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第2話 一番星を手放す日

社長室の前で足が止まる。


「……緊張する」


ぽつりと鳴くんが呟いた。


「え?」


「ここ入るの、契約した日以来なんだけど」


「ああ」


そういえば、そうか。


鳴くんは普段、配信や収録が仕事だ。


社長と直接話す機会なんて、ほとんどない。

私だってたまにしか話さないし。


「なんだろ」


「さあ?」


「怒られる?」


「最近やらかした?」


「してない」


「じゃあ大丈夫」


「でもさ」


珍しく歯切れが悪い。


「なんか今日、嫌な予感するんだよね」


その言葉に、一瞬だけ胸がざわついた。


でも、そんなはずはない。


ここ三か月、登録者は右肩上がり。

案件も増えて、来月には大型ライブの企画も動いて始めている。


私たちは、ちゃんと前へ進んでいる。


悪い話なんて、あるはずがない。


重厚な扉はどうやっても来たものを緊張させてしまうのだろう。

不安そうに眉を顰める鳴くんに、


「大丈夫」


私は笑って肩を叩いた。


「もし何かやらかしてたとしても、一緒に怒られてあげるから。」


「……高瀬さん」


「ん?」


「まじ天使」


「はあ、そうだねー」


「ほんとに俺のこと大事にしてくれちゃうんだから~」


緊張してる様子だから心配していたけど、こんな辛口を叩けるなら心配なさそうだ。


肩の荷を下ろすようにやれやれとため息を吐いた。


「今や鳴くんはうちの稼ぎ頭ですので」


思わず吹き出した鳴くんが、眉を下げる。


「……ひでぇなー」


少しだけ拗ねたように口を尖らせる。


それでも、すぐに得意げに笑ってみせた彼は、


「でも、まあ、高瀬さんが育てた一番星なんで」


そう言って私にウインク。

今まで再三表情を豊かに!と口出しして来た手前、私には注意もできないのだった。


コンコン、とドアをノックする。


「失礼します」


低い返事を聞いて、私はドアノブに手をかけた。


「まあ、座れ」


黒のパーマ髪を撫でつけるようにオールバックにした恰幅のいい男。


社長に促され、私と鳴くんは向かいのソファへ腰を下ろした。


見た目に反して話しやすい空気その人は、いつもと変わらない口調。


だからこそ、これから告げられる言葉を疑いもしなかった。


「まずは」


社長は腕を組んだまま笑う。


「今期、本当によくやってくれた。」


「ありがとうございます。」


「登録者の伸びも過去最高。企業案件も順調。事務所全体の数字も、鳴が引っ張ってくれてる。」


鳴くんが照れくさそうに頭を掻く。


「いやぁ、全部高瀬さんのおかげですけど!」


「そういうとこだ」


「……え?」


社長は苦笑いを浮かべる。


「最近の配信、俺も見てるぞ」


「マネージャーに鬼電で起こされただの、疲労回復の入浴剤もらっただの、挙句いつも体調まで管理してもらってるだの」


「お前ら仲良すぎな」


「……全部、会話の流れで何気なく話しただけです」


鳴くんが困ったように笑う。


「分かってる。まあお前はその飾らないところがウケているのも本当だから、ある程度はいいんだけど」


社長も頷く。


「問題はそこじゃないわけだ」


机の上に置かれたタブレットをこちらへ向ける。


開かれていたのはSNSの画面。


そこには、


『マネージャー女だったりしない?』

『この距離感、彼女の話をマネって言ってる?』

『ていうか担当マネ変わったら鳴終わりそう』


そんな投稿がいくつも並んでいた。


もっと口に出すのも憚られるような過激な発言も散見される。


「…………」


正直、私は把握していた内容なわけだが、会社から突っ込まれるような内容とは思っていなくて。


沈黙することしか出来なかった。


「今はまだ憶測だし、ファンも笑い話で済んでる」


見た目のイメージにぴったりの低い、重厚感のある声。


威厳ってものは立ち振る舞いで演出できるけれど、その最たるが話し方ではないだろうか。


「だが、うちのタレントとして久々の百万人が見えてきた今、この火種は放っておけない」


部屋はしんと静まり返り、社長の声だけが響く。


「元々うちは同性マネージャーを基本に組ませてる」


そう言って、


「高瀬、お前だけが例外だった」


社長は真っ直ぐ私を見た。


「元々人数が足りなかった。そんな時に退職する佐々木の代わりって形で担当を持ってもらって、安定して数字を稼ぐいろはと、原石でしかない新人の鳴を担当させるなんて中々にキラーパスだったとは思うよ。それでも、マネジメントの方向性も真逆なのによくやり切ってくれたわ」


社長の言葉に、私は小さく頷いた。


「結果、お前らは想像以上だった。想像以上の伸びで、鳴は事務所を引っ張る新しい柱になった」


三年間。

長いようであっという間だった。

毎日目標が更新されていくような、刺激的な日々。



「だから三年も担当を変えずに組ませたんだ。本来ならもっと早く担当替えしてた」


ふと、隣から並々ならぬ空気を感じて横目に様子を伺えば、


「実績があったから、そのまま任せてきた」


少し前にはあったはずの鳴くんの表情からは、笑顔が消えていた。


「優遇してきたつもりだ」


「でも」


一拍。


しんと静まり返るこの先に何を言われるのか、察してしまったわけだけど、


「そろそろ戻す」


「……」

「......っ」


言われた瞬間、隣で鳴くんが息を震わせる。


「高瀬には、次に担当してもらうタレントをもう決めてある」


「え……?」


まさかそこまで決まっているとは思わずに、私まで声が漏れた。


「まだデビュー前の人材だが、手厚いサポートは得意だろ。お前には鳴という成功例があるからな」


基本的に同じように対応してくれればいいから。

社長は淡々と言う。


その声を聞きながら、うまく意味を考えられずに同じ言葉を脳内で繰り返した。


「タレントデータは後で送るが磨けば化けるし、お前なら育てられる」


噛んでも噛んでも上手く嚥下できない言葉達に、私はただ立ち尽くす。



「鳴」


 社長は真っ直ぐ彼を見る。


「高瀬がいなくても、もう何でもできるだろう。お前の実力は十分だ」


 沈黙。

 普段騒がしい鳴くんが黙ると、時間が止まっているかと錯覚するかのような感覚を覚えた。


 俯いていた彼が、ゆっくり顔を上げる。


「……ふざけんな」


 低い声だった。

 聞き間違いかと思うくらい小さい。


 でも、部屋の空気は一瞬で凍りついた。


「……嫌です」


「これは会社の決定だ」


「嫌です」


 その一言と同時に、鳴くんが立ち上がる。


 勢いよく、というより感情に押し上げられるように。

 ガタン、とテーブルに膝が当たる音が静まり返った部屋に響く。


 握り締められた拳は白くなるほど力が入っていた。


 私は思わず息を呑む。

 こんな鳴くんを、見たことがない。


 社長は小さく息を吐いた。


「鳴。お前は高瀬に依存しすぎだ」


「違います」


 低く押し殺した声。


 その目だけが、真っ直ぐ社長を射抜いていた。


 否定するその声は、今まで聞いたことがないくらい低かった。


「歌が上手い」


「ゲームが上手い」


「……でも、それだけじゃここまで来れなかった」


 一歩、社長に近づいて異議を唱える。

 

「俺、高校の頃から個人で配信やってました」


「知ってるでしょ?全然伸びなかった」


 現状の成果は自身の実力だけじゃない。

 そう言う彼は慢心も謙遜もしていない。

 ただ淡々と事実を述べるが如く。


「箱の力? もちろんあります」


うちの事務所は業界内では中堅から大手の位置づけ。

もちろん、個人で伸びるよりは遥かに伸ばしやすい環境であることは事実だ。


「でも高瀬さんが担当じゃなかったら、絶対ここまで数字は伸びてない。」


けれど、そのすべてあっても、今の実績に至るには、私のサポートがなかったら不可能だった。

そう言ってくれているのだ。


「……っ」


息が詰まった。


新人だった頃から、隣で走り続けてきた三年間。

寝る間を惜しんで企画を考えた日も。

思うように数字が伸びず、一緒に頭を抱えた夜も。

その全部を、鳴くんはちゃんと憶えてくれている。


「社長だって」


「一番分かってるじゃないですか」


 社長は黙ったまま鳴を見つめる。


「だから俺は納得できません」


確かに。

寝る間も惜しんで分析と改善を繰り返して、私たちは今ここに立っている。


それでも、波多野鳴は甘い声も類まれなゲームセンスも。

話の流れを読んでトーク展開する才能も、配信者に必要な何もかも兼ね備えている。


「担当変わったら、俺は100万人なんていけない」


人から愛される、才能の塊のような彼が言うのだ。

私のおかげだったと。


そんなことを言ってもらえて、

私は――……。


「……一つ聞く」


「お前は、高瀬がいなかったら配信を辞めるのか」


「……」


静かに、でも怒りを抑えたような社長の声に、ずっと事の顛末を見守ってしまっていた私も立ち上がる。


「鳴くん」


 掴んだ肩が震えていて。

 どうしようもなく胸が痛い。


 鳴くんがくれた言葉は、

 マネージャーとして、これ以上ないくらい嬉しい言葉だった。


 だからこそ今、この場で言ってほしくなかった。


「もうやめよう」


「高瀬さん……!」


 まっすぐ見つめた先の彼が、泣きそうに顔を歪める。


「社長、申し訳ありません」


 努めて冷静に、深く頭を下げる。


「急な話で動転してしまっているんです」


「私からも、ちゃんと話します」


 社長は私を見て、小さく頷いた。


「……担当変更は、来週末だ」


「分かりました」


「失礼します」


 私は鳴の返事を待たず、社長室のドアを開けた。


「~~っ高瀬さん!」


背中越しに聞こえたその声に、思わず唇を噛む。


振り返ってしまえば。

きっと私まで、この決定を受け入れられなくなると思った。



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