第二部。繋がる命のカルテと、双子のワルツ。第31話。ひよこ組のお医者さんごっこと、小さなお守り。
50年目の恋文 〜神様の決めた許嫁と歩む、半世紀のカルテ
〜第二部。繋がる命のカルテと、双子のワルツ~
第31話。ひよこ組のお医者さんごっこと、小さなお守り
手品風船で泣いているお友達をあっという間に笑顔にして、陽太パパを幼稚園の玄関先で大号泣させてから、数週間。
私たちのひよこ組では、空前の
『お医者さんごっこ』ブームが巻き起こっていた。「はいっ、みこと看護師さんです! つぎの患者さん、どうぞ〜!」
私はすっかり楽しくなって、画用紙で作ったナースキャップを頭に乗せ、おっとり天然な笑顔で受付の真似ごとをしていた。
周りの子供たちが
「お腹が痛いです!」
「頭がぽんぽんです!」
と楽しそうに並んでいる。
けれど、お隣のちいさなダンボールの診察室に座る千秋先生(三歳)だけは、おもちゃの聴診器を首にかけ、大真面目な顔でカルテ用の白紙のノートを見つめていた。
(……うーん、美琴ちゃん。子供たちの『お腹がぽんぽん』という主訴に対して、触診なしで風邪薬を処方するというのは、本物の小児科学会のガイドラインに照らし合わせても、なかなかに難易度が高いカルテだね)
(あはは、先生、お顔が難しすぎますっ! これは『ごっこ』なんですから、笑顔でラムネを「どうぞ」ってしてあげれば大正解なんですよ)
私が天然を発揮して、先生の白くてちいさな頬にラムネをちょこんと押し当てて二人でクスクスとラブラブしていると、ふと、園庭の窓の外に視線がいった。
大きな楠の木陰にあるブランコの横。
そこには、みんなの輪に入ろうとせず、寂しそうに自分の膝を抱えて、ぽつんと一人ぼっちで座っているちいさな女の子の姿があった。
「あぅ、あぶぅ(あの、先生……)」
私が服の袖を引っ張ると、千秋先生もすぐにその子の異変に気づき、知的な瞳をすっと細めた。
私たちはダンボールの診察室を出て、よちよちと園庭の木陰へと歩いていった。
「こんにちは。どうして一人で座っているの?」
私がおっとり声をかけると、その女の子はびくっと肩を揺らし、くりくりとした大きな目から、今にもボロボロと涙をこぼしそうな顔で私たちを見上げた。
「あのね……おじいちゃんがね、病気で入院しちゃったの。いつも優しかったおじいちゃん、最近ずっとお布団のなかで苦しそうで……。わたし、おじいちゃんに会いたくて、涙が出ちゃうの」
その言葉を聞いた瞬間、他人の痛みに誰よりも敏感な私の胸が、ぎゅっと締め付けられた。
おじいちゃんの病気、そして孤独な寂しさ。生まれつき涙もろい私は、その子の手をぎゅっと握りしめながら、真っ先にボロボロと大粒の涙を流してしまった。
「分かります、分かりますよ……っ。大好きなおじいちゃんが苦しそうなの、とっても悲しいですよね……っ」
私が一緒になって大号泣するものだから、女の子は逆にびっくりして涙が止まっている。
「おや、美琴ちゃん、また君が先に泣いちゃうんだね。……ねえ、君のおじいちゃんの名前は、なんていうんだい?」
千秋先生が私の涙をちいさな指先で優しく拭いながら、その女の子に問いかけた。
女の子は服の袖で鼻をすすりながら、ぽつりと答えた。
「……おうじ、っていうの。いりょうざいだんの、お仕事をしてるの」
「え……っ!? 叔父さん……!?」
私と千秋先生は、同時に驚きで目を見張った。
なんと、その目の前のちいさな女の子は、あの台風の夜、私たちの診療所で涙を流して改心し、裏の黒幕たちとの決戦でも命がけで協力してくれた、あの医療財団の『叔父さんの、ちいさな孫娘』だったのだ!
あの後、叔父さんは体調を崩して入院していたのだろうか。
千秋先生の瞳に、かつて共に戦った同志を想う、熱い『医は仁術』の光が宿った。
千秋先生は、自分の制服のポケットをごそごそと探ると、五歳の私にくれたのと同じ、あの可愛い布製の『水晶のお守り』をサッと取り出した。
そして、女の子のちいさな手のひらの上に、そっと載せてあげた。
(これをね、おじいちゃんの枕元に置いてあげて。おじいちゃんの心のカルテを元気にする、神様の特効薬さ。僕たち親子三人の……ううん、この街のたくさんの子供たちの笑顔が、おじいちゃんを絶対に守ってくれるから。大丈夫だよ)
言葉にはならない。
けれど、千秋先生の缠う圧倒的な包容力の温かさが、お守りを通じて女の子の心へと真っ直ぐに染み渡っていった。
「……うんっ! おじいちゃんに、届けるね! ありがとう、千秋くん、美琴ちゃん!」
女の子の顔に、本物の最高の笑顔が戻り、お守りをぎゅっと抱きしめて教室へと走っていった。
ざあっと、園庭の大きな楠の葉が、心地よい秋の風に揺れてカサカサと鳴り響いた。
見上げると、木の一番高い枝の上に、あの白い服を着た銀髪の神様がひょっこり腰掛けて、どこから持ってきたのかお祝いのクッキーを美味しそうに食べながら、お茶目ににやりと笑っていた。
神様がパチンと綺麗に指を鳴らした瞬間、私の右手の薬指の(目には見えないけれど確かにある)水晶の指輪が、キラリと神々しい黄金色の光を放ち、遠く離れた大病院のベッドで眠る叔父さんの体が、すうっと温かい奇跡の光で包まれるような優しい予感が、空高くへと昇っていった。
「過去の因縁も、こうして新しい子供たちのカルテで美しく繋がっていくな。ちびっこ名医たち、お前たちの紡ぐ愛の糸は、どこまでも広がり続けるぞ」
神様はそう言い残すと、白い羽をパタパタと大きく羽ばたかせて、青い空の向こうへと消えていった。
夕方。診療所を終えて迎えにやってきた陽太パパが、幼稚園の先生から
「千秋くんたちが、寂しそうにしていた財団の孫娘さんを、とっても優しい笑顔にしてくれたんですよ」
と聞かされて、やっぱりお約束のように玄関先で滝のような大粒の涙を流して大号泣した。
「う、うわぁぁん、千秋くん、みことちゃん……っ! 二人はまだ三歳なのに、かつて僕たちを救ってくれたおじさん(叔父さん)の家族まで、その優しい手のひらで救っちゃうなんて……っ! パパ、二人が誇らしすぎて、また白衣の袖(パジャマの袖)がびしょ濡れだよぉぉぉ……っ!」
陽太パパがうろたえながら私たちをぎゅーっと抱きしめる姿を見て、私は生まれつき涙もろい目のまま、千秋先生とちいさな手を繋ぎ直して、あぅあぅと幸せいっぱいの声を上げた。
大病院の権力も、難しい医学の言葉も、今の私たちのちいさな手のひらには何もない。
けれど、こうしてひよこ組でお医者さんごっこをしてパパを大号泣させ、千秋先生のちいさなお守りで大切な人の家族の心を救っていく毎日は、五十年の遠回りなんて一瞬で吹き飛んでしまうほど、きらきらとした最高の愛に満ち溢れていた。
神様がくれた、生まれ変わりの処方箋。
私たちの双子のワルツは、陽太パパの賑やかな大号泣と、新しく繋がった家族の未来の足音に乗って、ここからさらに温かく、誰も見たことのない奇跡のページをめくっていくのだった。
(第31話・了。第32話へつづく)




