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第6話 ファンからガチ恋に

 帰りの車内では、来月の案件の話をした。


 歌みたの候補曲。

 百万人耐久までの企画。

 コラボ相手の候補。

 まるで、いつものミーティングだった。


 私もいつも通り返事をしていた……はずなのに。

 本音を言うと何を話したのか、ほとんど覚えていない。


 頭の中では、それどころじゃなかった。


 『俺の彼女になって』


 その一言だけが、何度も何度も繰り返される。


 ……でも。

 もしかしたら、聞き間違いだったのかもしれない。


 あまりにも鳴くんが普段通りだから、さっきまでの出来事が、全部夢だったような気さえしてくる。


 けれど、

 家まで送ってもらい、車を降りようとしたその時。


「高瀬さん」


「ん?」


 窓越しに目が合う。

 鳴くんは少しだけ困ったように笑ってから、照れくさそうに頭を掻いた。


「ほんとは、言うべきじゃないって分かってた」


「……」


「でも、このままじゃ、何も変えられないと思ったから」


 心臓が、小さく跳ねる。


「今はまだ」


 一拍置いて、鳴くんは笑った。


「保護対象くらいにしか思われてないって分かってます」


 冗談めかした口調なのに。

 その瞳だけは、少しも笑っていなかった。


「でも」


 一歩も引くつもりなんてないと。

 そう言っているような目で。


「惚れさせるんで」


「……え?」


「三か月で」


 照れ隠しみたいに笑って。


「ファンからガチ恋にします」


 さらっと、とんでもないことを言う。


「だから」


「心の準備だけ、しておいてください」


 そう言って軽く手を振ると、鳴くんはアクセルを踏んだ。

 ゆっくりと動き出した車は、角を曲がり、やがて見えなくなる。


 ……静かだった。


 住宅街に残るのは、遠ざかるエンジン音だけ。


「…………」


 私は、その場から一歩も動けなかった。


 さっきまで鳴くんが立っていた場所を、ただ見つめる。


 ――ファンからガチ恋にします。

 ――心の準備だけ、しておいてください。


 遅れて、その言葉が胸の奥へ落ちてくる。


「…………っ」


 かぁっと頬が熱を帯びた。


「な、なにあれ……」


 思わず両手で頬を押さえる。


 熱い。

 信じられないくらい熱い。

 心臓は、さっきから落ち着く気配なんてまるでない。


「いやいやいや……」


 ありえない。

 あんなことを真顔で言う子だったっけ。

 いつもへらへら笑っているのに。


 しかも最後の最後に、あんな爆弾だけ置いて帰るなんて。


「ずるい……」


 ぽつりと漏れた声は、自分でも驚くほど小さい。


 もちろん、そこに鳴くんの姿はなかった。





 翌日は、もう一人の担当ライバーいろはさんとの同行だった。


 いろはさんは私より三つ年上。

 元アイドルで、今はこの事務所を代表するVTuberの一人だ。

 現役時代は別々のグループだったけれど、お互いの存在くらいは知っていた。


 グループの規模こそ違ったものの、いろはさんは昔からそのグループを代表する人気メンバーだった。

 テレビやライブで見かけるたびに、「あの子は目を引くな」と思っていたのを覚えている。


 そして今。


 第二のアイドル人生では、いろはさんは誰より早くVTuberという世界へ飛び込んだ。

 時代を読む嗅覚があったのか。

 それとも、ファンとの距離が近いこの世界が、いろはさんに合っていたのか。


 きっと、そのどちらもだったのだろう。


 登録者二百万人を超えるトップライバー。

 今もなお、業界の第一線を走り続けている人だ。


 だからこそ、私も自然と肩の力を抜いて話せる数少ない相手でもある。


「つーちゃん、おはよー!」


 スタジオへ入るなり、大きく手を振ってくる。

 その距離感は、担当当初から変わらない。


 高瀬紬(タカセツムギ)という私の下の名前も、アイドルをやめて社会人になったら呼ぶ人は限られるのだ。


「お疲れさまー!」


 マイクを外しながら、いろはさんが大きく伸びをした。


「つーちゃん、このあと時間ある?」


「ありますよ」


「じゃ、ご飯行こ」


「いいですね」


「やった」


 他スタッフに簡単に挨拶を交わしながら、二人でスタジオを後にする。


「つーちゃんと離れるの嫌だったんだよねぇ」


「え?」


「担当変更」


「ああ……」


 廊下を歩きながら、いろはさんはにこにこしている。

 色気のある大人のお姉さんを思わせる2Dモデルとは裏腹に、中の人は小柄で可愛らしい。

 ハスキーなのに甘い声は、一度聞いたら忘れられない。


「でも、鳴くんのおかげで三か月延びたんでしょ?」


「……うん」


「よかったじゃん」


 心から安心したように笑う。

 その姿に、いろはさんも私と離れたくないと言ってくれたのは建前でなく本心なのだと思った。


「私もあと三か月、つーちゃんと一緒に仕事できるー!」


「ありがとうございます」


 いたずらっぽく笑って。


「つーちゃんさ、リマインドも私の生活リズム考えて送ってくれるし、漏れもないし、優先順位も分かりやすいし! 超仕事しやすいんだもん」


 その一言だけで、少し肩の力が抜けた。

 他愛ない話の中で、いろはさんが横目で私を見る。


「それにしてもさ」


「ん?」


「三か月も勝ち取るなんて」


 くすっと笑って肩をすくめる。


「鳴くん、やるじゃん」


「……」


「社長相手に暴れる子なんて、そうそういないよ?」


 ライバーたちは自由奔放な人が多い。

 それでも、社長へ真正面から食ってかかる人なんて見たことがなかった。


「暴れたっていうか……」


 昨日のことを思い出す。


 あれは暴れたというより。

 必死だった。


 ……いや。

 私が行った時には話が付いていたことを思うと、もしかしたら十分暴れたのかもしれない。自身の監督不行き届きでもあるので、考えたくなかった。


「ふふっ」


 いろはさんが肩を震わせる。


「それにしてもさあ」


 少しだけ笑ってから、悪戯っぽく目を細めた。


「ん?」


「つーちゃんも罪な女。モテる女は辛いねぇ~」


「違いますって」


「またまたぁ」


 いろはさんのいつもの軽口に、こんなに動揺してしまうのは。

 昨日、鳴くんが余計なことを言ったせいだ。



 ◆



 数日後。


 今日は、いろはさんのチャンネルで行うコラボ歌枠の日だった。

 ゲストは鳴くん。


 テーマは――恋愛ソング。


 ただ歌うだけではなく、曲の合間に恋愛トークも交えながら進める、いろはさんお得意の企画だ。


 鳴くんはこれまで恋愛については、多くを語ってこなかった。


 ガチ恋のファンへの配慮でもあったし、鳴くんの無邪気なキャラは大人の男性とショタ需要のどちらも満たすことができるため、その辺は濁しておいた方が得が多いと判断していたのもあった。


 でも、今回はいろはさんとのコラボだ。

 大人の色気漂う芸風で受けているいろはさんとコラボするなら、そこは避けても通れない。


 今までは炎上のリスクがあることは極力避けてきた。

 けれど、短期間で数字を稼ぐなら今までと同じ戦略で行っても同じ成果しか得られない。


 だからこそ、今回はあえてその一歩先へ踏み出す。


 恋愛ソングだからこそ話せる恋愛観。


 普段は聞けない一面。

 切り抜きも含め、新しい視聴者へ届くことを狙った企画だった。


「今日、切り抜きいっぱい回りそうだねぇ」


 スタジオでマイクの高さを調整しながら、いろはさんが笑う。


「そうですね」


「鳴くんも百万人夢じゃないし。ここで新規拾えたら大きいよね」


「はい」


 サムネイルもタイトルも、普段より少し攻めている。


 恋愛ソング歌枠。

 鳴くんの好みのタイプが明らかに!?


 SNSでも宣伝もぬかりなく。

 その文字だけで、配信開始前から待機人数は普段を大きく上回っていた。


「つーちゃん」


「はい?」


「今日、胃痛くなりそう?」


「……」


 いろはさんが悪戯っぽく笑う。

 それに対して答えられないのは、図星だったからだ。


「鳴くん、サービス精神すごいからさ。調子乗ると変なこと喋りそうで怖いもんね?」


「……そう、ですね」


 無論、いろはさんは私たちの間の会話を知る由もない。

 それでも、私の顔色を見て、今回の方向転換をした企画を不安視していると思ってくれたようだった。


 鳴くんは数日前。

 私に向かってあんなことを言ったのだ。

 配信モードになった鳴くんが、どこまで踏み込むのか。


 正直、全く読めない。


 そんな恐怖も0ではなかった。


「大丈夫大丈夫。鳴くんももう3年今のキャラで食っていってるのよ」


 いろはさんは笑いながらヘッドホンを耳へ掛ける。


「それになんかあっても、私がちゃんとフォローするから」


 その一言に、小さく頷いた。


 さすが、登録者二百万人。


 こういう企画を回すことにも慣れている。


 私は配信管理用のPCを立ち上げ、コメント欄と配信ソフトを確認する。


 問題なし。


 回線良好。


 BGM良好。


 待機コメントもどんどん流れていく。


『待機!』

『いろはコラボは相手誰でも毎回恋バナ鉄板だから楽しみ!』

『今日神回の予感』

『めいろは絡み珍し~』


 画面の右上。

 Discordの接続ランプが緑へ変わる。


「鳴くん、おはよー」


『おはようございます。聞こえてます?』


 ヘッドホン越しに聞こえてきた声は、少しだけ弾んでいた。


「聞こえてるよー」


『SYNCROOMも問題ないです。遅延ほぼゼロです』


「さすが」


『昨日リハしたんで。今日は大丈夫です』


 あれから、会っていない。

 Discord上で仕事の話をしているだけ。

 それなのに。


 声を聞いただけで、胸が少しだけ落ち着かなくなる。


 ――心の準備だけ、しておいてください。


 あの言葉が、不意に蘇る。


「つーちゃん?」


「……はい!」


 慌てて返事をすると、いろはさんがくすっと笑った。


「珍しい。上の空」


「すみません」


「緊張してる?」


「少しだけ」


 本当は。

 緊張なんて、そんな可愛いものじゃなかった。


 今日はきっと。

 鳴くんは何食わぬ顔で恋愛の話をする。


 視聴者は企画として楽しんで。

 いろはさんは軽快に話を回して。


 私だけが、勝手に一人で振り回されるのだ。


「それじゃ」


 スタッフがカウントを始める。


「五、四、三――」


 スタジオの照明が少しだけ落ちる。


 私は深く息を吸い、コメント欄へ視線を向けた。


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