第5章。50年目のハッピーエンド。第14話。永遠の処方箋と、新しく開くカルテ(最終回)
50年目の恋文 〜神様の決めた許嫁と歩む、半世紀のカルテ
〜第5章。50年目のハッピーエンド~
第14話。永遠の処方箋と、新しく開くカルテ(最終回)
夫の拓海くんを天国へと見送り、息子である陽太も立派に自立して、私は五十五歳になった。
一人になった静かな一軒家で、私は引き出しの奥から、あの日からずっと守り続けてきた木箱を取り出した。
中には、五歳の夏休みに神様からもらった『水晶が入ったお守り』が眠っている。
手のひらに載せた瞬間、中の水晶がカッと温かい光を放ち、頭の霧が完全に晴れ渡った。
幼い頃、神社の境内で銀髪の神様に言われたお告げの記憶が、鮮烈に蘇る。
『あの男は千秋という。お前の運命の男だ。……お前たちが歩んだ道は、決して無駄ではない』
「千秋先生……っ」
生まれつき涙もろい私の目から、大粒の涙が溢れ出した。
私はお守りをぎゅっと握りしめると、導かれるように家を飛び出し、すべての始まりの場所――実家の古い神社の境内へと向かって、息を切らせて走り出した。
夕日が境内を真っ赤に染め上げる中、息を切らせて鳥居をくぐった私は、その場に立ち尽くした。
大きな楠の木陰。
そこには、大病院の院長を退任し、上品な私服姿に少し白髪の混じった髪を風に揺らしながら、あの頃と変わらない優しい瞳で佇む、六十七歳の千秋先生の姿があった。
「……長い時間がかかってしまったね、美琴ちゃん」
「先生……っ、私、自分の人生の宿題を、全部やり遂げました。拓海くんを最後まで愛して、陽太も育てました。だから……っ」
ボロボロと涙を流す私に、千秋先生は一歩近づくと、上着のポケットから、大病院の院長室からずっと持ってきていた、あの古びたピンク色の『プラスチックのおもちゃの指輪』を取り出した。
「お互いにたくさん遠回りをして、それぞれの義務を全うしたね。拓海くんとの『美琴ちゃんを最後までよろしく頼む』っていう男の約束、今から果たさせてもらうよ」
その瞬間、ざあっと心地よい温かい風が吹き抜け、本殿の屋根の上に、あの頃と全く変わらない姿の銀髪の神様がひょっこりと現れた。
神様はお茶目ににやりと笑うと、千秋先生の手元に向かって優しく息を吹きかけた。
すると奇跡が起きた。千秋先生の手の中にあったプラスチックのおもちゃの指輪が、夕日の光を浴びて、眩いほどに輝く本物の『美しい水晶の指輪』へと変化したのだ。
「50年待たせてごめんね。これからの僕の人生、僕の妻になってくれませんか。僕の、世界一小さな、大切なお嫁さん」
「……はいっ、喜んで……っ!」
千秋先生は、私の五十五歳の薬指に、きらきらと輝く水晶の指輪をそっとはめてくれた。
今度はぶかぶかではなく、驚くほどぴったりと収まった。
千秋先生は
「これからはお医者さんを辞めて、君と二人で穏やかに暮らそう」
と優しく微笑んだけれど、私は先生の大きな手を両手でぎゅっと握りしめて、真っ直ぐに見つめた。
「先生。大病院の重いお仕事はお疲れ様でした。でも……先生の手を、先生の優しい手品を待っている小さな子供たちが、この街にはまだたくさんいます。だから、もう一度だけ、白衣を着てください。今度は、私が先生の隣で、受付でも看護助手でもなんでもして、先生の医療を一生支えますから……っ」
涙を流しながらも、凛とした強い目で訴える私の言葉に、千秋先生は呆然としたあと、深く目元のシワを刻んで、心の底から愛おしそうに微笑んだ。
「……まいったな。本当に、君には敵わないや。『医は仁術』……君が隣で僕の心を支えてくれるなら、僕は一生、現役の優しいお医者さんでいられるよ。ありがとう、美琴ちゃん」
屋根の上の神様は
「よくぞそれぞれの道を全うした。さあ、これからはお前たちの時間だ」
と満足そうに微笑むと、白い羽をパタパタと羽ばたかせて、青い空の向こうへと消えていった。
――それから、数年の月日が流れた。
実家の神社のすぐ近くに新しく開いた、小さな『千秋地域診療所』。
そこには、白髪混じりになっても現役の小児科医に戻り、ポケットの手品で子供たちを笑顔にする千秋先生と、受付として、おっとり天然ながらも一生懸命に先生を支える私の姿があった。
「千秋先生、美琴さん、こんにちは!」
診察室のドアが勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、新しい白衣をバサリと翻し、千秋先生によく似た、命と向き合う真剣な瞳をした二十代後半の青年
――私たちの息子、陽太だった。
陽太は、四歳の時に千秋先生に命を救われたあの夜から、
「僕も千秋先生みたいに、人の痛みがわかる優しいお医者さんになるんだ」と猛勉強を続け、見事に医学部を卒業して立派な『医師』になっていたのだ。
「陽太、今日も大きな病院での研修、お疲れ様」
私が笑顔でお茶を差し出すと、陽太は照れくさそうに笑いながら、千秋先生の隣に並んだ。
「千秋先生、今日の難しい症例のカルテ、僕にも見せてください。先生の精神、もっと隣で勉強させてほしいんです。いつか僕が、この診療所を立派に継げるようになるために」
陽太の力強い言葉に、千秋先生は本当に嬉しそうに私の手を握りしめた。
私の薬指の水晶の指輪が、診療所の窓から差し込む優しい木漏れ日を浴びて、きらきらと美しく輝いている。
「ああ、いくらでも教えるよ、陽太先生。僕の人生のカルテはね、一度は閉じかけたけれど、美琴ちゃんに支えられ、そして君という新しいドクターに受け継がれることで、現世での最高のハッピーエンドを迎えられたんだから」
五歳のあの夏の日、
神様がくれた小さな処方箋。
それは半世紀という長い時間をかけて、お互いの人生を豊かに彩り、そして次の世代へと繋がる、永遠の愛のカルテとなったのだった。(第一部・本編 完)




