第二部。繋がる命のカルテと、双子のワルツ第36話:ひよこ組のバレンタインと、パパのジェラシー
第二部。繋がる命のカルテと、双子のワルツ
第36話。ひよこ組のバレンタインと、パパのジェラシー
真っ白な校庭の片隅で、千秋先生に温かいココアで手を温めてもらい、陽太パパを校門の前で大号泣させてから、さらに数ヶ月の月日が流れた。
私たちの世界のカルテには、ついに『初めてのバレンタインデー(手作りチョコレート)』という、最も甘くて、そして最も大騒ぎな新しいページが追加されようとしていた。
「できたぁ……っ! 千秋先生、喜んでくれるかな」
バレンタインの前日の夜。
私は診療所の奥にある自宅のキッチンで、陽太パパの奥さんに優しく手伝ってもらいながら、一生懸命にチョコレートを溶かしていた。
おっとり天然で不器用な私は、チョコを型に流し込む時にうっかり手元を滑らせて、自分の鼻の頭にチョコをちょこんとつけてしまい、奥さんに「あらあら、みことちゃん、自分がチョコの妖精さんになっちゃったね」とクスクス笑われてしまう。
それでも、生まれつき涙もろくて一途な私は、湯気で目を潤ませながら、大好きなあの人の顔を思い浮かべて必死に型を整えた。
完成したのは、ちいさなピンクのハートを持った、可愛いクマさんの手作りチョコレートだ。
そして迎えた、二月十四日の放課後。
陽太パパが診療所でまだ忙しく働いている時間、誰もいない静かなリビングで、私はちいさな背中にチョコを隠しながら、ソファに座る千秋先生(六歳)の前に恥ずかしそうに立った。
「あぅ、あの……千秋先生。これ、いつも優しく守ってくれるお礼です……っ。どうぞ!」
顔を真っ赤にしながら、一生懸命に手を伸ばしてクマさんのチョコを差し出す。
千秋先生は一瞬だけ驚いたように丸い目を見張ったあと、深く目元のシワを寄せるようにして、本当に嬉しそうな大人の笑顔を浮かべた。
(ありがとう、美琴ちゃん。赤ちゃんの体になってから、いつ君からチョコがもらえるか、実は僕の心のカルテは毎日ドキドキして待っていたんだよ。世界一最高の処方箋だね)
千秋先生はちいさな手でチョコを大切に受け取ると、私の頭を、大きな……ではなく、ちいさな、温かい手でぽんぽんと優しく撫でてくれた。あの前世の長い遠回りの日々から、何も変わらない愛おしさが手のひらから伝わってきて、胸がぽかぽかと温かくなる。
「――ちょっと待ったぁぁぁーーっ!!! パパは! パパの分の愛のチョコレートはどこにあるんだいぉぉぉーーっ!?!?」
突然、リビングのドアが激しい音を立てて開き、白衣姿の陽太パパが髪を振り乱して突入してきた。
その目はいつもの感動の涙ではなく、『過去最大の大嫉妬』で真っ赤に血走り、まるで子供のように床をバタバタと踏み鳴らしている。
「パパね、今日の外来を死に物狂いで早く終わらせてね、みことちゃんから『パパ大好きチョコ』がもらえると思って、ずっとポケットを空っぽにして待っていたんだよぉぉぉ! なのに、なんで千秋くんだけ手作りクマさんチョコなんだいぉぉぉっ! 千秋くんずるいぃぃ!!」
陽太パパが本気で嫉妬してジタバタと暴れるものだから、私は天然を発揮してあわあわとうろたえ、千秋先生は(やれやれ、本当に僕たちの息子は独占欲が強くて困るね……)と、ちいさな手を額に当てて呆れ顔でため息をついている。
「おい、ちびっこたち。人間のジェラシーのカルテというのも、なかなかに見苦しくて面白いな」
ざあっと、心地よい冬の風が吹き抜け、窓辺にあの銀髪の神様がふわりと腰掛けていた。手には、どこから盗んできたのか、私が陽太パパ用に用意していた市販の義理チョコを、お茶目にポリポリと美味しそうに食べていた。
「か、神様……っ! それ、パパのチョコです……っ!」
私が心の中で叫ぶと、神様はチョコを飲み込んでにやりと不敵に笑った。
「神への供物だ。……ほら、泣き虫の若い医者よ。そんなに怒るな、お前には神の私から、来月のホワイトデーに『とびきりの悪戯(お返し)』を授けてやるからな」
神様がパチンと綺麗に指を鳴らした瞬間、私の右手の薬指の(目には見えないけれど確かにある)水晶の指輪がキラリと黄金色の光を放ち、大パニックだったリビングが、不思議な温かい多幸感で包み込まれていった。
「楽しみに待っているがいいぞ、ちびっこたち」
神様はそう言い残すと、白い羽を揺らして青い空の向こうへと消えていった。
「う、うわぁぁん! 神様に僕のチョコを食べられちゃったよぉぉぉ!」
陽太パパが今度は悲しさと悔しさで白衣の袖をびしょ濡れにして大号泣し、奥さんがキッチンから
「陽太さん、子供相手にみっともないわよ!」
と呆れて笑っている。
そんな賑やかな我が家の姿を見ながら、私は生まれつき涙もろい目のまま、千秋先生とちいさな手をソファの下でぎゅっと繋ぎ直して、あぅあぅと幸せいっぱいの声を上げた。
大病院の権力も、難しい医学の言葉も、今の私たちのちいさな手のひらには何もない。
けれど、こうして手作りチョコを渡してパパを大爆発させ、千秋先生の変わらない包容力に守られて笑い合う毎日は、五十年の遠回りなんて一瞬で吹き飛んでしまうほど、きらきらとした最高の愛に満ち溢れていた。
神様がくれた、生まれ変わりの処方箋。
私たちの双子のワルツは、陽太パパの賑やかな大ジェラシーと、窓の外の優しい冬の風に乗って、ここからさらに温かく、誰も見たことのない新しい愛のページをめくっていくのだった。
(第36話・了。第37話へつづく)




