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異郷異形異常譚  作者: とりあたま
第二章 竜の母娘
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第三十話 亜人の巣

 洞窟はそれほど複雑な構造ではなく、分岐が全く無いわけではないがそれほど深くない所で行き止まりになっていて進む上ではそれほど苦はない。

 しかしやはりというか、行く先々で住人たる赤禿亜人や食いカスの残骸と遭遇し、精神的には地味に追い込まれていた。

 死臭と腐敗臭が淀んだここの空気は腐っているという表現がしっくりくる。加えてこの洞窟内は湿度が高く、俺を担いで歩くヴィルフリートの表情はかなり辛そうだ。

 その苦悩に俺の体臭も一因している思うと非常に心苦しくなる。

 捕らえられた女たちの様子はやはり酷いもので、彼の呼び掛けに応える者は誰一人として居ない。


「やめて、あげて」


 虚ろな瞳で天井を見上げた真人族の女性に声を掛けているヴィルフリートの顔は思い詰めたように余裕がない。自分の中に渦巻く感情をどうにか鎮めたくて躍起になっているのだろう。

 その耳元でぽつりと呟くように諭すと、彼は目を見開いて信じられないものを見るような目を向けてきた。


「こころ、とざしたのは……とても、とても、つらいから」

「けど……」

「みんな、じごくには、もどり、たく……ない……けほっ」


 言葉の意味がどれだけ伝わったかは正直分からないが、顔を強張らせて絶句している彼を見る限りは突拍子もない方向へは受け止めていないように思う。

 閉ざした心の奥底に僅かながら正気を残している者も居るかもしれないけど、そういう者たちにとって希望もないのに正気など取り戻す事は地獄へ帰ってきたのと同義だ。


「もし、こたえたひとが、いたとして……つれて、いける?」


 俺の問い掛けにヴィルフリートは答えず、瞳を虚空にふらふらと踊らせる。


「そっと、しておいて……あげて」


 希望や救いの手には縋りたくなるものだが、事ここにおいてはこれほど辛いものはない。縋ったものが果たされぬと確信してしまった時の絶望は到底、耐えられるものではないのだ。

 仲間が救い出してくれることを信じて縋り続けたあの女性は、今際の際でも信頼する仲間の名をうわ言のように呟いていた。しかし息を引き取る直前の僅かな一瞬に呟いた言葉と光を失ったその瞳は心の奥底までを深々と鋭角に抉り抜き、悪夢に苛まれることすらある。

 ふぅ、と一つ息を吐いて呼吸を整える、たったこれだけ喋っただけで息が乱れるなんて。

 返事はないが、彼はやるせなさを堪えるように歯を食い縛ると俺を肩に担ぎ直して出口を目指した。

 それ以降、彼はまだ息のある被害者と遭遇してもその存在を目で確認するに止めて黙々と洞窟を歩く。

 しかし割り切ったわけではないようで、持て余した感情は赤禿亜人へと向けられた。彼らを見掛ければそれがたとえどれだけ遠く、その時点では放っておいても問題が無さそうなものまでも即射殺していくのだ。

 見つかると不味いので早めに始末することに否はないのだが、あまりに無計画に行えば今度は別の懸念が発生する。


「ざんだん、は?」


 討伐隊のような数を捌く事を念頭に置いた装備で出てきたともかく、通常通り狩りに出ていたのならばそれほど多くの銃弾を用意しているとは思えない。

 正確に数えているわけではないが、この洞窟で二十発以上は撃っているだろう。

 ついでに言えば弾丸を撃ち出す際に銃へ注いで消費されるマナも無限ではない。ヴィルフリートのマナ許容量がどれくらいか知らないが、僅かな消費量でもそう間隔を空けず法術を行使し続ければ消耗する。

 返事はないが、その微妙な沈黙が既に答えているも同然だ。

 この男、ちょっと感情に身を任せすぎ。

 それに加え、もう一つ懸念している事がある。

 ここは奴らの巣なのだ、当然行き来は多い。最初に彼が射殺した赤禿亜人の死体辺りはそろそろ発見されていてもおかしくない。


「かつぎなおして」

「は?」

「うしろ、みてる」


 水筒からもう一口水を貰って先程より幾らか喋りやすくなった気がする。これなら多少辛くはあるが詠唱も紡げるだろう。体内を巡るマナの量は少なく流れも乱れているが、全くやれない事はないだろう。

 それまで肩に担がれていたのを、背に負ぶさる格好に変える。ヴィルフリートの手を塞ぐわけにはいかないので、両腕を前に回してしがみつくような格好だ。襷掛けに背負われた薄い背嚢が邪魔をして不格好だけど、我慢しよう。

 背後を振り向いても今はまだ追ってくるような影は見えないが、奴らは必ずやって来る。

 しかし困難は後ろからではなく、前に立ち塞がった。

「げ……」と呻いた彼の肩越しにそこを覗き込むと、一際広い空間に大勢の赤禿亜人が集まっていた。


「ここはそとからとってきたたべものを、あつめておくところ」


 集っている亜人の中心辺りに目を凝らすと、辺りに血塗れの羽毛がそこかしこに散乱しているのがわかる。どうやら犠牲者は羽竜族らしい。

 そう告げるとヴィルフリートの肩が僅かに震え、こちらを振り向こうとして躊躇い、そして前に戻る。

 きっとこう尋ねようとしたに違いない、「お前も食ったのか」と。

 無論だ、でなければとっくに死んでいる。ここでは他に食料を調達する手段はない。

 俺もここには何度も訪れた。

 食い荒らされた残骸を漁り、誰かが遺した携行ヒーターで骨に残った肉を焙って齧り今日まで命を繋いできたのだ。

 それが何の肉か、考えばすぐさま命を絶ちたくなるので敢えて考えないようにしていたけれど、咀嚼して飲み込むごとに「ごめんなさい」と呟き涙が溢れた。

 それはひとまずおいて、ここをどう切り抜けるか、だ。


「あれはしょくじにむちゅう。たべてるあいだは、よそみしない」


 奴らは本能の欲求に忠実だ。近付くと食い物を奪われると思うらしく、目を血走らせて唸り声を上げて威嚇するが、他は何をしようと全く見向きもしない。


「でも、あいつはそう甘くないみたいだ」


 そう彼が指差した先を目で追うと、粗末ながらも腰に布を巻いた亜人がやや高くなった岩の上に腰掛けて、大きな肉塊に齧り付いているのが見える。

 そいつは他の赤禿亜人らに比べると一回り程も大きな体格を誇り、これまた他の奴とは特徴の異なる丸みを帯びた亜人を五匹侍らせてた。

 この巣を支配しているボスだ。

 亜人は他種族の女を使って繁殖するが、メスがいないわけではない。あの個体の周りに居るのがそうだ。

 同種のメスを孕ませるのはボス以外には許されず、他種族の胎から産まれた子は総じて脆弱で知能が低い。俺が産んだ子は特に弱かったため、乳も碌に吸えず数日で死んでしまった。

 加えて他種族から産まれるのは全てオスばかり。彼らは言うなれば、ボスのハーレムとその一家を支えるために延々と生み出される働きアリなのだ。


 あれにヘッドショットを決めて始末すれば万事解決、となればどれだけ楽だろう。

 だが現実にはボスが殺されればハーレムのメスが騒ぎ、それに気付いた他の奴らも騒ぎ始めるだろう。それはたちまち巣全体に及び、まさに蜂の巣をつついたような大騒ぎに発展するのは間違いない。

 …………いや、それはそれでアリだな。上手くやれればこの巣全体の注意をこの空間に釘付け出来るかもしれない。捕らえられた女たちにとっては傍迷惑だろうが、直接的な被害は多分ないと思うので目を瞑って貰おう。


「ほかににたの、いる?」

「ここから見える範囲には居ないな」


 息子や孫は居ない、巣の最奥に押し込められているのだろう。ボスにとってみれば血を引く大事な跡継ぎであっても、自分が健在の間は己の立場を脅かす存在でしかないからな。


「たまはあとどれくらい、のこってる?」

「……六発だ」


 残りそれだけで、どうやって切り抜けようと思ったのだろう。本人もばつが悪そうに明後日の方向へ視線を向けている辺り、分かってはいたようだ。

 まぁ、とりあえずそれだけあれば十分だ。うまくいけばここから先は一発も撃たずに済むかもしれない。


「トカゲをたべてるやつのうち、ボスにちかいのをうって」

「それでどうするんだ?」

「ボスのきをひいて、あれにちかよったらうちころす」

「そんなことをしたら奴らが大騒ぎを始めるぞ」


 こちらを振り替えって懐疑的な目を向けてくるヴィルフリートにコクンと頷き返すと、彼は「はぁ?」とますます顔を顰めた。

 勘が悪い、とは言うまい。こんな事はあいつらと直に触れ合うような立場に堕ちないと分からないのだから。


「だいじょうぶ。しっぱいしても、いまよりわるくならない」

「なんだよそりゃ!? ……本当に大丈夫なんだろうな」


 再びコクンと頷いて答えると、ヴィルフリートは渋々小銃を構えて岩陰から狙いを付ける。


「はでにたおれるように、できる?」

「分からんが……やってみるさ」


 照門を覗き込み一つ息を吐いて呼吸を整え、引鉄を引くと耳に馴染んできた軽快な破裂音が小さく響いた。

 狙われたのはボスに背を向けて骨に付いた肉を貪り、口から下を血で真っ赤に濡らしている奴だ。そいつは喉より少し下を撃ち抜かれ、弾かれるように後ろへ転がり倒れた。

 それをすぐ眼下に収めているボスは怪訝そうに凝視するが、動く様子はない。


「もういっぱつ。こんどはたかってるほうよりで」


 俺の囁きに溜息で答えると彼は一旦引いた小銃を再び構え、狙いを定めて引鉄を引く。

 次に狙われたのは先程倒れた奴のすぐ近くで血塗れの羽根を毟っていた亜人。そいつも喉付近を撃ち抜かれ、断末魔の代わりに口から大量の血を噴出して倒れた。

 立て続けに二匹が斃れた事で不審感を無視出来なくなったらしい、ボスは傍らのメスに持っていた肉を押し付けて横臥した二匹の所へ歩いていく。


「さけぶまえに、しとめて」


 しゃがみ込み、その胸に穿たれた小さな穴を覗き込み、それが飛んできた方向――つまりこちらを見たボス。その額にボコっと穴が穿たれ、他の個体と比べるべくない肉付きの良い身体がゆっくりと後ろへ倒れこんだ。

 その様子を見てざわめくメスたちが岩から降り、倒れたボスの周りへと集まっていく。


「はしるじゅんび」

「お、おう」


 俺も大分整ってきたマナの巡りを操作し、掌へと集めながらヴィルフリートにしがみ付く腕の力をきゅっと強めて身体を密着させた。背嚢だけじゃなく、身体の割にでかい乳も邪魔だ。

 そうしていると広間から甲高い悲鳴のような絶叫が上がった。メスが自分たちの主が死んだのに気付いたようだ。

 その叫びは食事に夢中だった赤禿亜人たちの本能を別方向へ捻じ曲げるほどの威力を以って響き渡った。次々に顔を上げた彼らの視線は、ボスの死体に取り付き、揺り動かして鳴き叫ぶメスたちへと集まっていく。そして今まで喰らい付いていた獲物を手放し腰を上げると、メスたちを取り囲んで襲い始めた。


「なッ! ……どういうことだ?」

「せつめいはあと、うしろからもきてる」


 目の前で繰り広げられる異様な光景に驚き目を見張るヴィルフリートを急かし、先程歩いてきた暗い狭い空間を一瞥する。まだ姿は見えないが、声は聞こえた。耳を澄ませて意識をそちらへ傾ければ彼にも聞こえるだろう、怒りとも歓喜ともつかぬ異様な叫びが広間に負けぬ勢いで迫っている。


「ほ、本当に大丈夫なんだよなぁ!?」

「だいじょうぶ」


 あいつらの性質はこの身に嫌というほど刻み込まれたのだ。

 生殖は奴らにとって何にも優先される至上目的だ、行為中の奴らは隣で親兄弟が殺されようが見向きもしない。それはここに来る間に既に証明されている。それにも増して、この機会は奴らにとってまさに降って湧いた千載一遇のチャンスなのだ。それに抗うなどという選択肢は奴らの中では最初から存在しない。

 意を決して踏み入ったヴィルフリートはメスに群がったおかげでがらんと空いた空間に飛び込み、一目散に駆け抜ける。

 思った通り、こちらへ注意を向ける者はあの中には一匹たりと居ない。

 広間を突っ切り再び細い通路へと彼はそのままの勢いで走り続ける。途中、騒ぎを聞きつけた赤禿亜人と何度か遭遇したが蹴り飛ばして押し通った。

 それを見ていきり立った亜人が腕を振り上げ気勢を上げて追ってくる。


「きにしないで、さきをいそいで」

「そうするしかないじゃないか!」


 いくらここが奴らの巣でも、足元がしっかりとしていれば歩幅も体格も圧倒的に違う彼に追いつけるはずがない。あいつらはバカだから諦めるという判断も出来ないが、道を塞がれてしまえば手も足も出まい。

 広間から先へ出た事は今まで無かったが、流れる空気が少し変わった気がする。床に寝転ぶ女も、食い散らされた残骸も無い。


「でぐち……」


 ポツリと呟いたその瞬間、心の奥底に押し込め蓋をしていたものが首を擡げた。

 行く手を阻もうと立ち塞がる赤禿亜人を踏み倒し、ヴィルフリートはややカーブした上り坂を駆け上がっていく。

 吸い込む空気は冷たく、微かに混ざる爽やかな香りが肺に澱んだものを浚っていくような気がする。腐臭も糞尿の悪臭も、あいつらの不快な体臭も血と精液の生臭さも無い。肩越しに見える岩の壁は、差し込んだ光に照らされてその表面に陰影をくっきり映している。

 胸の内で急速に膨れ上がっていくモノを唇を噛んで押し止める。

 まだだ。まだ、自分に課した役目が終わっていない。

 それでも内から湧き上がる言いようもない震えは止められそうもない。いけない、これじゃ術式の構築に意識を集中できなくなる。


「ふぅ……ふぅ……」

「レン、どうした? 具合が悪くなったのか?」

「だい、じょうぶ……」


 心と共に胸の鼓動はもしかしたら喉から飛び出してくるんじゃないか、というほど高鳴っている。それを落ち着けようと目をキュッと閉じ、大きく呼吸を繰り返していたらヴィルフリートに勘違いされてしまった。

 もう一度大きく息を吐き、すぅ、と息を吸い込んで一拍息を止める。そしてゆっくり細く吐き出して瞼を開き、掌に集めたマナに意識を集中する。

 流れはうねりに、粒子は糸に。縒り合わせて絡み合わせ、紡いだ綱を指先で弄ぶ。

 掲げた右手の中には金色の光が描く同心円が二つに、それぞれの円周を頂点にした三角形が四角がゆっくり回る。


「我が手に集いし光を束ね――」


 マナを乗せた呪紋を声で紡ぎ、円陣の所定の場所へ配置していく。

 やっぱり杖が無いとマナの編み上げに時間が掛かるし負担が大きい。


「――災禍を阻む盾となれ」


 それでも何とか呪紋の配置は終わり、後は発動句を唱えれば発動する。

 進むほどに光は強く、そしてついに暗闇の中にぽっかり口を開けた光が見えた。行く手を遮るものは何もない。ヴィルフリートがそこへ躊躇いなく身を躍らせると、全身を冬山の冷たく澄んだ空気が包み込んだ。

 久しぶりに浴びた陽の光は暗闇に慣らされた目には眩しく、反射的に瞼を閉じてしまった。これでは役目を果たせないので恐る恐る瞼を細く開き、振り向いて斜面にぽっかり黒い口を開けた洞穴へ右手を翳す。


「冗談だろ……」


 発動句を唱えようとしたまさにその時、ヴィルフリートの震えた声が開いた口を止める。

 何があったのかと正面へと向き直ると、そこには絶望が待ち構えていた。

 大きな顎を赤い血で濡らし、咥えたモノを振り回して辺りに赤い飛沫を撒き散らす不恰好な二足歩行体。地の底へ堕ちたあの日、散々追い回してくれた最悪の凶獣に相違ない。

 洞穴から飛び出てきた俺たちを見つけた恐竜は咥えていた物体をぶん投げ、血走った目でこちらを見下ろす。

 斜面にぶつかり、転がり落ちてきたのは身体に巨大な穴を幾つも穿たれ、四肢は引き千切れる一歩手前で辛うじて繋がっているという見るも無惨な有様の赤禿亜人の死体だった。

 俺たちをあれだけ必死に追い回していたくらいなのだから食えば良かろうに……それともコレが食うのを嫌がるくらいに不味いのだろうか。臭いし汚いし、ありうる……。

 洞窟の出口付近にざっと視線を巡らせれば、辺りに胴が千切れて下半身しかないものや身体の大半が潰れてしまったなど幾つもの死骸が転がっているのが見える。あの広間からここまでの間にすれ違った奴らは、コレから逃げてきたのかもしれない。

 巨大な顎が上下に開き、空気をビリビリ振るわせる咆哮を上げながら恐竜が迫る。


「シールドッ!」

「しっかり掴まってろッ!」


 ヴィルフリートの肩越しに右腕を伸ばし発動句を叫ぶのと、彼が踵を返して駆けだしたのはほぼ同時だった。

 いや、ほんの少し俺の方が早かったらしい。恐竜の鼻先に出現した光の盾は一瞬だけ抵抗したもののパリン、とガラスが割れるような高く乾いた音を立てて呆気なく砕けてしまったが。

 それでも舞い散るマナの燐光が恐竜の視界を僅かに遮り、ヴィルフリートはその隙に枯れ草や木々の生い茂る中へ分け入り、突っ切ってその姿を紛らわせてしまう。所々に新芽の緑が顔を出し始めた山の道なき道を突き進む彼は、幹が曲がりくねった大樹へ駆け寄ると躊躇いなく手を掛けて背負った俺など存在しないかのような勢いでするすると登っていく。

 高い……。

 ロープウェイとは比べ物にならないけど、両腕で掴まっているだけというのが恐怖を更に掻き立ててくれる。碌に力が入らないから下半身がぶら下がったような感じで、しがみ付けずに脚と尻尾がぶらぶらしているのだ。怖すぎて尻尾の羽根が逆立ってしまった。

 そんな俺の状態を把握しているのかどうか、樹の幹から太い枝へとよじ登ると彼はそのまま枝の上を走り、別の木の枝へと跳び移りやがった!

 木の上を疾走するというのも常識ハズレだが、そこから更にジャンプするとか無いわッ! 野人か、野人なのだな。エルフマジ野人。

 恐怖のあまり喉が引き攣って悲鳴が小さく留まったのはいい。だが下半身に生暖かいモノがじんわり広がっているのはいただけない。おのれ、この恥辱……七代祟って許すまぢ。


「ふぅ……なんとか切り抜けられたか」


 何度か枝を渡り最初に登った樹と同じくらいの太さを持った大樹に辿り着いたヴィルフリートは、俺を幹に寄り掛からせるように降ろすと元来た方向に目を凝らして明るい声を弾ませた。その『いい仕事した』って横顔が今は憎らしくて堪らない。睨みつける俺の視線に全く気付く様子はないしこんちくしょう、どうしてくれよう。


「立ってると疲れるだろ? 俺も疲れたし、少し休もう」


 こちらの気も知らんとこの大バカ野郎は太い枝に腰掛けて寛ぎ始めた。

 言われずともお前の暴挙のせいでこっちは足腰がガクガク震えて立ってられんわ! 毛皮の外套で身体をすっぽり包んでもなおぶるぶる震えているのも、コイツにしたら寒さが堪えているように見えるのかもしれん。寒いけど。


「そんなにビクビクしなくても落ちやしないって」


 片手を幹に沿えて慎重に腰を降ろしていたらバカ野郎が可笑しそうに笑いやがった。誰のせいで震えていると思ってんだ……ったく!

 なんとか腰を降ろすと、幹と枝の繋ぎ目は案外と広くて俺くらいの体格なら二人並んでもなお余裕があるくらいのスペースがあった。なるほど、バカが落ちやしないと言うのも頷ける。

 剥き出しの尻に感じる乾いた樹皮の冷たさがちょっと厳しいが、毛皮の外套は腰を覆う程度の丈しかないので耐えるしかない。せめて膝を立てて外套の中に包んで熱を逃がさないようにせねば。脇が大きく開いてるからあんまり意味が無いかもしれないけど。

 姿勢を作ってようやくひと心地付けると、遠くから恐竜の咆哮が聞こえた。

 忘れたわけではなかったが、ふとあの恐竜はあそこで何をしていたのだろう。不味くて食わなかったにせよ、だったらなんで巣の周りに居た奴らをわざわざ血祭りに上げていたのか。それにいきり立ち方が尋常じゃなかったというか、以前は必死だった感じなのにさっきのは怒り狂っていた感じだった。

 顔を上げてそちらを見る――と、何故かヴィルフリートがこちらから明後日の方向へと慌てたように視線を外した。何故? と小首を傾げると今度は背を向けやがった。

 変な奴。

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