第4章。嵐の夜の包囲網と、命のカルテ。第20話。嵐のあとの太陽と、、蠢く新たな影。
50年目の恋文 〜神様の決めた許嫁と歩む、半世紀のカルテ
〜第4章。嵐の夜の包囲網と、命のカルテ~
第20話。嵐のあとの太陽と、蠢く新たな影
「結衣さん、私の目を見て! 息を吸って、吐いて! 赤ちゃんは今、お母さんと一緒に一生懸命、外に出ようと頑張っていますよ……っ!」
私の薬指の水晶の指輪と、カバンの中のお守りが放つ、眩しくて温かい『神秘的な白い光』が分べん室を昼間のように美しく照らし出していた。
医療機器のモニターはすべて大停電で沈黙している。
けれど、この神様の奇跡の光のおかげで、結衣さんのお腹の赤ちゃんの力強い鼓動の音が、トクトクと部屋中に鳴り響いていた。
私は結衣さんの額の汗を拭い、彼女の震える手を、一人の母親としてのすべての祈りを込めてぎゅっと、強く強く握りしめた。
難しい専門用語や教科書の知識なんて、今の私には何もない。
けれど、目の前の命を愛する心があれば、私たちはどこまでも強くなれる。
「美琴ちゃん、結衣さんの骨盤をしっかり支えて! 陽太、次の陣痛の波で吸引の準備を。……いくよ、みんなで赤ちゃんを迎えるんだ!」
千秋先生の迷いのない、プロとしての頼もしい指示が飛ぶ。
「はい、先生!」
「はい、千秋先生っ!」
新米医師の陽太も、もう恐怖を忘れた真剣な瞳で、千秋先生の手元を的確にサポートしていく。
「う、うああああああっ!!」
結衣さんが、天を裂くような悲鳴とともに、最後の力を振り絞って大きく息をいきんだ、次の瞬間。
「オギャア、オギャア、オギャア……っ!!」
荒れ狂う嵐の音を完全に吹き飛ばすほどの、元気で、透き通った、美しすぎる赤ちゃんの産声が診療所の中に響き渡った。
「産まれました! 元気な、本当に元気な女の子です!」
陽太が目からボロボロと大粒の涙を流しながら、生まれたばかりの小さな赤ちゃんを、千秋先生の温かい手のひらの上へとそっと乗せた。
ベテラン小児科医の千秋先生の目からも、熱い涙が零れ落ち、深く刻まれた目元のシワを優しく緩めて微笑んでいる。
「よかった……本当によかった……っ」
私は結衣さんと旦那様と一緒に、大声を上げて泣いた。
生まれつき涙もろい美琴は、この命が誕生した圧倒的な奇跡の瞬間に、胸がいっぱいになって涙が止まらなくなってしまったのだ。
これまでの不安や財団への恐怖が、美しい感動の涙となってすべて洗い流されていく。
その時だった。
ガシャアン、
と大きな音を立てて診療所の入り口のドアが開き、数人の男たちが踏み込んできた。
そこに立っていたのは、高級な黒いスーツを雨で濡らした、あの医療財団の最高責任者である冷酷な叔父と、彼が引き連れてきた大病院の冷ややかな目をした医師たちだった。
「タイムリミットだ、千秋くん。約束通り、この診療所を強制的に閉鎖するための書類を持ってきた。さあ、今すぐここを――」
叔父は冷徹に言い放ちながら分べん室のドアを開けたが、次の瞬間、その場に釘付けにされたように呆然と立ち尽くした。
そこにあったのは、大停電の真っ暗闇の中、なぜか不思議な水晶の温かい光に包まれながら、一人の赤ちゃんの命を完璧なチームワークで救い、涙を流して笑い合っている、千秋たち親子三人の『本物の医療の姿』だった。
「な、なんだこれは……。機械も動かない暗闇の中で、どうしてお産を成功させたんだ……?」
叔父の後ろにいた大病院の医師たちが、驚きと畏敬の念を込めて声を震わせている。
千秋先生は、赤ちゃんを愛おしそうにタオルで包みながら、叔父に向かって真っ直ぐに、吸い込まれそうなほど知的な瞳を向けた。
「叔父さん。これが僕たちのカルテだ。医療は、君たちが誇る巨大なビルや、最新の数字や、権力なんかじゃない。どんな真っ暗闇の中でも、目の前の小さな命と家族を、愛の心で救うことそのものだ。君たちの嫌がらせで薬が届かなくても、電気を消されても、僕たちの『医は仁術』の魂までは消せやしない。この診療所は、絶対に渡さない!」
千秋先生の圧倒的な覇気に気圧される叔父の前に、今度は息子の陽太が、古い資料室で見つけた
『五十年前の神様の予言カルテ』を突き出した。
「叔父さん、これを見てください! ここには、あなたの名前も書かれているんだ! あなたが若い頃に抱いていたはずの、純粋に人を救いたかった頃の理想の医療のことが、神様の銀色のインクでありありと記録されている!」
カルテの文字を見た瞬間、冷酷だった叔父の目から、ぽろぽろと大粒の涙が流れ落ちた。
叔父もまた、若い頃は千秋先生のように命を愛する優しい医師だったのだ。
権力に溺れて忘れていた大切な心を、この診療所の奇跡が思い出させた瞬間だった。
「……まいったな。千秋くん、美琴さん……君たちの勝ちだ。私の負けだよ。……診療所の強制立ち退きは、全面撤回する。我が財団は、これからは君たちの医療を全力で――」
叔父が涙を拭いながら深々と頭を下げ、窓の外の激しい嵐が嘘のようにピタリと止んで、雲の隙間から黄金色に輝く美しい朝の太陽の光が、診療所の窓いっぱいに差し込んできた、
その時だった。
――ピリリリリ、ピリリリリ!
叔父のポケットの中で、緊急の電話がけたたましく鳴り響いた。
叔父が青ざめた顔で受話器を耳に当てた瞬間、電話の向こうから、冷酷で不気味な大人の笑い声が微かに漏れて聞こえてきた。
『おやおや、情に流されて負けを認めるかね、責任者殿。我が「裏の経営陣」はね、その程度の甘さでこの街の土地買収を諦めたりはしないよ』
それは、改心した叔父さんのさらに後ろで、医療をただの金儲けの道具としか考えていない、財団を裏から牛牛耳る『本当の黒幕(冷酷な投資家たち)』の影だった。
彼らは叔父の裏切りを最初から予想しており、すでに叔父の解任手続きを進め、力ずくでこの街のすべての病院と診療所を乗っ取るための「黒い包囲網」を完成させていたのだ。
「くっ……! 私の権限が、すでに剥奪されている……! 千秋くん、裏の奴らは本気だ。この街の子供たちの医療を、すべて金儲けのために破壊しようとしている……!」
叔父さんが絶望の声をあげる。
その瞬間、せっかく差し込んだ朝日の光が、再び真っ黒で赤黒い不気味な雷雲に覆われ、
ドガシャーン!
と激しい地鳴りのような雷鳴が轟いた。
窓ガラスの向こう。
舞い散るもみじの枯れ葉の渦の中に、あの銀髪の神様が、いつものお茶目な笑顔を完全に消し去った、神聖で恐ろしい表情で立っていた。
神様の声が、私たちの頭の中に響き渡る。
『人間の欲が、ついに現世の底から本物の化け物(黒い影)を呼び寄せたな。ちびっこたちよ、数十年ぶりに涙を流した古い医者よ。本当の戦いは、ここからだ。神の私の力と、お前たちの命のカルテをひとつにして、この街の未来を懸けて、奴らの悪意を打ち破ってみせよ!』
神様がパチンと指を鳴らした瞬間、
私の薬指の水晶の指輪が、これまでにないほど激しく紅く燃え上がるように輝き始めた。
無事に産まれた命と、叔父さんの改心。
しかしその裏で蠢く本当の黒幕たちの陰謀。
現世の理不尽な巨悪に対して、神様と、私たち親子三人、演じて味方になった叔父さんがひとつになって立ち向かう、命をかけた本当の『最後の聖戦』が、今ここに幕を開けようとしていた。
(第20話・了。第21話へとつづく)




