第18話 脳裏に焼き付いて、離れない
炎上から五日。
火は完全に鎮火したと言うには、まだ少し気が早いのかもしれない。
それでも、あの日のように鳴くんや湊さんへの暴言がトレンドを埋め尽くすことは、もうなくなっていた。
鳴くんが発案して行われた、湊さんと波多野鳴の仲直り生配信。
そこからのお互いのアカウントで投稿された仲直りゲーム配信。
湊さんのアカウントでは、大会で敵同士として戦ったクリコを、今度は同じチームでプレイ。
鳴くんのアカウントでは、物理エンジンを基にしたカオスな協力型アクションゲームをプレイ。
正直、その効果はとんでもなく大きかった。
炎上を収束させるどころか、お互いのファンを増やす結果に繋がって、鳴くんのチャンネル登録者数はもはや百五十万に届く勢いなのである。
もちろん、「全部マーケティングだったんだろ」「最初から台本だったんじゃないか」と疑う声も残っている。
けれど、それももう一部だ。
言ってしまえば、世間の関心は次の話題へ移り始めていた。
日和見な世間に嫌気がさす気持ちは相変わらずあるが、そのおかげで今日も仕事ができていることには、感謝すべきなのかもしれない。
今日は、湊さんと約束していた金曜日。
待ち合わせに指定された場所へ着くと、一台の黒いセダンが静かにハザードを点けた。
運転席の窓がゆっくり下がる。
「紬さん」
キャップを目深に被った湊さんが、穏やかに笑った。
「お疲れさまです」
「お疲れさまです」
「どうぞ」
助手席のロックが外れる音がする。
生憎、車には詳しくない。
それでも、高級車なのだということだけは分かった。
「お店、少し悩んだんですけど」
「はい」
「今日はゆっくり話がしたかったので」
「夜景が見えるようなお店じゃなくて、ごめんなさい」
「え?」
「美味しいし、落ち着いた店なんですけどね。ロマンチックさには欠けまして」
そんな風にあっけらかんと言われてしまうと、思わず笑ってしまった。
実はかなり緊張していたのだが、身構えずともよかったのかもしれない。
「むしろそんな店だったら困ります」
「え?そうですか?残念だな」
当たり障りない会話をしながら案内されたのは、表札も目立たない路地裏の小料理屋だった。
外観は控えめなのに、一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
落ち着いた照明。
静かな和の香り。
すれ違う客の顔ぶれも、どこか見覚えがある。
はじめてきた店だけれど、芸能人や経営者が人目を避けて訪れる店なのだと、すぐに分かった。
まあ、湊ほどの有名ストリーマーが人目を気にせずその辺でご飯ってわけにはいかないのだろう。
個室の扉が静かに閉まる。
テーブルにはすぐに初めの一杯が運ばれてくる。
仕事終わりだというのに、湊さんは相変わらずラフな格好で、どこか肩の力が抜けている。
対照的に、オフィスカジュアルとはいえジャケットを肩にかけた私は、自然と背筋を伸ばしていた。
「……本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ」
柔らかく笑って、湊はグラスの水へ口をつける。
その一瞬の間に、私は息を整えた。
「それと、この度は」
一度、深く頭を下げる。
「大会の件も含め、ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
一拍。 沈黙が落ちる。
大会直前で無理やりアサインしてもらったこと。
鳴くんが失礼な口をきいたこと。
そのうえで炎上に巻き込み、仲直り配信などという企画に付き合ってもらうことになるとは、怒られてもしょうがない。
そう思っていたのに。
「……え?」
返ってきたのは、間の抜けたような声。
顔を上げると、湊さんはきょとんと目を丸くしている。
「それ、紬さんが言うんですか?」
「……え」
数秒見つめ合ったあと。
「はははっ」
湊さんは堪えきれないように吹き出した。
「いや、ごめんなさい。ちょっと予想外で」
肩を揺らしながら笑う姿は、画面の向こうで何度も見てきた配信者そのものだった。
「謝るのはこちらの方です」
笑みを残したまま、彼は首を横に振る。
「仕掛けたのは僕です」
低く響くその言葉に、私は思わず黙る。
「動画として面白くなると思ったとかも、まあ本当なんですけど。王者としての威厳とかそういうものよりも、あの瞬間」
「僕は彼を潰したいと思った」
淡々とした口調だった。
「元推しが頼み事をするくらいのストリーマーが本当に有望で、しかもどこからどうみても推しに惚れてるもんだから、意地も悪くなりますよね」
言い訳をするでもなく、正当化するでもなく。
まるで子どもが、目についた蟻を遊び半分に踏み潰してしまう時のような。
そこに強い憎しみがあるわけでもない。
傷つけてやろうという執念があるわけでもない。
ただ、気に入らなかったから。
だから、潰そうとした。
そんな妙に無邪気な残酷さで、湊さんは言った。
「だから、あの場でやったこと自体を後悔してるとか、そんなことはないんですよ」
「……」
それでいて大人としての戦い方もきちんと理解しているのが、本当に手強い相手だと思う。
「でも」
そこで初めて、湊の表情から笑みが薄れた。
「迂闊でした。あそこまで彼が怒ってしまうとは」
静かな声だった。
「結果的に、あそこまで炎上させてしまうとは、僕も予測していたわけでは無いんです」
言いながら眉を下げた湊さんは、困ったように笑う。
「鳴くんから電話が来たんです」
その一言に、私は目を見開く。
「……紬さんが、苦しんでいると聞きました」
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
鳴くんが、どうやって湊さんと和解に持って行ったのか。
そこに関して私は何も知らないままだった。
「自分に任せてほしい」と言った鳴くんは、自分で湊さんにコンタクトして、生配信なんて方法をとった。
だから、私の話をしているとも思っていなくて。
そこに驚きはあるのだけれど。
「正直」
湊は小さく息を吐く。
「彼はもっと短絡的な子だと思ってたんですけどね」
笑みは苦々しく、呆れたような口調だった。
確かに、普段配信での鳴くんの姿は、恵まれたセンスと声に甘えた生意気な男の子の印象が強いと思う。
「僕が見誤ってました」
「……」
「『ファンなら知ってるでしょう』って」
その一言だけで十分でした。
そう言って、視線がテーブルの上へ落ちる。
「昔、紬さんがどうやってアイドルを辞めたのか」
静かな沈黙が流れた。
しばらく何も言わない湊さんに、私も何を言ったらいいのかわからなかったのだ。
「……忘れたことなんてなかった」
低く落ちた声は、私に向けたものというより、自分自身へ吐き出したもののように聞こえた。
自嘲するように笑うその表情は、泣きそうにすら見えた。
「紬さんは覚えていないと思うんですけど」
初めて見せた彼の弱った表情に、驚きを隠せない。
配信者でも、実業家でもない。
何百万人もの人を動かす“湊”ではなく。
そこにいたのは、昔ひとりのアイドルを推していた、ただの青年だった。
「握手会、何度か行っていて」
そう言って、湊さんは静かにグラスを置いた。
「……えっと、」
「覚えてないと思いますけど」
苦笑いを浮かべながら、少しだけ視線を遠くへ向ける。
「大学生の頃でした。就職活動の真っ最中で」
「周りはみんな、大手企業だ、公務員だって内定を取っていく時期で」
「僕だけ、駆け出したばかりだった配信者で食っていこうとしていて」
淡々と話している。
けれど、その頃を思い出しているのか、目元はどこか懐かしそうに緩んでいた。
「成功した今なら笑い話ですけど、当時は本気で馬鹿にされましたよ」
「学歴無駄にする気かと、親にも反対されましたし」
「友達にも、現実見ろって相手にされなくて」
今でこそ、YouTuberやVTuberなんて職業も世間から認められていて。
今や彼の名を知らない人の方が少ないくらいだと思う。
それでも、この業界にも黎明期はあって。
世間の目ってものはもっと厳しかった。
「正直、ほんとに悩んでました」
「周りに反対されても好きなことを続けるか、確実な道を選ぶか」
一度だけ言葉を切る。
「そんな時に、紬さんの握手会へ行ったんです」
私は静かに耳を傾ける。
「何を話したかなんて、たぶん紬さんは覚えてないでしょうけど」
「僕、『絶対成功する自信はあるのに、誰にも応援されないことが辛い』って言ったんですよ」
胸の奥が、少しだけざわつく。
「そしたら、紬さん」
その時の言葉を、一つひとつ大切にするように口にした。
「『好きなものをやるなら、周りの声じゃなくて自分の声だけ聞く強さを持つ人だけが、その道で成功できる』」
「『最後までやりきれるかどうかは、自分の意思でしかないから』って」
思わず息を呑む。
アイドルとして、誰より夢に絶望していた頃。
自分の中にある気持ちを最後まで信じられなければ、この世界にはいられない。
そして、それすらできなくなった自分は、この世界には向いていないのだと見切りをつけたのもその頃だ。
確かに、当時の自分なら言いそうな言葉だった。
「……そんなこと」
口を開きかけて、止まる。
覚えていない。
覚えていないのに、その言葉だけは、自分の中から出てきたものだと分かってしまう。
「紬さんにとっては何百人のうちの一人だったとしても」
「でも、僕にとっては人生を決定づけた一言なんです」
そう告げる表情には、どこか照れくさそうな色があった。
「何度も、その一言を思い出して自身の意思を貫きましたよ」
胸の奥が、妙に熱くなった。
「配信一本でやるって決めたら、死ぬほど働いて、気付いたら今です」
肩を竦めながら笑う姿は、成功者そのものだった。
けれど、その笑顔はどこか少年のようでもあった。
「だから、紬さん……いや、つーちゃんは」
一拍置く。
「恩人なんです」
恋とか憧れとか。
そんな言葉だけでは片付けられないような、まっすぐな声音。
「もちろん、男として好きかって聞かれたら、それも否定しませんけど」
少しおちゃらけてみせたその表情。
「今の俺であれば、ちゃんとあなたと釣り合うと思いますし」
冗談めかして肩をすくめる。
釣り合うどころか、私の方が全く釣り合わないのはいうまでもないのだけれど。
それなのに。
こんな時に、どうしてだろう。
脳裏に浮かんだのは、雨の降る海だった。
静かな車内。
『だから、三か月後、ちゃんと百万人行けたらさ』
照れ隠しもせず、真っ赤な顔のまま言った鳴くんを思い出す。
『俺の彼女になって』
私はその一言に、頷いてない。納得なんてしていない。
約束なんて言うには一方的に伝えられただけの言葉だ。
それなのに、どうして。
あの、虹彩の薄い綺麗な瞳が。
脳裏に焼き付いて、離れないんだろう。




