宿屋にて、そして、それぞれの思い出
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フラノ村の酒場であり、唯一の宿屋でもある『憩いの木馬亭』。
フィーはマリー達と一緒に、酒場の開店に向けて仕込みの用意をしていた。
宿泊客であるフィーとジークはもちろん宿の仕事をする必要などないのだが、思いのほか下宿生活が長引いたためすっかり宿の従業員とも仲良くなり、ある時から彼らの仕事を手伝うようになっていた。
「ええ!フィーちゃん達、王都に行っちゃうのかい?!」
一緒に開店準備をしていたマリーが驚きの声を上げた。
「そうなんですの。ユーリさんが作製されている浄化の封魔石が王都で高く評価されているらしく、今後は王都で本格的に作ってほしいと、辺境伯様から直々のご命令でして」
打ち合わせ通りの文言で返事をした。
「そうかい……寂しくなるねえ。セイン先生やユーリちゃんにはとても世話になったし、レンジ先生にはアタシの旦那の義足を作って頂いたしさ」
「義足ですか?」
フィーが聞き返すと、
「ああ、フィーちゃんは旦那に会ったことがなかったね。クーリエをやっているんだけど、ちょうど今は、村を出払っているから」
マリーは手際よく野菜を切っていった。
ちなみにクーリエとは、この世界の郵便配達を担う職業である。
「旦那、トーマスって言うんだけど、馬に乗って走り回るのが本当に好きな男なんだけどね。ちょうど、セイン先生達が出張中に大怪我して、左膝から下を切らざるをえなかったんだよ」
「……そんなことが」
息を呑むフィーに苦笑しながら、
「命が助かっただけ感謝しないといけないんだよ。村の人達も必死に旦那を助けようとして、それでも足は諦めざるを得なかった。誰のせいでもない。旦那がきっと一番分かってたと思う」
マリーはその辛い時を思い出すようにじっと手元を見た。
「それでもやっぱり、馬に乗るのが生きがいみたいな男だったから、本当に落ち込んでたよ。あの時は、家の中で毎日葬式してるんじゃないかってくらい暗くてさ。ティムもずっと塞ぎ込んじゃって」
フィーは、彼女の息子のティムに何度も会ったことがある。
いつも元気で人懐っこく、大柄で一見荒々しいジークにも物怖じせずに屈託なく話しかけていた。
でもフィーが内心意外に思っていたのが、レンジと特に仲が良かったことだった。
レンジは夕食を食べに酒場によく通っているが、ティムはレンジの姿を見ると真っ先に彼に近づく。
そして、果実水を仲良く飲みながらよく釣りの話をしているのだ。
(レンジさんがあんなに楽しそうにお話ししているところを見ると、ちょっとモヤモヤしてしまうといいますか……って何を考えているのですか!私より遥かに年下の、しかも少年に嫉妬してしまいそうになるなんて……あまりにもはしたないですわ!)
剥きかけのジャガイモを手にブンブン頭を振るフィーをマリーは不思議そうに見つめた。
「そんな時に、セイン先生達と一緒にこの村に来たレンジ先生が、あっという間に義足を作ってくれたのさ。本当に凄かったよ!お陰で旦那は歩くことはもちろん、また馬に乗れるようになった。あの時は本当に嬉しかったわねえ」
「確かに、レンジさんの錬成魔法は本当に素晴らしいですわよね」
今度はジャガイモを両手に包みながらウットリするエルフに、マリーはピンと来た。
(ははあ、なるほどねえ……レンジ先生も隅に置けないねえ)
まるで初恋に舞い上がる年頃の少女を見ているようだ。
最もこの可憐なエルフが、齢90年と自分よりも遥かに長く生きていることをマリーは知らないのだが。
「旦那も今ではすっかりクーリエに復帰できたし、何よりティムが懐いちゃってね。レンジ先生も忙しいだろうに、ティムの相手までしてくれて。本当にいい人が移住してくれたって村人全員が思ったもんだよ」
「そんなことがあったのですね」
次のジャガイモの皮を剥きながら、フィーは深く頷いた。
「そんな先生達がいなくなっちゃうなんて、本当に寂しくなるわね。ああもちろん、フィーちゃんやジークさんもいなくなるのも寂しいと思ってるわよ!2人がいなきゃ『風車の家』の家族全員、助けられなかっただろうからさ!」
マリーが慌てたように取り繕うとするのをフィーは優しく微笑んだ。
「私達をすぐに受け入れてくださった村の皆様にはとても感謝していますの。ですから、私達の力がお役に立てて本当に良かったと思ったのです。誰かを助けようだなんて、以前の私では絶対にできないことでしたから」
今ではすっかり手慣れた包丁捌きで並んで野菜を切り始めた。
「私は、自分からは行動しない方がいい、誰かの言うことに従ったままでいた方が良いとすら思っていました。そうすれば、私のせいで誰も傷つくことはない。そう自分に言い聞かせていたのですから」
思い返されるのは、兄であるジークに拷問紛いの折檻をした姉と母の姿だ。
母の反感を買ったために城を追い出され森に住んでいたジークに会うため幼いフィーは城を何度か抜け出した。
それを知った姉と母はジークを捕らえ……フィーに見せつけるようにジークを痛ぶったのだった。
(そういえば、あの時の光景を夢に見なくてすむようになったのは、いつからだったでしょうか……)
少なくとも城では毎晩のようにうなされていた……はずだ。
そこまで考えた時、フィーの口からふふっと笑いが溢れた。
(『はず』だなんて。私はずっと、人生の大半をあのお城で生きていたというのに)
「どうしたんだい、フィーちゃん?」
包丁を動かしたまま、マリーは不思議そうに尋ねた。
「いいえ」
ゆっくりと首を振り、
「私にとってこの村での生活は、本当に掛け替えのない物なのだと心から実感したのですわ」
ニッコリ笑いかけた。
「マリーさんに教えて頂いたお料理はもっと上手に作れるようになりますから、村に戻ってきた際には是非ご賞味していただけると嬉しいですわ!」
と意気込むと、
「楽しみにしているから、いつでも戻ってきてよ」
マリーの包み込まれるような優しい笑顔に、フィーの胸もじんわりと温まった。
その時、調理場の裏戸が開けられ、
「いつも悪いねえ、ジークさん!運んでもらっちゃって」
現れたのは『憩いの木馬亭』の店主だ。
その後ろにいるのは、大きな木箱を両肩に2個担いだジークだ。
「全部ここでいいのかよ?」
中には酒瓶なども入っているのでそれなりの重さのはずだが、何も入っていないかのように軽々と担いでいる。
「ええと、とりあえず右肩に担いでいる上の箱はここでいいよ。他はあっちの納屋に置いて欲しいかな」
「おう」
するとジークは右肩を下に傾け、あろうことか上の箱を落とそうとする。
だが、
「“ウィンド”」
呪文を唱えると、木箱の落下スピードが急激に減速し、ゆっくりと静かに床に着地した。
「いやあ。初めて見た時は本当にびっくりしたけど、本当に便利な魔法だよねぇ!」
「だろっ!」
店長に褒められ、ジークは得意げに胸を張った。
ふと、調理場の方を見て、
「ッ?!」
包丁を持ったフィーを凝視し、パカッと口を開けたが、
「〜〜〜ッ!」
何かを言いかけ、だが堪えたり、数秒の間で百面相をするが、
「……包丁、気をつけろよ!」
結局無難な言葉を投げかけ、店長に案内されて残りの荷物を運んでいった。
その様子にマリーはプッと吹き出し、
「ジークさん、大分マシになったじゃないのぉ」
すると別の従業員も笑いながら、
「ねえ?前にフィーちゃんが包丁使ってた時、すごい剣幕で取り上げようとして、そのせいで指先ちょっと切っちゃったじゃない」
「そうそう。薬塗ればすぐ治りそうなものなのに、セイン先生を担ぎそうな勢いで連れてきてたじゃない」
と口々に言い出した。
「恥ずかしいですわ……」
頬を赤らめたフィーをマリーは笑い飛ばした。
「最初は本当に兄妹なのかって思ったくらい、全然雰囲気が違うけど。普段は荒っぽいのに、ジークさんがフィーちゃんを過保護なくらい大事にしてるの見ると、何だか和むのよねえ」
そう言うマリーに、フィーの顔にも自然と綻び、そして気がついた。
(そうだったわ……)
城では幾度となく苦しんだ悪夢をいつの間にか見なくなった理由。
(黒死病を発症して……お兄様と旅をするようになってからですわ)
黒死病に冒されながらの旅は、常に苦痛と死の恐怖と隣り合わせだった。
それでもフィーは決して悲観することはなかったのだった。
『心配するな、フィー』
絶えず襲い掛かる痛みに耐えることしかできなかったフィーを、ジークはずっと優しく撫でさすり続けた。
『俺がお前を守ってやる。お前は独りじゃねえから』
あの言葉に、どれだけ救われたことか。
ジークは黒死病の絶望からだけでなく、80年近く続いた悪夢からも、フィーを守ってくれたのだった。
(だから、今度は……)
フィーの胸に蘇るのは、黒死病の魔の手を振り払ってくれた、あの少女の覚悟だ。
(今度は私が、お兄様のように……!)
フィーもまた、改めて固く決意するのだった。
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