第三十三話 『俺』って変?
「……どういうこと?」
俺と対面したカタリナの第一声はそれだった。
ここに来るまでに様々な感情を胸の内に渦巻かせていたのだろうが、それを吹き飛ばすほどのインパクトがあったようだ。
ここに至るまでの出来事を順を追って説明していくと胡散臭そうに聞いていた彼女の表情が神妙になり、やがて何かを堪えるように歪むといきなり顔を胸に押し付けるように抱き締められた。
上手く喋れないのでそこから逃れようともがくが、筋力が弱りきり病も完治していない身体では完全に力負けして身動きできない。やべ、地味に息苦しい。
「カタリナ、放して」
「もういいよ、話さなくていいから……っ」
違う、そうじゃない。
訴えても涙声でそう答えるだけで、すっぽり包み込むように抱き竦めてしまって拘束が更に強固になってしまった。
柔らかな感触と鼻腔を満たすミルクっぽい匂いは幸福感いっぱいなのだけど、それらに包み込まれたまま昇天してしまっては泥水を啜る思いで生き延びた意味は何だったのかと激しく疑問に思わざるを得ない。ただ一つ分かる事は、天国へ昇ろうと地獄へ堕ちようとこの世とおさらばする事に変わりは無いってことだ。
もがく力を失いぐったりしてしまった俺の様子に周りが気付いたようで、それを指摘されたカタリナがまた慌てて軽いパニックに陥ったが、ある意味天国を堪能出来たので良しとしよう。
診療院に今までの治療費と滞在費を払い、お世話になった郷の人たちに挨拶とお礼を言って回る。ちなみに費用はカタリナが出してくれた。気にするなと全然取り合ってくれないけど、結構な額なのは知っている。気にするなという方が無理だ、いつか返さねば……。
ともかく、最初は診療院で治療を続けている二人だ。未だ心を閉ざしたまま布団から離れない彼女たちに今日、郷を出て帰る事を告げると、珍しく口を開いてくれて驚いた。
「がんばって……私も、がんばる」
「……気をつけて」
ぼそぼそと消え入るような声でそう言ってくれた二人と涙を零しながら抱き合い、「辛いけど、がんばろう」と励ましあった。
挨拶に回ると、郷の人から餞別にとたくさん持たされた。俺が好んでいるらしいと聞きつけた人たちは味噌や醤油を、老婦人からは着物や浴衣を四枚も貰ってしまい、嬉しい反面助けられた身としては申し訳なく思ってしまう。そう簡単に来れる所ではないけれど、いつか恩返しをしたいな。
カタリナらはただ俺を迎えに来ただけではなくベルオーラからの隊商も引き連れており、荷馬車に載せて来た様々な物品を卸して郷の商品を積み込んでいった。
郷の人たち、特に可愛がってくれた老婦人と診療院の先生らに身体に気を付けるようと何度も念を押され、見送られながら荷馬車に揺られて郷を後にする。一月ほどの長いようで短い滞在だったが、森の中にひっそり佇むこの郷の穏やかな暮らしと風景は深い傷と同じくらい暖かな癒しとなって心に染み入った。
総勢四十名にも及ぶ大集団が細い山道を列を成して歩く。
トカゲと人の二人旅と比べると進行速度はかなり落ち込み、麓の宿場までは一週間ほど掛かるそうだ。
退屈だけど病人の俺には馬車に誂えて貰った簡易ベッドで眠る以外に出来る事は無い。時々御者台から顔を覗かせたりもするが、馬車の揺れは何気に体力を奪うらしくすぐに気分が悪くなって布団へ逆戻りだ。
そうして二日が経過した頃、一団はあの結界装置のある場所へと到着した。
「これが例の結界装置ね……何よ、ちゃんと動くじゃない」
草に半ば埋もれている装置を探し当てたカタリナは防護結界用の端子を引っ張り出し、その状態を確かめる。そして彼女の言葉通り装置は動作し、濃い青に光るマナが薄くドーム状に展開された。
うん、あの時も展開自体は問題なかったんだ。
馬車を降りて装置を見詰める。基部に走るマナの輝き、あの時はこれが突如消えた。
そして森の方へと視線を向け、それが突き立っていた辺りへと歩いていく。あれから数ヶ月も経っているのだからさすがに痕跡は残っていないか。
「ここに槍が刺さって、術式が発動した。そしたら結界が消えた」
「槍? どんな形だったか覚えているか?」
そう尋ねてきたのはヴィルフリート。彼はベルオーラまで護衛に着くよう言われて同行する事になった――というのは建前で、このまま郷に居ても気持ちの整理が出来ないだろうと考えた郷の人たちの心遣いだ。
この山を駆け巡る猟師の彼はちょっとした変化を読み取って亜人や獣の襲撃をいち早く察知したり、軽い身のこなしで木々の枝を渡って斥候を担ったりと大活躍しているらしい。
「見た目は円柱の金属棒。先端が尖ってて、刃は無かった」
両端が尖っていれば陸上競技の槍投げに使う槍にそっくりな形状だった。遠くに投げようと思えばあの形だと思う。
「……前に見た事があるのと同じかもしれない」
「そうなの?」
「確証は無いがね。その時の状況を詳しく説明してくれないか」
コクン、と頷き返し、槍が地面に突き立って間もなく発動した術式とその後の現象を説明した。
槍がここから無くなった今、マナの結合が解かれるような事が無いのは先程の結界で確認済みだ。
説明を終えると、しばし考え込んだヴィルフリートは「間違いない」と表情をやや強張らせる。
「そいつは一定範囲内でマナの結合を阻害する術装兵装だ」
術装器には術式を自由に登録、削除ができるものと、登録された術式が固定されて書換出来ないものの二種類がある。
そして後者は用途によって呼び名が変わり、主に武具として使用される物は術装兵装と呼ばれて区別されている。グラヴィトンが登録されたテレーゼの斧槍や、銃弾を撃ち出す術式が登録されているヴィルフリートの小銃、一回使いきりの法術手投げ弾がそれだ。
「戦場で何度か見たことがある。まだ完成度は低かったみたいで撃ち出したものの殆どが発動していなかった。でも隠れていた陣地のすぐ近くに刺さった奴が発動して、術装器が一斉に動作不良を起こしたんだ」
ヴィルフリートが語った内容は、まさに俺たちが遭遇した事態そのものだった。
「ヤバいと思ってその場を離れたら途端に復活したから、その時は何がなんだか分からなかったけどな。戦闘後に槍を回収しようとしたら自壊したから詳細は分からないが」
自壊……敵に情報を与える事を嫌った訳か、徹底している。……うん?
「じゃあその槍は他の兵隊は持ってないの?」
「どうだろうな。俺も戦場を離れて三年経つから、今はどうなっているのか分からん……が、出回っていないならただの野盗が持っていて良い物ではない」
カタリナの問い掛けにそう答えたヴィルフリートは腕を組み、難しい顔で森の奥を睨みつけるように見詰める。
「レンと荷物はその場に捨て置き、もう一人の子だけを連れ去った……その子を攫うのが目的だった、と考えるのが自然だろうな」
彼の呟きの通り、俺たちの荷物はそっくりそのまま残されていた。トリーシャのパラス・アテナもだ。
竜人郷の猟師衆が最初に見つけてくれて本当に助かった……。ついでに急斜面へ放り投げられたグラススタッフも無事に回収され、俺の手に戻っている。
「虎の子を持ち出すくらいだから、行き摺りの犯行とも思えん」
「……ちょっと待って。それじゃトリーシャがここに来るのを待ち伏せしていたこと?」
「そういうことになる。そのトリーシャって子は何者なんだ?」
振り向かれたカタリナは言葉を詰まらせた。
没落したとはいえ嘗ての有力貴族だ、みだりに素性を広めるべきではない。
口を噤んだ俺たちの様子から訳ありと察してくれたらしいヴィルフリートはそれ以上は聞いてこなかった。
「冷たい事を言うが、その子の事は忘れたほうがいい」
「はぁ? あなた、勝手に首を突っ込んで何を言ってんのよ」
柳眉を吊り上げたカタリナはヴィルフリートに食って掛かる。身長は頭一つ分、体格で言えば一回りほども違う相手に臆することなく詰め寄り、彼もその迫力に気圧されて一瞬たじろいだように見えた。
しかしそれは本当に一瞬の事で、表情を厳しく引き締めると咬み付かんばかりの剣呑な眼光を真正面から受け止めて口を開く。
「ただの冒険者が立ち向かうには相手が強大過ぎるんだ。もしその子を助け出せたとしても、普通に生きるのは諦めなきゃならなくなる」
「何よそれ。ちょっと大袈裟じゃない?」
「大袈裟でも何でもない、事実なんだよ。その子を攫ったのは、ヴィグリード王国軍だ」
ヴィルフリートのその一言で、辺りは水を打ったように静まり返った。
◇
青の一族が村に住み着いた。
母様や村の人たちは「勝手に居座って」と怒っているけど、私はちょっと嬉しい。だってテッドと一緒に居られるから。
テッドは私と同い年の少年だ。私も彼も同じくらいの歳の子が近くに居なかったから、気兼ねなく一緒に遊べるのが嬉しくてすぐに友達になった。
はしゃぎ過ぎて泥んこになったり、村の柵で遊んでて壊しちゃったり、後でこっぴどく叱られたけど二人で居るのは楽しかった。父様が居なくなった悲しみも、一緒に居る時は忘れられた。
そうして何年か経ったある日、二人で森の近くまで遊びに行った時の事。森の木々に紛れるように巨人が膝を立てて座り込んでいるのをテッドが見つけた。
本当は森に入っちゃいけないって口煩く言われていたけど、好奇心を抑えられなかった私たちはゆっくりと慎重に巨人へ近付いていた。
巨人の身体は鉄で出来ていた。触っても叩いても動かないから大声で呼び掛けてみた。でも返事は全く返ってこない。まるで死んでいるみたいにピクリとも動かない。
そうしているといつの間にか背中によじ登っていたテッドが私を大声で呼んだ。中から誰かが泣いている声が聞こえると言うのだ。
誰か巨人の中で閉じ込められているのだろうか。もしそうなら出してあげなきゃ。
私とテッドは外から呼び掛け、何処か開けれる所は無いかと探して回った。
大きく張り出した胸の辺りをぺたぺた触っていると巨人の鉄の肌がぱかりと捲れてビックリした。その中に丸いボタンのようなものがあったので指で押してみると、巨人の胸が真ん中から上下二つに割れて大きく開いて、またビックリした。
そこが開くと私の耳にも泣き声がはっきり聞こえた。女の子の声だ。
恐る恐る、割れた胸の奥を覗き込むと、そこには小さな女の子が座っていた。青白く光る不思議な色の髪と長い耳、真っ白な肌をした、私よりも年下の女の子だった。
◇
久しぶりにあの夢を見た。
本当に何処の誰の夢なんだろう。村人はみんな竜人、それも髪も尻尾も俺と同じ緋色ときた。
診療院の先生方にそれとなく夢で見た村の話を聞いてみたが、そんな村の事は誰一人知らなかった。
それにさっきの夢に出てきたゴーレム。あれも俺がこの世界に来て見たものとは形がかけ離れているし、何よりも大きさが半端じゃなく大きかった。周りに居たのが十歳になるかならないかの子供だったにしても縮尺がおかしい。
恐らく過去に見たアニメとかゲームの設定が混ざり混ざって変な物語を作り上げているのだろう。真面目に考察しようとした俺が馬鹿だった。
「レン、起きてる?」
上半身を起こしたまま布団でボーっとしていると、カタリナが御者台からこちらを覗き込んできた。
それに頷いて答えて着物を着替え、長い髪を手櫛で軽く整えて御者台に上がる。道の両脇に広がる広大な麦畑や森の木々に芽吹いた鮮やかな緑が萌える風景は数ヶ月前に訪れた時とはすっかり様変わりし、暖かな春の陽気も相俟ってとても牧歌的で穏やかに感じられた。
その向こうに木の柵で囲われた村が見える。竜人郷を出て久し振りに訪れる人里だ。
山道を下る間の一週間、荷台で寝たままというのは中々の苦行だった。
一応サスペンション機構を備えているが所詮は荷馬車、おまけに舗装されていない道を往けば揺れはもう凄まじい。何度吐いたか、数えるのも馬鹿らしい。
その嫌がらせとしか思えない旅も、ここで一つの区切りを迎える。綺麗とはいえないが、この村からノヴァリスまでの道はちゃんと舗装がされているのだ。
馬車を停めておくガレージの契約とか宿の手配とか、その他諸々の手続きを隊商長に任せて冒険者ギルド出張所へ赴いた。そこで情報を得た俺たちは建物を出て踏み固められただけの土の道を歩く。
和服には下駄だろうと竜人郷で買った赤い鼻緒の下駄と足袋を履いているが、微妙に歩きにくい。おまけに聞いた場所は村の外れだから結構歩かされる。同行者の二人に比べて特に背が低いのでどうしても遅れてしまい、歩いても歩いても目的地が見えてこない。
息切れしてとうとう歩けなくなってしまった俺はヴィルフリートの背に負ぶされて、目的地たる村外れの小屋に辿り着けた。保険が活きたと思えばいいかもしれないが、やはり情けない。
その木造小屋は一見、誰かが住んでいるようなものには見えなかった。場所的にも農具を仕舞っておいたり、雨に降られた時などの休憩所として使われるような立地だと思う。
見るからに立て付けの悪そうな木扉をカタリナがノックすると、中で椅子が動いたような音がした。そしてばたばたと慌しい足音が聞こえ、中から木扉が勢い良く開け放たれた。
「――カタリナ!? あんた、なんでここに……」
余裕の感じられない思い詰めた顔で現れたのはテレーゼだ。半年ほど前に別れたばかりだというのに、随分とやつれている。緑色の髪も白い肌も艶を失い、急激に老け込んだように見えてしまった。
「姉さんこそ。こんな所に独りで住んでるなんて、聞いてなかったわ」
「それは…………そんな事よりレンとトリーシャの事は何か分かったのかい?」
腰に手を当てて仁王立ちになり、やや強い口調で詰め寄るカタリナ。
妹分の視線から逃げるようにたじろぎ、顔を逸らしたテレーゼは口篭りながらも今一番の気掛かりを口にする。その目が見覚えの無い二人、俺とヴィルフリートを油断無く観察するように鋭く光っている辺りはやはり俺たちの姉御だとちょっとだけ安心した。
「その事も話に来たの。お邪魔させて貰うわよ」
「え、あっ…・・・ちょっ、待って!」
ずいっと前に出たカタリナの強行な姿勢に慌てて止めようとするがテレーゼだったが、抵抗虚しくカタリナはずんずん進んで小屋の中へ踏み入ってしまった。
「な……っ、なぁによ、このザマはああぁぁぁああああッ!」
そして中の様子を見たカタリナの怒号が隙間だらけの壁を突き抜けて響き渡り、屋根の上に止まっていた小鳥たちが驚いて春の空へと飛び立っていった。
「そっ、そんな大きな声で叫ぶんじゃないよっ」
カタリナを追って慌てて小屋へ戻るテレーゼの後に続き、俺も小屋に足を踏み入れた。
外からの見掛け通り、やはり中もボロボロだ。一応窓はあるが開閉出来るようには見えず、壁や床は人が暮らせる程度に修繕されているように見えるが、いつ崩れてもおかしくない。
しかも中は服やら何やらでごった返してステキな汚部屋になっていた。入り口を潜って中を覗き込んだヴィルフリートが絶句して固まっているのが気配で分かる。
若い男にとって、女性の部屋というのは夢と憧れが詰まった宝石箱のようなもの。それがこのように乱雑な有様、二つのカップが繋がった魅惑の物体や禁断の三角形がそこらに無造作に放り出された光景など幻滅も甚だしい。箱は箱でもパンドラの箱だ。
でもテレーゼは家事がダメって事は無かったはずなんだけど……。
何やらもう色々諦めたっぽいテレーゼは散乱している衣類をベッドの上へ重ねてシーツで覆い隠し、その他の生活雑貨類も部屋の隅に固めて座るスペースを作ってくれた。
木板を適当に組み合わせたようにしか見えないテーブルを中央に囲み、携行型のヒーターで沸かした茶を淹れてもらってようやく一息吐けたところでテレーゼは「この二人は誰なんだい?」とカタリナへ問い掛けた。
「レンよ。で、そっちはこの子を助け出してくれたヴィルフリートさん」
じっと見詰める俺とやや居心地が悪そうに肩を狭めて会釈する大男を見比べ、テレーゼはぽかんとしたまま固まった。
しかしその再起動は意外にも早かった、カタリナの紹介に聞き捨てならない言葉が含まれていたからだ。その瞳が見る間に剣呑な光を宿し、表情もまた険しくなっていく。
「助け出したって、どういうことだい? それにレンはトカゲの筈だろう」
「……竜人になって、亜人に捕まった」
探るような目を向けるテレーゼの息苦しい緊張感にちょっとだけ呑まれてしまったが、カタリナがどう伝えるべきか迷っていたようなので俺が代わりに口を開いた。些かストレート過ぎたが、今の俺に言葉を選ぶだけの余裕は無い。
「意味が分からないよ。トカゲが竜人になったって、一体どういうことだい?」
「俺にもよく分からない。マナの結合を妨げるっていう術式を食らったら、こうなってた」
そう言うと部屋の中がしん、と静まり返った。
右隣に座るテレーゼは眉間がピクリと蠢き、左隣のカタリナは半端に開いた目でこちらを見詰め、ヴィルフリートは何やら納得できない事態に遭遇したかのように腕を組んで深く考え込んでいる。
まぁ、こんな話をいきなり聞かされても荒唐無稽にしか受け止められんのは分かっている。そもそも真偽を解き明かす事はどう足掻いても無理なのだ。俺がレンである事を理解させるのが最も手っ取り早い。
「竜人郷で長老って人に聞いてみたんだけど、そういう秘術を伝える部族が何処かに居たって言い伝えがあるんだって」
「そうなのかい? じゃあレンはその部族の出身で、元々竜人だったって事?」
「知らない」
両隣からすんごい微妙な顔をされたけど、仕方が無いじゃないか。
すごく今更だけど、俺は何でこの身体なんだろうな。大体、この身体って誰なんだ? 一年半前のあの時は右も左も分からなかったから後回しにしていたけど、これもそろそろ真剣に考えなきゃならんかもしれん。
「その部族が今何処に居るかも分からないから、長老さんも確認のしようが無いって言ってたわ」
「ふぅん……まぁ、いいわ。それじゃ、あんたがレンだって事を証明出来るかい?」
証明……漫画なんかだと二人しか知らない事を言うってのが定番だったかな。
しかし常に集団行動をしていた俺たちには、二人だけのっていうのはあまりない。うーむ、何かあったかなぁ……あ、あった。あの時は他に誰も居なかった筈だ、よし。
「縁にお乳を飲ませて欲しいって頼んだら、あんた、あたしを乳牛と勘違いしてないかい? って、すごくいい笑顔で――」
「分かった、あんたはレンだ。間違いない」
伸びてきた腕に捕まりすごい早業で抱き竦められて口を塞がれてしまった。
が、殆ど暴露してしまったも同然で、カタリナは机に突っ伏してプルプル震えてるし、ヴィルフリートは日焼けした顔を仄かに赤くしてわざとらしく顔を強張らせている。
後でカタリナにこっそり教えて貰った話によると、牛人の女性に乳牛ネタは定番であると同時に、最大級に卑猥な下ネタなのだそうだ。猛省。
ひとまず区切りがついたようなので、この姿になった原因から始め山中での考察を加えて出来事を順に説明していく。俺の説明が進むにつれ、テレーゼの表情が次第に強張っていき、話が終わる頃には顔を蒼白にして口をわなわなと震わせていた。
「なんてこと……こんなに近くに居たのに……」
たらればを言っても仕方が無いが、あの状況でテレーゼが居ればもしかしたら何とかなっていたかもしれない。
でもあれだけ周到に準備をしてきた奴らだ。一緒に居たら居たで力自慢の牛人対策もしっかりやってきただろう。結果的には被害者が増えただけに違いない。
だから首を横に振ってみせると、テレーゼは堪えきれずに俺を抱き締めて泣きだしてしまった。
「俺、トリーシャを助けに行く」
テレーゼの胸の中で、自分の決意を口にする。
声が小さ過ぎる上にテレーゼの豊満な胸に顔を埋めたままだったので、聞こえたのは間近の彼女だけだろう。
抱き締める力を緩めて涙に塗れた目でこちらを覗き込むテレーゼの顔に手を伸ばし、濡れた頬を拭ってやる。
「助けて貰ってばかりだったから、今度は俺が助ける番」
「助けるったって、相手は王国軍だぞ?」
「関係ない、奪われたら奪い返す。国に睨まれるなんて今更」
未だ抱かれたままヴィルフリートへ振り向いて答えると、彼は面食らったように目を白黒させた。
「そうね、確かに今更だわ」
そして俺の言葉尻に乗るように強気な言葉を放ったカタリナにも驚いたように目を向ける。
振り向いて見えた顔は勝気な微笑を浮かべてこちらを見据えており、決意を秘めた青い瞳からは力強い光が爛々と灯っている。外に跳ねたウェービーなストロベリーブロンドが窓から差し込む光を孕んで輝く様は、彼女が浮かべた表情と相俟って心を打つような鮮烈な美を目に焼き付けた。
「あたしは……ごめん、一緒には行けない」
二人して呆気に取られているところに、背後から搾り出すような声が聞こえた。
「テレーゼ?」
「ダメなんだよ……あたしは、ここから離れられない。ごめんよ……」
そう悔いるように告げる彼女は大粒の涙をぼろぼろと零し、顔をくしゃくしゃにして再び泣いた。相変わらず抱き締められたままだけど、今はまるで縋りつかれているみたいだ。
この村で彼女に何があったのか知らないけれど、トリーシャは「そっとしておいてあげて」と言っていた。それは未だに解決していないのだろう。
肩口に埋めるように押し付けられた頭を両腕で包み込み、艶を失った緑の髪を柔らかく撫でる。「いいよ、俺たちが助けて連れて来るから」と耳元で囁くと、縋る腕の力が少し強くなった。
全く、困った姉だ。自分はお節介なくらいに助けてくれるのに、こっちには何もさせて貰えない。でもいつか必ず、恩返しさせて貰うよ。
一頻り泣いて落ち着いたテレーゼからようやく解放された頃には、日は割と傾いてしまっていた。
「格好悪いところばかり見せてしまった」とテレーゼは恥ずかしそう笑っていたが、俺たちとしてはもっと頼って欲しいのだから気にするなと言いたい。
「ところでレン、さっきから使ってる『俺』なんだけどさ」
「あ! やっぱり姉さんもおかしいと思うよね!?」
涙を拭いて冷めたお茶を啜ったテレーゼがやけに神妙な顔で口火を切り、カタリナがそれに乗って声を上げた。
俺……おかしい? 何が?
「何て言うかね、その姿とその声で『俺』って言われるとすごい違和感があるんだよ」
「……今まで何も言わなかったじゃない」
姿はともかく、声は変わっていないはずだ。
それにこいつらは俺がトカゲだった頃からメスだって知っていた筈なのだ、それを今更になって何を言い出すのか。
「今までも変だったけど、口調も行動もそんな感じだったからそういう育ち方なのかって思ってただけよ」
「でも口調も仕草も何もかもが変わっちゃってるみたいだからね」
何ということだ、前からおかしいと思われていたとは。
「え? この子って、前はどんな喋り方をしていたんだ?」
「男口調っていうか、悪ガキ? そんな感じの乱暴な言葉遣いだったわ」
「仕草とか行動も男の子っぽかったねぇ。着る服も野暮ったかったし、せっかく可愛いのに勿体無いってずっと思ってたよ」
だからトカゲの美醜とかさっぱり分からんから! 勿体無いとか言われても、トカゲのオスに好かれたって全然嬉しくないから!
「良かった……おかしいと思ってたのは俺だけじゃなかったんだ」
「誰が聞いたっておかしいでしょ」
「…………個性って大事」
「変に目立つと碌なことが無いよ。早いうちに矯正しときな」
こうまで畳み込まれるとだんだん俺がおかしいのかと思い始めてきた。
俺……おかしくないよね?
週三ペースはちょっと疲れますね……。
計画よりも若干長くなってしまったのであまり推敲出来ていません。
ちょこちょこ修正予定。




