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第4章。嵐の夜の包囲網と、命のカルテ。第18話。影の包囲網と、届かない処方箋。

50年目の恋文 〜神様の決めた許嫁と歩む、半世紀のカルテ


〜第4章。嵐の夜の包囲網と、命のカルテ~


第18話。影の包囲網と、届かない処方箋 


先代の資料室で見つかった、五十年前の神様の予言カルテ。 


そこに記されていた『光が強まれば、影もまた濃くなる』という不穏な言葉は、あまりにも早く、最悪なカタチとなって私たちの前に現れた。


「……どういうことですか!? 今月分の小児用の粉薬や、妊婦さん用のビタミン剤の納品がすべてストップしているなんて!」 


診療所の受付で、息子の陽太が受話器を握りしめ、怒りで声を震わせていた。 


医療財団の最高責任者である叔父から


『来月末までの強制閉鎖』を言い渡されてから数日。


財団は、その圧倒的な権力を使って、私たちの小さな診療所に卑劣な嫌がらせを仕掛けてきたのだ。


街の製薬会社や卸業者に圧力をかけ、私たちの診療所への医薬品の流通を、力ずくで遮断してしまったのである。


「陽太先生、落ち着きなさい。声を荒らげたら、待合室の患者さんたちが不安になってしまうよ」 


診察室から出てきた千秋先生は、上品な白髪の混じった髪を少し揺らしながら、いつものように穏やかな声で陽太をなだめた。


けれど、深く刻まれた目元のシワの奥にある瞳は、これまでに見たことがないほど鋭く、静かに怒っていた。


「薬が届かないなら、僕のツテで他の街から取り寄せるさ。『医は仁術』、どんなに卑怯な壁に囲まれようとも、僕たちがカルテを閉じる理由にはならない」 


千秋先生の凛とした横顔を見て、おっとり天然な私の胸にも、熱い火が灯る。


そうだ、私も泣いてばかりはいられない。


55歳から始めた助産師の勉強。


難しい医学用語は覚えられなくても、不安なお母さんたちの手を握ることはできる。


私は分厚い教科書をぎゅっと胸に抱きしめ、強く頷いた。 


――しかし、財団の仕掛けた包囲網は、私たちの想像以上に冷酷だった。 


その日の夕方。


以前、診療所に相談に来てくれた、来月に大切な出産を控えた妊婦の『結衣ゆい』さんが、顔を真っ白にして受付に駆け込んできたのだ。


「美琴さん……千秋先生……っ。どうしよう……っ」


「結衣さん!? どうしたのですか、お腹が痛むの……っ?」 


生まれつき涙もろい私は、結衣さんの震える声を聞いただけで、一瞬で大粒の涙を流して彼女の手を握りしめた。


「ううん、お腹は大丈夫なんです。でも……さっき、財団の新しい大病院のスタッフが私の家に来て、『あの診療所は来月潰れる。あんな設備のない場所で産んだら、赤ちゃんの命の保証はない』って、無理やり別の病院へ転院する書類にサインさせられそうになって……。怖くて、怖くて……っ」 


結衣さんは大粒の涙をこぼし、大きなお腹を愛おしそうに、守るように抱きしめた。 


ただの権力争いのために、お産を控えた妊婦さんを脅して不安に陥れるなんて。


他人の痛みに敏感な美琴の胸が、怒りと悲しさで激しく張り裂けそうになった。


「……結衣さん」 


千秋先生が結衣さんの前にそっと屈み込み、あの大きくて温かい手で、彼女の肩をぽんぽんと優しく叩いた。


「嫌な思いをさせてしまって、本当にすまないね。でも、約束するよ。大病院の最新の機械がなくても、ここには君の不安を自分のことのように泣いて分かち合える、世界一優しい助産師の卵がいる。僕たち親子三人のすべてのカルテをかけて、結衣さんと赤ちゃんは、絶対に僕たちが守り抜く」


「千秋先生……美琴さん……っ」


結衣さんの顔に、ようやく安心の笑顔が戻り、その手を私の手のひらでぎゅっと温めた。 


結衣さんを裏口からそっと送り出した後、診療所の外は、急激に怪しい黒い雲に覆われ始めていた。


大気を揺らすような不穏な地鳴り。


天気予報によると、今夜、この街を近年稀に見るほどの巨大な猛台風が直撃するという。 


バサバサバサッ!


突然、診療所の窓の外で、激しい風が吹き荒れた。 


驚いて外を見ると、並木道の赤く色づいたもみじの枯れ葉たちが、木枯らしのようにくるくると、まるで何かを警告するように激しく宙を舞っている。 


そして、その枯れ葉のワルツの中心――診療所の屋根のひさしの上に、あの頃と全く変わらない姿の銀髪の神様が、いつものお茶目な笑顔を完全に封印した、神聖で恐ろしい表情で立っていた。 


神様の声が、直接私たちの頭の中に響き渡る。


『ちびっこたちよ。影の包囲網がいよいよ完成するな。人間の現世の理不尽が、嵐を呼んでいる。……今夜、お前たちの前に、命の最大の試練が訪れるぞ。最初の約束の力を、神の私の前で見せてみせよ』 


神様がパチンと指を鳴らした瞬間、カランと音がして、私のカバンの中にあったあの五歳の時の『水晶のお守り』、そして私の薬指の『水晶の指輪』が、不気味に、そして熱く激しく明滅を始めた。


「お父さん、お母さん! 外の風、尋常じゃないよ! 大停電が来るかもしれない!」 


陽太が窓を閉めながら叫ぶ。 


薬が届かない診療所。 

迫り来る巨大な嵐と、財団の陰謀。 


そして、


まだ予定日ではないはずの、結衣さんのお腹の命に迫るカウントダウン。 


神様が五十年前から仕組んでいた運命のカルテは、この嵐の夜、私たち親子三人を巻き込んで、激しく、残酷に動き出そうとしていたのだった。


(第18話・了。第19話へつづく)

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