる。


「……昔?」


エリスは言う。


「ビスケット、覚えてる?」


空気が、止まる。


カールの呼吸が、わずかに変わる。


「……ああ」


エリスの声が、少し震える。


「分けたでしょ」


「“みんなで生きる”ために」


カールは答える。


「今も同じだ」


エリスは、首を振る。


「違う」


一歩、さらに近づく。


「今のあなたは、“切り捨ててる”」


沈黙。


カールは、言葉を探す。


だが、出てくるのは理屈だった。


「全部は救えない」


エリスは、即座に返す。


「だからって、見捨てていいの?」


カールは言う。


「見捨ててない」


「構造で救ってる」


その言葉に。


エリスは、静かに言う。


「それ、“誰のため”?」


カールが止まる。


初めて、言葉が出ない。


雨が、落ちる。


エリスは続ける。


「あなたは、“正しいこと”をしてるのかもしれない」


「でも」


一拍。


「“その子”は、救われてない」


カールの視線が、再び路地に落ちる。


動かない子供。


さっきと、何も変わらない。


「……」


何かが、ずれる。


今まで、完璧だったはずのもの。


その中に、穴がある。


カールは、小さく呟く。


「……おかしいな」


エリスは何も言わない。


カールは続ける。


「全部、合ってるのに」


「全部、回ってるのに」


視線が、揺れる。


「なんで……一人、死ぬ」


その声は

初めて

迷っていた。


エリスは、静かに言う。


「それが、人間よ」


沈黙。


長い沈黙。


カールは、ゆっくりと目を閉じる。


そして、初めて言う。


「……わからない」


雨が、強くなる。


「俺は……」


言葉が途切れる。


「正しいと思ってた」


エリスは、優しく言う。


「うん」


カールは、目を開ける。


その目には

初めて

答えがなかった。


「……違うのか?」


エリスは、少しだけ微笑む。


「半分、正しい」


一歩、近づく。


「でも、半分じゃ足りないの」


カールは、何も言えない。


ただ、立っている。


雨の中で。


世界が、初めてわからなくなる。






「ひとりのための破壊」


夜のノエールは、静かだった。

光はある。音もある。すべては、規則正しく動いている。


カールは歩いていた。

ひとりで。


路地の奥。

あの場所。


昼に見た、あの子供。


まだ、そこにいた。


壁にもたれ、呼吸は浅い。

目は開いているが、焦点が合っていない。


「……生きてるな」

カールは言う。


返事はない。


少し、近づく。


体は軽い。熱がある。


「……配給は?」

誰に言うでもなく、呟く。


頭の中で、数字が動く。

この地区の供給量。分配比率。誤差。


問題はない。


「……じゃあ、なんでだ」


答えは出ない。


子供の手が、わずかに動く。

カールの服を、掴む。


「……」


声にならない声。


カールは、止まる。


その手。

小さい。

軽い。


その瞬間。


何かが、重なる。


――ビスケット。

――分けた夜。

――「みんなで生きる」


カールの呼吸が、変わる。


「……一人分」


小さく呟く。


今は、違う。


今の自分は、

一人分を“均す”のではなく


切り捨てている。


沈黙。


カールは、目を閉じる。


頭の中で、声がする。


「全部は救えない」


黒龍の声。


「構造を守れ」


エリスの声も重なる。


「その子は、救われてない」


カールの手が、わずかに震える。


「……もし」


目を開ける。


「ここを壊せば」


視線が上がる。

遠くの施設。

この地区の分配を管理する中枢。


そこを止めれば。


供給は止まる。混乱が起きる。暴動も起きるかもしれない。


だが。


例外を通せる。


「……」


カールは、子供を見る。


掴まれたままの服。


離さない。


「……お前、一人のために」


言葉が止まる。


「……全部、壊すか?」


答えはない。


ただ、弱い呼吸だけ。


長い沈黙。


やがて、カールは息を吐く。


「……わからないな」


小さく笑う。


初めて。


少しだけ、力の抜けた顔。


「昔は、全部わかってた気がする」


子供を、抱き上げる。


軽い。


「……でも」


歩き出す。


施設の方へ。


「今は、これしかわからない」


一歩。


「目の前で死ぬのは」


もう一歩。


「……嫌だ」


夜の光の中。

カールの影が、長く伸びる。


施設の前。

警備がいる。


「止まれ」


カールは止まらない。


銃が向けられる。


それでも、歩く。


「最終警告だ!」


カールは、静かに言う。


「どけ」


引き金が引かれる。


その瞬間。


カールは動く。


数秒。


音。

光。

沈黙。


扉が開く。


中へ入る。


制御盤。

光る画面。

整然としたシステム。


カールは、それを見つめる。


「……よくできてる」


自分が作ったもの。


自分が信じたもの。


手を伸ばす。


一瞬、止まる。


黒龍の声が、響く。


「壊せば、崩れるぞ」


カールは、少しだけ笑う。


「だろうな」


そして。


迷わず、叩き落とす。


光が消える。


警報。


街のどこかで、ざわめきが起きる。


システムが止まる。


世界が、乱れる。


カールは、振り返る。


腕の中の子供。


まだ、生きている。


「……これでいいのかは」


小さく呟く。


「わからない」


だが。


「でも」


静かに言う。


「これは、俺が決めた」


遠くで、サイレンが鳴る。


混乱が始まる。


一人、逃げる、カール。


夜の中へ。



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