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第3話 隣にいてよ

空いていた小会議室へ入り、ドアを閉める。


カチリ、と無機質な音が響く。


「……座って」


「やだ」


できるだけいつも通りにと努めた言葉。

返事は即答だった。


「鳴くん」


「座りたくない」


その声は震えている。


怒っているのか。


泣きそうなのか。


自分でも分からなくなっているような声だった。


「いいから」


私は一歩近づく。


「ちょっと落ち着いて話そう」


「……」


聞き分けのない子どもに言い聞かせるように、優しい声色を心掛ける。

宥めるように肩に手を置くと、しぶしぶ腰を下ろす青年。


「何か飲み物買ってくるよ。」


「いらない」


首を横に振る頑なな態度は、本当に子どもみたいだなと思う。


「何か飲むとか、そんな気分になれない。そんなの今どうでもいい」


「……そっか」


鳴くんの不機嫌な声に、こちら側だけ気丈に振る舞う難しさを感じて、肩に置いた手を離そうとした、その時。


きゅっ。


指先が、小さく引き止められた。

鳴くんの手だった。


握るわけでもなく。

離れないで、と縋るように指先だけを掴んでいる。


「鳴くん……」


「俺」


俯いたまま、小さく呟く。


「納得できない」


その一言だけで、胸が締め付けられた。


「俺さ、高校の頃から配信やってたじゃん。」


「うん」


「最初、自信しかなかった」


色素の薄い唇が苦く笑う。


「歌もゲームも、知ってるやつに自分より上手い奴っていなかったし」


「絶対いけるって思ってた」


でも、


「全然だった」


「登録者なんて全然増えないし」


「俺より歌が下手な人も。ゲームが下手な人も」


「どんどん伸びてくの」


目を伏せたまま笑う。


その笑顔は、今でも少しだけ痛そうだった。


「悔しかった」


自身の不甲斐なさを言葉にするのは、夢見るよりも難しいと思う。


「なんでだよって、何回も思った」


それが完全に過去の話でも、

一度胸に刺さった棘は抜けることはない。


「正直さ、何度も心折れそうになったよ」


「……」


鳴くんに出会った頃を思い出す。

確かに売れるための実力はあるのに、埋もれている。


そこに対して足りないものを補うのが私の仕事だと思った。


当時の彼は、今より少し幼い顔をしていたっけ。


「でも」


ゆっくり私を見る。

その眼はどこか優しくて。


「高瀬さんが、毎回フィードバックくれた」


口元は緩く笑みを描いている。


「配信終わるたびにさ、ここ良かった。ここはもっとこうしたらいい」


当時を思い出しているのか、閉じた瞼の裏。

何を思い描いているんだろうか。


「毎回」


生えそろった睫毛を見ながら、私も思い出していた。

キャラを崩壊させない程度に素を出すことで親近感を抱かせる。

SNS活用、バズる投稿の作り方、グッズ展開の細かいすり合わせや販売ボイスの添削。


初めのうちはすべての業務に付き添ったものだ。


「ちゃんと、ファンが増えて」


懐かしいな。

そう思うだけで、胸が熱くなった。


「数字が変わって。見える景色が変わって」


「俺、やっと、自分の武器で戦えるようになった」


嬉しそうに笑う。

甘い声が夢見るように呟くのを、小さな会議室で私だけが聞いている。


「あざといって言われるの」


掴まれた指をするりと掴みかえて、手を繋がれる。


「昔は嫌だった。実力で勝負してないみたいで」


指を絡めて繋がれたわけではない。

でも、人と手を繋ぐなんてこの歳でそうあることではない。


「でも今は、嬉しいって思うんだよ」


少し湿った手の感触。


「高瀬さんが」


優しい声色。


「それも武器だって」


自己を肯定してくれる言葉はあまりにもストレートに心を揺さぶる。


「何回も言ってくれたからだよ」


「コラボだって、企業案件だって。俺一人じゃ、あんなにできなかった」


「マーケティングも、営業も、マネージャーの仕事なんて、とっくに超えてた」


確かに、私の献身は時にマネージャーという立場を逸脱していたシーンもあっただろう。


でも、毎日口うるさく何にでも口を出すなんて、マイクロマネジメントというより母親のようだった。

人によったら嫌われていてもおかしくはないのに。


「全部」


繋いだ手にぎゅっと力が籠る。


「高瀬さんがいたからじゃん」


「……うん」


私は小さく頷く。


本当に幸運だったと思う。

初めに担当できたのが鳴くんみたいに才能に驕らない、いい子だなんて。


「ありがとう」


空いている手で頭を撫でそうになったけど、あげた手をごまかすように自身の髪を耳にかけた。


「でもここまで来たのは、鳴くんの実力だよ」


「確かに私はこうしたらいいとか、ほんとにいろんなことに口を出してきたけど、これまでの3年、鳴くんのアカウントが動いてない日なんてないんだよ。こんな人いないってくらい、頑張ってきたから」


お休みの日には予約送信で動画が投稿できるように管理して。

ファンが離れる暇なんて与えなかったのは、鳴くんの執念を感じた。


「私を動かしていたのも、君の真摯なんだよ」


これが本音だった。


私が動いたから結果が出せたんじゃない。

鳴くんが必死だったから、私も私にできることは全部やろうって。


必死になれたんだ。


「……あの日、言ったじゃん」


「君はこんなところで終わる人じゃないって」


「私が百万人まで連れていくって」


忘れたことなんて、一度もない。


私が勝手に口にした約束。


でも、テキトーに言ったんじゃない。


本気の一言だった。


「だからちゃんと見ててよ」


鳴くんの瞳から、涙が一粒だけ零れた。


「……約束、守ってよ」


頬を伝って流れていく透明のそれは、顎を伝い、


「なんで」


ぽたりと鳴くんのシャツに染みを作る。


「なんで勝手に諦めちゃうの」


言葉が詰まる。


諦めたわけじゃない。

そんなわけなかった。


でも、鳴くんの目からそう見えてしまうのも、仕方がなかった。


「……本音を言えば」


ゆっくり息を吐く。


「悔しいよ」


本音なんて、本当は隠しておくべきだ。


わかってた。


「百万人達成したら記念配信、何やろうかなって」


夢を達成するための経由地さえも、今の私たちにとっては夢だった。


「ライブはどうしよう」


鳴くんの歌の良さを最大限生かせるセトリ、新曲頼みこんで今まででは考えられない人に書いてもらって。


「もっと大きい企業さんにも営業かける予定だったし」


企業案件でいい反響をつくれたら次の案件にも繋がる。

社内でのバランスはあっても、私が個人で動いて取ってきた案件は誰にも文句なんて言わせない。


「今年中に百万人行けるかもねって」


鳴くんの涙に、私まで泣きそうになるのを必死に抑えて。


「そのための秘策もね、私も練ってたんだよ」


笑おうとした。

でも、全然上手く笑えなかった。


「一緒にってのは、叶わなくなってしまうけど」


情けないな。

そう思いながらも、


「鳴くんなら間違いなくできる。私も、ファンも、みんな信じてるから」


繋がれた手を握り返した。


「……なんで?」


ぽつりと落ちた言葉は、


「俺、我儘言い過ぎた?」


あまりにも悲しみに濡れていて。


「リマインドも、スケジュールも全部やってもらって」


捨てないでって泣きつく小さい子みたいだった。


「甘え過ぎてた?」


「あはは」


必死な本人には申し訳ないけど、思わず笑ってしまう。


「そんなの、マネージャーの仕事です。いろはさんにだって、毎日言ってるよ」


ていうか、後追いとスケジュール管理がメインといってもいいくらいみんなやっていることだった。

鳴くんは確かに何かに夢中な時に提出物が漏れることはあっても、全ストリーマーの中でもかなり優秀な分類だった。


大幅な納期遅れもないし、一度言ったら必ずその日中には返ってくる。


「……そっか」


少しだけ安心したように笑う彼は、もしかしたらそんなつまらないことを気にしていたのかもしれない。


「私ね、昔、芸能界にいたの」


「聞いたことある」


「うん」


鳴くんに言ったことはなかったけれど、噂くらいはされているのもわかっていた。

知っている人は知っているし。


「それなりに有名なグループにいたんだけど」


「でも、致命的に向いてなかった」


当時のことを思い出すと苦い笑いしか出てこない。

今でも、あの頃に戻ったらうまくやれるかというと全然自信がなかった。


多分、時を巻き戻しても同じ道は選ばないと思う。


「だから辞めたその後は、SNS活用してマーケティングとか、広告とか。芸能とかかわりないわけでもないけど、それでも基本的には離れた仕事ばっかりしてた」


人を笑顔にする仕事がしたかったけど、辞めるころにはそんな気持ちさえ擦り切れてて。


「もう二度と、この世界には戻らないって思ってた」


懐かしくて笑ってしまう。


「三年前、事務所に所属していたころの先輩から後任のマネージャーを探してるって頼まれて」


同じ事務所だったってだけで何度かフリーランス時代に案件をもらったけど、仲良しな相手ってわけではなかったし。

サポートとか、後方支援が本当に向いてるって思う。

そう言われたこと自体は嬉しかったけど。


「正直断り切れなかったの。まだ……っていうか、本音でいったら少し怖かった」


自身が身を置いた環境を思い出してしまうことが怖かった。


またやりたいなんて思ってしまうことはないだろうか。

自分とマネジメント相手のタレントを重ねてしまったりするんじゃないか。


断りたいと思いつつ、強引な先輩に押し切られるようにして契約書にサインしたものだ。


「だけどそんな時に、オーディションで提出された鳴くんの歌を聴いた」


今でも覚えている。


十八歳の男の子のまだ少し幼さの残る歌声。


「……泣いちゃった」


まっすぐ透き通ったファルセット、胸をくすぐる甘い低音。

でも、そんな問題じゃなくて。


歌いたいって叫んでるみたいな歌声だった。


「十八歳の男の子にさ、魂、揺さぶられちゃった」


泣いていた鳴くんが、息を呑む。


「だから。この子なら」


今思ったら、


「私がなれなかった存在になれるって思った。そのために全力を尽くすのは、全然悪くないぞって」


救われていたのは私の方だった。


「気が付いたらね、鳴くんを通して」


なれなかった自身の夢をただの苦い思い出から貴重な経験に昇華させてくれた。


「私も、もう一度夢を追いかけてた」


そう言って作った笑顔は、今度はうまくいったと思う。


「これまでの三年間」


涙に濡れそうな声を必死に抑えて。


「本当に幸せだった」


口にしたのは心からの感謝の言葉。


「ありがとう」


しんとした会議室に、しばらく沈黙が流れる。


しばらく沈黙していた鳴くんは静かに涙を拭いて、小さく笑った。


「……勝手に終わらせないでよ」

「え?」


座っていた鳴くんが立ち上がる。


アバター越しでは忘れてしまう。

向かい合う鳴くんはちゃんと、大人の男の人だった。


「俺」


一歩だけ近付く。


「ファンとかじゃなくて」


一拍。


「画面の向こうじゃなくて。」


震える、甘い声。


「隣にいてよ。」


その一言に。

上手く返す言葉を何も見つけられなかったのに。


心臓だけが、馬鹿みたいにうるさかった。

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