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荒野の一軒家

第46話 荒野の一軒家



「黒龍の試し」


夜のスラムは静かだった。

風が、壊れかけた木戸を揺らし、軋む音が闇に溶ける。灯りは少なく、家々は寄り添うようにして寒さをしのいでいる。

その中の一軒。粗末だが、暖かな空気の満ちた家。

小さな寝台の上で、幼いカールは眠っていた。

規則正しい寝息。その傍らには、使い古された毛布と、木でできた小さな人形。

――その時だった。

風が止んだ。

いや、違う。風が“集まった”。

家の隙間という隙間から、黒い気配が流れ込む。音はない。匂いもない。だが確かに“何か”が来た。

闇が、部屋の中央に立つ。

それは人の形にも見えた。だが、人ではない。

瞳だけが、静かに光っている。

――黒龍。

「……これか」

低く、深い声が、空気そのものを震わせた。

黒龍は、眠るカールを見下ろす。

しばし、何もせずに観察する。

鼓動。呼吸。意識の波。

その奥にあるものを、覗き込むように。

「王の血……」

「だが、王ではない」

「……人間として育てられているか」

わずかに、興味の色が混じる。

黒龍は、さらに一歩近づいた。

カールの頬に、影が落ちる。

その瞬間――

カールのまぶたが、わずかに震えた。

眠りの中で、何かを感じている。

恐怖ではない。

拒絶でもない。

ただ、“気づいている”。

黒龍の瞳が細くなる。

「……静かだな」

「普通の子供なら、泣く」

「だが、お前は……」

沈黙。

そして、決めたように。

「連れていく」

黒龍の手が、カールへと伸びる。

触れた瞬間――

音もなく、二つの影は消えた。

窓は開け放たれ、

夜の冷たい風は、吹き込んでカーテンは

はためいていた。

アリエル「来たか‥」





口 荒野の一軒家


荒地のど真ん中に、ひとつの一軒家がぽつんとあった。

周囲は見渡す限りの赤土と枯れ草。電柱も、舗装も、ない。

カールは、その小屋の中で眠っていた。

粗末なベッド。よれたブランケット。その枕元の引き出しには、手入れされた拳銃が2丁、無造作に放り込まれている。

日が傾き、部屋に橙色の光が差し込んでいた。

──パン、パンッ。

遠くから、銃声。

カールは反射的に目を見開く。

寝起きのまま、すばやく起き上がると、部屋に緊張が走った。

「……誰だ?」

目だけで部屋の周囲を確認する。手は、既に引き出しに伸びていた。

手に触れる、冷たい金属が、脳幹を冴え渡らす。

神経を張り巡らす、カール。次の瞬間、服に手を伸ばし、音もなく素早く身支度を整える。

窓の外に目をやる。

砂煙。赤く染まる空。野犬の遠吠えが混じる。

ふと、胸元のメモを思い出した。

「……今日は、ビスケットの当番だったのに」



家の中には、他にも子供がいた。

年齢も、出自も、バラバラ。

共通しているのは一つ。

どこからか連れてこられた子供たち。

彼らは武器を持ち、訓練を受ける。

走る。撃つ。戦う。

誰に命じられるでもなく、そうしなければ生きられない。


だが。

夜になると、別の時間があった。

火を囲み、子供たちは集まる。

その中心にあるのは、いつも同じもの。

固いビスケット。

誰かが割る。

誰かに渡す。

黙って受け取る。


カールも、その輪の中にいた。

最初は、何もわからなかった。

だが、ある日。

隣の少年が、ビスケットを半分に割り、差し出した。

「……食うか?」

カールは、それを見つめる。

しばらくして、受け取る。

小さく、言う。

「……ありがとう」


それだけだった。

だがその日から、カールは変わった。


戦うことは覚えた。

痛みも、恐怖も知った。

だが、それ以上に

分け合うこと

を覚えた。


黒龍は、遠くからそれを見ていた。

何も教えない。

何も与えない。

ただ、観測する。


「壊れないか」

「歪むか」

「それとも――」









「ビスケットの選択」


風が、乾いていた。

荒れ野の一軒家の裏手にある、粗末な石造りの建物。そこが、ビスケットとパンの倉庫だった。

扉の前に、少年が立っている。

カール。

腕を組み、静かに外を見ている。

遠くの地平。わずかな砂煙。

目を細める。

「……来るな」

誰に言うでもなく、呟く。


中では、子供たちがパンを焼いている。

笑い声もある。小さな火の音も。

だが、カールは振り返らない。

ただ、外を見る。


やがて、音が届く。

足音。複数。

重い。速い。

――大人だ。


「……閉めろ」

短く言う。

近くにいた少年が、はっとして扉に走る。

ギィ、と音を立てて、分厚い木戸が閉まる。

内側から、棒で固定する。


外から声が飛ぶ。

「開けろ!」

「食い物を出せ!」

怒号。そして、金属音。

銃。


カールは動かない。

ただ、耳で距離を測る。

三人。いや、四人。

散っている。

正面と、側面。


「裏に回る」

小さく言う。

二人の少年が頷き、裏口へ走る。


次の瞬間。

――ドン!!

扉が揺れる。

埃が落ちる。


「もう一度だ!」

外の声。


カールはゆっくりと、銃を手に取る。

小さな手に対して、少し大きい。

だが、迷いはない。


二撃目。

――ドン!!

木が軋む。

ひびが入る。


「……撃つな」

小さく言う。

周りの子供たちが息を呑む。


三撃目の直前。

カールは、静かに位置を変える。

扉の横。

死角。


――ドン!!

扉が開く。

外から男がなだれ込む。

その瞬間。

カールは引き金を引いた。


乾いた音。

一発。


男が崩れる。

後ろの影が一瞬止まる。


「下がれ!」

誰かが叫ぶ。

だがもう遅い。

裏に回った子供たちが動く。

短い銃声。

叫び。

足音。

そして――静寂。


すべては、数秒だった。


風だけが残る。


カールは動かない。

しばらく、その場に立っている。


やがて、銃を下ろす。

倒れた男を見る。

大人。

痩せている。

目は見開いたまま。


「……片付けろ」

それだけ言う。


子供たちが動き出す。

慣れている。

誰も泣かない。


だが、一人だけ。

倒れている少年がいた。

胸を撃たれている。

息は、もうない。


誰かが呟く。

「……さっきまで、笑ってたのに」


カールは近づく。

しゃがむ。

その顔を見る。


何も言わない。


やがて、立ち上がる。

倉庫へ入る。


中には、積まれたビスケット。

木箱にぎっしりと詰まっている。


カールは、一つ箱を開ける。

固いビスケットを一枚、手に取る。


しばらく見つめる。


外では、子供たちが集まっている。

死んだ仲間のそばに。


誰かが言う。

「……これ、あいつの分だよな」


沈黙。


カールは外に出る。

手にはビスケット。


皆の前に立つ。


そして、静かに言う。


「分ける」


誰かが顔を上げる。


カールは続ける。

「ここにあるのは、全部、俺たちの命だ」


一歩、踏み出す。


「一人分が減ったなら」


ビスケットを持つ手に、わずかに力が入る。


「残った全員で、その分も背負う」


沈黙。


誰も反論しない。


カールはビスケットを割る。

固い音がする。


「……平等に配る」


その言葉は、感情ではなかった。


決定だった。


子供たちは、静かに受け取る。


誰も泣かない。


ただ、噛みしめる。

固いビスケットを。


カールも、一口かじる。


味は、しない。


だが、飲み込む。


遠くで風が吹く。


どこかで、黒龍が見ている。


「選んだか」


風は、何も答えない。








フォースエセラー

「黒龍の評価」


夜は静かだった。

襲撃の後、火は落とされ、子供たちはそれぞれの場所で眠っている。風だけが、荒れ野をなめるように吹いていた。

倉庫の裏手。

カールは一人、木箱の上に座っていた。

手には、割れたビスケットの欠片。

それを見つめている。


「……味がしない」

小さく呟く。


その時。

風が、止まった。


気配が変わる。

背後に、何かが“立つ”。


振り返らない。

カールは、そのまま言う。

「……見てたんだろ」


沈黙。


やがて、声が落ちる。

「ああ」

低く、深い声。

黒龍。


カールは、ようやく振り返る。

闇の中に、輪郭のない存在。

だが、そこに“意志”があるのがわかる。


「……あいつ、死んだ」

カールは言う。

感情はない。

ただ事実だけ。


「そうだ」


「……ビスケット、分けた」


「見ていた」


再び沈黙。


カールは黒龍を見つめる。

そして、少しだけ眉を寄せる。


「……間違ってたか?」


風が、わずかに揺れる。


黒龍はすぐには答えない。

しばらく、カールを“測る”。


やがて、静かに言う。

「なぜ分けた」


カールは少し考える。

だが、長くは迷わない。


「……減ったからだ」


黒龍の瞳が、わずかに細くなる。


カールは続ける。

「一人分、減った」

「でも、残りは同じだけ生きる」


手の中のビスケットを握る。


「だから、同じにした」


沈黙。


黒龍は一歩、近づく。


「優しさか?」


カールは首を振る。


「違う」


即答だった。


「そうしないと、崩れる」


その言葉に。

風が、わずかに変わる。


黒龍は、しばらく何も言わない。


やがて、低く呟く。


「……理解しているな」


カールは何も答えない。


黒龍は続ける。


「人間は、減ると奪い合う」

「恐怖で動く」

「だが、お前は――」


わずかな間。


「均した」


カールの目が、わずかに動く。


「それは秩序だ」

「そして、支配だ」


静かな断定。


カールは、初めて少しだけ戸惑う。


「……支配?」


黒龍は言う。


「お前は決めた」

「誰がどれだけ生きるかを」


風が、冷たくなる。


カールは手を見る。

ビスケットの欠片。


「……俺は……」

言葉が止まる。


黒龍は近づく。

その存在が、すぐ目の前にある。


「怖いか?」


カールは、少しだけ考える。


そして、首を振る。


「……わからない」


黒龍は、わずかに笑う気配を見せる。


「そうだろうな」


そして、静かに告げる。


「お前は、人間だ」


一拍。


「だが、人間では終わらない」


風が強くなる。


「今日、お前は選んだ」

「感情ではなく、構造を」


カールの瞳が揺れる。


「それは――王の思考だ」


沈黙。


カールは、何も言えない。


黒龍は背を向ける。


「覚えておけ」


風が、巻き上がる。


「分けたのではない」


一瞬だけ、振り返る気配。


「お前は、“世界を決めた”」


その言葉を残して。

黒龍の気配は、風の中に消えた。


静寂。


カールは、一人残る。


手の中のビスケットを見る。


そして、小さく呟く。


「……世界?」


風が吹く。


その意味は、まだわからない。



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