第三十二話 静養~これからの事
「他に思い出せる事は無いかい? 何でもいい、どんな些細な事でもいいから!」
青年の食い付かんばかりの勢いに気圧され仰け反り、そのまま布団に背中から倒れ込んだ。しかし彼の情熱は留まる事を知らず、布団に横たわった俺に覆い被さるように迫ってくる。
困った。これではあらぬ誤解を招いてしまいかねない……。
「おいノリヒロ。女を口説くならもっと順序を踏んでやれ」
「は? 何言ってんだよタカツグ、僕は」
「その格好はどう見たって押し倒して手篭めにしようとしてるようにしか見えないぞ」
他の人に言われて彼はようやく、自分と俺がどういう状態になっているかを認識したらしい。
飛び退くように慌てて俺の上から身体を起こすと、その勢いのまま身体二つ分ほど後ろへと下がっていく。でもその手に持ったペンとノートを取り落とさない辺り、彼にとっての優先順位が分かった気がする。
「ご、ごめん。一つの事に集中すると周りが見えなくなるっていうか……」
うん、それは今更言われなくとも十分知ってる。気にしないで、などと下手にフォローしようものなら本当に遠慮も何もかなぐり捨ててしまうのも身を以って思い知った。
なので何も答えずに顔をじっと見ていると、さすがの彼も居心地が悪そうに頭を掻いている。
「でさ、ボスの一族について何か思い出せないかな? どんな事でもいいんだ」
「いい加減にしておけよ。彼女は他の子よりも回復してるって言っても、まだ治っていないんだから」
「それで待っていて死んでしまって、もう話を聞けなくったらどうするんだよ!?」
「ノリヒロォ! お前は今すぐ、ここから出て行けェーーッ!」
さすがに看過できぬ事を大声で言い放った彼は、怒号を轟かせたタカツグ青年他二名の手により診療院から叩き出される憂き目を見ることとなった。
「お前らだって僕の言う事を信じてなかっただろう! 亜人は他の連中が想像しているよりももっと高い社会性と知能が――」
廊下に連行されていくノリヒロさんが高々と叫ぶ持論が反響しているが、それも遠くなりじきに聞こえなくなる。
この郷で療養を始めて一月ほどが経過した。
やはりというべきか幾つかの感染症を起こしていた身体は何度か生命の危機に陥ったが、その殆どが治まり現在は順調に快方へ向かっている。食事の量も増えて肉付きも大分改善し、今ではトイレや風呂程度なら自力で出来るようになった。
だけど思わぬ後遺症が残ってしまった。
喉の炎症が回復してくると言葉のたどたどしさは薄れたが、発する言葉は抑揚が無く声も小さくて伝え辛い。でもどれだけ頑張って声を張り上げようとしてもダメだった。
洗面所に掛けられた鏡で初めて自分の姿を見た時は艶の無い真っ赤な乱れ髪と青白く頬がこけた顔、落ち窪んだ大きな瞳にかさかさの薄い唇とこれだけでも軽くホラーなのに、更に追い討ちを掛けて終始無表情なのだ。悲鳴を上げることも出来ず卒倒したのは仕方のない事だと思う。
あの巣に居た時はもっと酷かった筈、これに話し掛けようと思ったヴィルフリートは間違いなく勇者だ。
それはともかく、治療してくれているあのおじさん医師の診察では心に負った深い傷が影響しているのだという。
心に負った傷なら俺と旅を続けた娘たちも相当に深い傷を負っていたはずなのに……彼女たちに比べると俺は随分と弱いのだな。あまり自分を責めるなと釘を刺されているが、自分の不甲斐無さにどうしても歯痒さを覚えてしまう。
「アイツは当分の間、出入り禁止だ。来たら問答無用で叩き出していい」
戻ってきた青年たちは不機嫌な表情のまま、ノリヒロを連れ出す前にやっていた作業に戻っていく。
彼らはこの診療院に勤める医師とその卵だ。亜人の巣から救い出された女性たちの治療は彼らが担当し、目を覚ました時に応対してくれたおじさん先生は村の人たちの応対に当たっている。
俺たちが脱出してから討伐隊の編成と行軍、突入までの間に多くの女性が命を落とした。救い出されてからも道中で力尽き、治療の甲斐なく息を引き取った者も後を絶たず、今では数える程度しか生き残っていない。
それでも俺と同じく快方に向かっている者も居り、救えなかった多くの命に報いるかの如く医師たちは必死に治療を行っている。
「すまないね。あいつも悪い奴ではないんだが、熱中すると周りが見えなくなるというか配慮が欠けるというか……」
布団の傍らに腰を下ろしたタカツグ先生は肌蹴た布団を直すと、携えた板状の術装器で術式を起動し、そこに表示された情報を目で追っていく。日本でいうタブレットのようなものらしく、似たような物は冒険者ギルドの受付で使用されているのを見掛けたのでそう珍しいものではない。
俺が知っている程度の医療知識では、感染症の治療は抗生物質の投与以外に方法を知らない。だけど彼らは法術と薬膳だけで治療し、効果を上げている。
治癒に用いられている術式も先程叩き出されたノリヒロ青年のような熱心な研究者たちが編み出したものだろう。
そう考えれば体験談を少しでも多く集めて亜人の生態を解き明かしたいという彼の熱意もある程度理解出来るが、俺たちにとってそれは思い出したくない事なのだ。そっとしておいて欲しい……と言っても彼には受け入れられな事なのだろう。
悪い人ではないのだが盲目的というか、彼の興味が人、とりわけ女性へ向かなかったのは何よりも幸運だったと思う。
「ああ、レンさん。頼まれていたベルオーラへの連絡だけど、さっき返事が届いたよ」
俺の知らない治癒術式を十数分ほど施術し、それを終えたタカツグ先生は懐から紙を一枚取り出して渡してくれた。
この竜人郷にも冒険者ギルドの出張所があるので、そこからベルオーラの支部へ俺の所在を伝えて貰ったのだ。頼んだのは今朝だったのにもう返事が来るとは思わなかった。
差出人名はカタリナ……嫌な予感しかしない。
そこから視点を文面へと下げていくと……。
『今から行くから待ってろ』
行くってここに? 戦闘からっきしのあいつが!? 無謀ってレベルじゃねーぞ!
最大勢力だった赤禿亜人はここの猟師衆の手により根絶やしにされたそうだが恐竜は居るし、何より野盗がわんさか居るのだ。そこに資産家令嬢のあいつが足を踏み入れるなど鴨葱よりも恐ろしい、虎の口に首を突っ込んで食べないでと懇願しているようなものだ。
「危ないから絶対に止めろ、と送って下さい」
「いいのかい? 迎えに来てくれるなら、それに越した事はないと思うが」
「はい。危ないですから」
なんだか凄く微妙な表情をされたが、何故に?
それでもちゃんと引き受けてくれた、ありがたい事だ。
行く、来るな、じゃあさっさと帰って来いと通信の応酬を繰り返してカタリナの来襲を防ぐ事数週間、空気に温かさと瑞々しさが漂ってきた頃のこと。外を出歩ける程度に回復した俺は郷の外れへと足を運んでいる。
合掌造りによく似た茅葺屋根の建物が広いある間隔で建ち並び、甚兵衛っぽい和風の衣装に身を包んだ住人たちの姿を見ながら歩いていると、異世界に来たと言うよりもタイムスリップしたような気分になる。
俺が今着ている薄桃色の浴衣は、診療院の近所に住む老婦人から結婚して家を出た娘さんが若い頃に使っていたというお古を貰った物だ。こんなのを着るのは初めてだったが普段着として作られているためか布地は思ったよりも柔らかく、簡単に着れるやり方を丁寧に教えて貰えたので今では一人で着れるようになった。そして尻尾を出す穴がちゃんと設けられているので、違和感無く着れるのはありがたい。
でもここの人たちの顔立ちは西寄りで彫が深く、髪や目もカラフルにバリエーションが富んでいてちぐはぐな感じが先に立つ。名前もやけに和風だけど、姓はヌアザだったりアンダーソンだったりパラディースだったりと統一性も何も無い。
そんな奇妙な所だけど竜人郷の名が示す通り、住人の殆どは竜人族だ。俺のような真っ赤な髪はあまり見掛けないが、こうして浴衣を着て歩いていると郷に溶け込んでいるような気分になる。
道すがらすれ違う人と挨拶を交わし、水路脇に咲いていた白い花を何本か摘んで携えてきた半紙で包む。
敷石を並べて舗装された細道をゆっくり歩き、芽吹いて間もない草花の鮮やかな緑に目を癒されながら向かった先は墓地だ。
四角柱に形を整えられた墓石が幾つも並ぶ一画の、その更に奥に胡坐をかいて座っている大柄な人影がある。
その先客はぼさぼさの銀色の髪を陽光に鈍く照らされ、背後から歩み寄る俺の足音を聞きつけて笹のような長い耳がピクリと動いた。
「久しぶり」
「もうここまで歩いても大丈夫なのか?」
「うん」
彼は目前の小さな墓石に視線を落としたまま、こちらを振り向かない。
それはここにあるどの墓石よりも小さいが、その下に眠る御霊は恐らくどの墓よりも多いだろう。これは亜人の巣で命を落とした、そしてこの村に辿り着いた後も治療の甲斐なくこの世を去った女たちの墓だ。巣で死んだ女たちの遺体は可能な限り洞窟から運び出され、その入り口付近に埋葬されて遺髪がこの墓の下に収められている。
ヴィルフリートの隣に腰を下ろし、持ってきた花束を墓前に手向けて手を合わせる。
何十人の女たちが引き摺り込まれたのか分からないが、命を繋げたのは俺を含めて三人しか居なかった。
その二人も病状は大分回復しているが未だ心を閉ざしたままで呼び掛けにもあまり応えてくれず、何処の誰なのかも分かっていない。
励ましあった女冒険者の死体は亜人たちに食い尽くされてしまったので、ここには収められていない。そして俺の幼い息子も。
醜く忌まわしい亜人の種を受けて産まれた子。あの子の事を思うと今でも胸が痛む。
産道を抉じ開け、臍の緒を引き摺って這い出し、産声を上げたその醜悪な姿を目の当たりにした時はとうとう心が壊れてしまったと思うくらいに嘆き悲しみ、半狂乱になって絶叫を上げた。
だけどキュッと握っていた小さな手が何かを捜し求めるように伸ばされ、掌を開いたり閉じたりを繰り返しているのを見たとき、荒れ狂う感情とは別の情動に突き動かされて抱き上げていた。気付いたら臍の緒を千切って結び、乳を与えていた。
長じても行き着く先が赤禿亜人と分かっていても、血肉を分け与えて産んだ子はどんな姿であれ愛おしく思えてしまった。
いくら口元に乳首を差し出しても咥えてくれないから、自分で乳を吸って口移しで与えた。それでも力及ばず死んでしまった時は悲しくてさめざめと泣いた。
振り返ってみると不思議な感じだ。
日本であのまま生活していたらいつか家庭を築いて父親となり、子供に愛情を注いでいたかもしれない。
けれどあの時の気持ちは絶対に父親としての愛情ではなかったと断言出来る。元々男として生まれ育ち、三十年近く生きてきた俺にあんな情動が生じるとは夢にも思わなかった……。
それはけして否定するものではなく、当然のものだと受け止めるべきだと心に決めた。
何せ何ヶ月もほったらかしにしてしまった長女が待っているのだから、出来うる限りの愛情を注いで慈しまねばならない。生まれてからずっとお預けになっていた乳も、ちゃんと飲ませてやらねば……もしかしたらお姉ちゃんがまだ飲んでないのに弟が先に飲むわけにはいかないって、遠慮したのかしら。お母さんとしてはちゃんと飲んで元気に育ってくれた方が嬉しかったのだけど……。
黙祷を終えて目を開けると、ヴィルフリートはまだ隣に居た。
彼は救い出した豚人族の女性の元に通い詰めて手厚く看病を続けていたのだが、病状は一向に改善せず儚くこの世を去ってしまった。
それ以来、彼は診療院へ足を運ばなくなってしまった。
感染症の危険があるからと、俺たちが担ぎこまれてからは郷の人はよっぽどの用事がない限り近寄らない中、彼とノリヒロ青年だけは毎日来ていたのに、だ。
あの山小屋での一件はあまりに配慮に欠けていた、と今になって悔やんでいる。病と熱と疲労で頭が回っていなかったとはいえ、それを言い訳にしたくない。
「ごめんなさい」
「……へ?」
胸が詰まったように苦しくて、でも搾り出すように紡いだ言葉は柔らかな春風にも飛ばされそうなくらい小さい。
でも彼の長い耳はそれを拾ってくれたようで、ちょっと間が抜けたような声と共にこちらへ振り向いた。
「俺じゃなくて、彼女を先に連れ出していれば、もしかしたら」
「たられば言ったってどうしようもないさ。それに最初に見つけた時にどれだけ呼び掛けても目を覚ましてくれなかったしな……」
ヴィルフリートは頭をガシガシと乱暴に掻き上げ、胸の中に溜まっているものを吐き出すように深く息を吐き出した。
「彼女は結局、俺を見てくれやしなかったんだ」
片想いだったのか。
ヴィルフリートはぽつぽつと語る。
彼女との出会いは彼がこの郷へ流れ着いて間もなくの頃、大体二年くらい前らしい。
隊商に参加している行商人の一人で、定期的に訪れては狩りに使う銃弾や術装器の部品、生糸などを卸し、醤油や味噌など他所では見られない加工品を仕入れていくのだそうだ。
「竜人ばかりの郷に俺みたいなエルフが居る事が珍しかったみたいでさ。何処の出身だの、故郷に面白い特産品はあるかだの色んな事を聞いてきた。郷にもまだ馴染めてなかったし色々あって気が立ってたから、最初の頃はぞんざいに答えてたんだ」
その時の事を思い出したのだろう。ちょっと恥ずかしそうに笑うと、それでも彼女はめげず興味の赴くままに纏わり付いてきたのだと続ける。
そんな彼女を適当にあしらいつつ、郷にも馴染んで心に余裕が生まれ始めると彼の心境にも変化が生まれた。どれだけぞんざいな扱いを受けようと気にした様子もなく、屈託なく笑う彼女の存在がささくれていた心を癒してくれるようで、いつしか彼女の来訪を心待ちにするようになったのだという。
「別にあの子の事が好きだとか、そういう事はあまり深く考えてなかった気がする。正直なところ、自分の気持ちは今でもよく分からん……でも」
す、と瞼を閉じたヴィルフリートは背筋を伸ばし、やや上向き加減に顔を上げると閉じた瞼を開いて空を見上げる。その視線の先には幾つかの千切れ雲が浮かび、ゆっくりと風に流されていた。
「居なくなるとは思っていなかった」
呟くようなその声は青空に溶け入るように春風に浚われ、消えていった。
しばらく二人で空を見上げていたが、屈んだ足が疲れて痛くなってきたので立ち上がって少し背筋を伸ばす。そうしているとヴィルフリートも立ち上がり、首や肩を動かしこきこき鳴らしていた。
「そろそろベルオーラに帰る」
「そうか。帰る……って、どうやって帰るんだ?」
ぼんやりと言葉を返そうとしていたヴィルフリートだったが、ふと思い至ったらしい疑問をそのままぶつけてくる。
この地域で最大勢力を誇っていたデミオルゴスの群れが居なくなったといえど、その他の脅威は健在だ。それどころか春を迎えて戻ってきた鳥や獣もまた脅威となる。
加えてトカゲの身体を失い、杖も術装器も持っていない俺はあまりに非力だ。これで郷を出て山を降りるなど無謀極まりない。彼の危惧は尤もだ。
「迎えが来る」
「ああ、そうなのか」
返答を聞いてヴィルフリートは安心した、というよりも何処か拍子抜けな顔で呟いた。
俺だって考えも無く帰るなどとは言わない。あのギルド通信のやり取りで痺れを切らしたカタリナがついに行動に起こしたのだ。フェレイラ家とサインツ家で護衛を雇い、守りを厳に固めてここへやってくるらしい。
なんて傍迷惑な、大仰過ぎにも程がある。しかも既に出発したとの事後報告、今から返信を送っても受け取る相手が既に居ない。
「良かったじゃないか」
「……うん」
「なんだよ、嬉しくないのかよ」
嬉しくないわけではない、犬の怒りが怖いだけだ。おかしいな、レトリバーって人懐っこくて温厚だって聞いたんだけど……。
「ヴィルフリート」
「ん? 何だ、改まって」
「ありがとう、助けてくれて」
彼の方に向き直り、深く頭を下げる。
討伐から返ってきた彼はあの女性に付きっ切り、俺も布団から起き上がれないで結局今の今まで礼を言う機会が無かった。ようやく言えたという安堵に胸が少しだけ軽くなった気がする。
ここ最近、外を出歩けるようになってようやく前向きに考えられるようになってきた。あの地の底で諦観に沈んでいた事は否定できない事実だが、今はもう生きるのを諦めようとは思わない。
こう思えるのも、今を生きているからこそだ。
頭を上げると呆気に取られたようにぽかんと口を開いたヴィルフリートが、ハッと我に返ると照れ臭そうにそっぽを向く。
「いや、まぁ、成り行きだったし……俺だって君の助言に助けて貰ったんだ。お互い様だ」
そういえば枯れ草で隠れていた穴に気付かず踏み込んで落ちたんだっけ。「感情任せに弾撃ち過ぎ」とぼそっと呟いてみたらすっごい苦い顔で背を向けてしまった。
「そろそろ戻るわ。レンはまだここに居るか?」
「俺も戻る」
そう答えるとヴィルフリートは何やら鳩が豆鉄砲を食らったような顔で振り向くと、こちらの顔をまじまじと見詰めてきた。何か呟いたようだが、あまりに小さすぎて聞こえなかったが……。
「なに?」
「いや……うーん……」
今度は腕を組み、何やら深く考え込み始めた。
何だ? 俺、変な事言ったか?




