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第8話 なんの、ご褒美なの

 昼過ぎ。

 デスクでスケジュールを確認していると、一通のメールが届いた。


 来週予定していた歌みた収録。

 別のライバーが体調不良で延期になったため、急遽スタジオが空くらしい。


「……前倒し、か」


 もちろん、悪い話ではない。

 むしろ今の鳴くんにとっては追い風だ。


 百万人まで、あと十五万人。


 恋愛ソング歌枠以降も登録者は増え続けているものの、勢いは少しずつ落ち着き始めている。


 今のうちに歌みたを一本出せれば、もう一度波を作れるかもしれない。


 だけど。


 私はモニターの隅に表示されたスケジュールを見つめ、小さくため息を吐いた。


 ここ一週間だけでも、案件が三件。

 コラボ配信が四本。

 歌みたの打ち合わせ。

 ショート動画の撮影。

 さらにライブの準備、ダンスのレッスンまで重なっている。


 正直、詰め込みすぎだ。


 私はDiscordを開いた。

 “明日、スタジオが空くそうです。

 来週予定していた歌みた収録を前倒しできます。

 ただ、鳴くんは最近かなり予定が詰まっているので、無理はしない方がいいと思っています。

 難しければ予定通り来週にしましょう。”


 送信。


 数秒もしないうちに通知音が鳴った。


“ぜひやらせてください!!”


「……早」


 思わず笑ってしまうくらいの即レスだった。

 少しも迷っていない。

 そんな相手に無駄にブレーキをかけてしまうことはしたくない。

 私は苦笑しながら返信を打つ。


“分かりました。

ちなみに、もともといろはさん先に収録予定でしたが、明日までに予定が合わないそうなので、鳴くんパートだけ先に録ります。”


 すぐに返事が来る。


“全然大丈夫です!”


 本当に、仕事のことになると一直線だ。


 だからこそ。

 私はもう一文だけ打ち込んだ。


 “その代わり、一つ約束してください。

 今日の配信は午前一時まで。

 最低でも五時間は寝てきてください。”


 少し間が空く。


 画面の向こうで悩んでいるのが目に浮かぶ。

 やがて返ってきたのは、観念したような返事だった。


“分かりました!約束します!”


 その言葉を見届けて、私はパソコンを閉じた。



 ◆



「おはようございます……」


 翌朝。

 スタジオへ入ってきた鳴くんを見た瞬間、違和感を覚えた。


 少し掠れた声。

 いつもより重たい足取り。

 そして、うっすらと浮かぶ隈。


「鳴くん……何時に寝ました?」


「えっと……」


 言いにくそうに目が泳ぐ。


「正直に」


「……配信、二時までやっちゃって」


 促せば返ってきた返事は予想通りだった。


「……」


「でも、すぐ用意して、寝たのは三時には寝てます」


 私は深く息を吐いた。

 約束を守らなかったことを今更咎めたところで何にもならない。


「何時間寝たの?」


「三時間くらいです」


「……鳴くん」


 でも、ちゃんと伝えなければと思った。

 責めたいわけではないけれど。


「ごめんなさい」


 約束したのに守れなかったこと。

 本心から謝っている鳴くんに、怒る気力が少し削がれてしまう。


「昨日、配信のコメントがすごく盛り上がっちゃって」


「あと少しだけって思ってたら……」


 困ったように笑う鳴くん。

 悪気がないことくらい、分かっている。


 分かっているから、余計に困る。

 配信が盛り上がってしまって切り上げられないことはよくあることだし、長時間配信はファン獲得には有効な手段の一つではあるのだ。


 というか、鳴くんはエンタテイナーとしてファンの需要に応えようとしたに違いなかった。


 でも、体調管理や喉の管理は配信者としては当たり前の仕事でもある。


「……今日だけですからね」


「はい」


「次はありません」


「はい」


 本当に反省している子どもみたいな返事に、私はまた一つため息を吐いた。

 どうしたらこの真面目で一生懸命な男の子を休ませてあげられるのだろう。

 


 ◆

 


「では、もう一度Aメロからお願いします」


「はい」


 ヘッドホンを付け直した鳴くんが、ブースへ入る。


 流れ始めるオケ。

 いつもなら迷いなく乗せる一音目。


 けれど今日は、ほんの少しだけ届かない。


「……っ」


 高音が、伸びない。

 低音も少しだけ息が混じる。

 気付かない人なら気付かない程度。

 でも、何度も鳴くんの歌を聴いてきた私には分かった。


 コンディションが悪い。


「一度止めましょう」


 ディレクターがマイク越しに声を掛ける。


「サビ前、高音が少し苦しそうですね」


「すみません」


 鳴くんが苦笑する。


 その直後。


「ごほっ……」


 小さく咳をした。

 本当に小さい。

 だからこそ、余計に気になった。


 私は台本へ視線を落とす。


 ……今日は鳴くんパートだけ。


 いろはさんは明日収録だ。

 本来なら一緒のタイミングで撮れることが好ましかったけど、二人のスケジュールが合わせられなかった。

 元々はいろはさんの収録の方が先に組んでいたからこんな奥の手は取れなかったけれど。


 二人のスケジュールを合わせられなかったことを逆手にとって。

 ハモリを少し増やしてもらえば。

 ユニゾンを前に出せば。

 最後のロングトーンも二人で分ければ。


 多少コンディションが悪くても──


「高瀬さん」


「……はい?」


 考え込んでいると、エンジニアさんが困ったような顔でこちらへ来た。


「すみません」


「機材の同期が上手くいかなくて」


「復旧まで……三十分」


 一瞬言葉を切り。


「……いえ、出来れば四十分ほどいただいても大丈夫でしょうか」


「もちろんです」


 私は頷くと、スマホ片手に休憩室の予約を取る。

 隣には 「了解です」と言って敬礼してみせる鳴くんがいて。


 アクシデントに焦るスタッフ達も頬を緩ませた。



 ◆


 

「少し休みましょう」


 休憩室へ入るなり声を掛ける。


「え、でも、スタッフさん、まだ作業してるし」


「俺だけ休むの失礼じゃ……」


「失礼じゃありません」


「でも、だったらサインでも」

「いいから」


「休みなさい」


「えぇ……」


 まだ納得していない顔。


 こういうところは本当に真面目なんだから。


「一緒にいてくれるなら休みますけど」


 困ったように笑いながら。

 どう考えても冗談で言った一言。


「分かりました」


「え」


 私はその手首を掴むと、そのまま休憩室のソファへ腰掛ける。


「……え?」


 仮眠するには十分とは言えない2人かけのソファだが、贅沢は言えない。


「ここ」


 ぽんぽんと隣を叩くと、


「え、いや……本気ですか?」


 顔を引き攣らせた鳴くんが半笑いで言った。


「本気です」


「は、はあ……」


 戸惑いながら隣に座った鳴くんに、次は太ももをぽんと叩く。


「え?いや……」


 一瞬にして赤く染まる耳に、


「あの、俺、寝られませんっ」


 上ずる声。


「寝られます」


「……」


 戸惑って泳ぐ目線。


「今日はマネージャー命令です」


「休んでください」


「……」


 鳴くんが完全に固まった。


「あ、の……」


 気まずそうに逸らされた目線に、


「早く」


 少し語気を上げて急かすと、

 

「……なんの、ご褒美なの」


 観念したように頭を抱え、ぼそっと呟く声。


 顔を見ないままに、恐る恐る。

 私の膝へ頭を預けた。


 初めは様子を見るように軽く乗せられた頭をそっと撫でるように抑えると、観念したように力を抜く鳴くん。

 さらりとした髪の感触に、何度か無意識で撫でてしまって。


「へへ」


 鳴くんが笑った声でハッとする。


 ……なんかこれ、やばいな。

 冷静になった私は、サイドテーブルにPCを出して事務作業を始めることにした。


「……」


「……」


 静かだ。

 

 エアコンの音の中にカタカタとPCのタイプ音だけが響く。


 歌割りを修正して、スケジュールを見直して、メールを返して。


 キーボードを叩く、一定のリズム。


「……高瀬さん」


 呼ぶ声は穏やかで、さっきまでの緊張感みたいなものは溶けているようだった。


「なんですか?」


「タイプ音、ASMRみたい」


 思わず笑ってしまう。

 こんなにけたたましいASMRなんてあるのかな。


「キーボードの音、煩くない?」


「うん……ずっと聞いてられるかも」


 でも、鳴くんは確実に落ち着いてきていて。

 吐く息が深くなって、スーツ地の越しに呼気の熱を感じた。


「……落ち着く」


 返事が少しずつ遅くなる。

 横目で確認するとまぶたもきちんと閉じていた。


「ちゃんと寝てください」


「……はい」


「おやすみなさい」


「……おやすみ、なさい」


 それきり返事はなかった。


 規則正しい寝息が、静かな部屋に溶けていく。



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