第15話 約束利用したな……!
チャンピオンチームとのエキシビションまでは、二十分の準備時間が設けられている。
会場は、さっきまで以上の熱気に包まれている。
準決勝での一対三からの解除。
その劇的な勝利は、競技ファンの間でも大きな話題となり、早くもSNSには感想が次々と投稿されている。
これは絶対にトレンドに入る。
私は手元のスマートフォンを開いた。
登録者数は、九十八万八千人。
コメント欄には、
『今日で百万人いくだろ』
『初出場でこの活躍、優勝しなくても伝説じゃないの?』
『初めて見たけどめい推す』
そんな言葉が溢れていた。
私は、小さく笑う。
――もう、大丈夫。
仮に優勝できなくても。
この大会で見せた鳴くんのプレイなら、百万人はもう時間の問題だ。
三か月前には遠すぎて想像もできなかった夢。
それが今、ようやく現実になろうとしていた。
だからこそ、隣に座る鳴くんの様子だけが気になった。
湊さんと話をしてから、一度も登録者数を聞いてこない。
さっきまでのリラックス具合なら、「今登録者何人です?」なんて笑いながら聞いてきそうなのに。
思い詰めるようにモニターを見つめたまま、一言も喋らなかった。
「……鳴くん」
返事はない。
少しだけ迷ってから、私は足元に置いていたビニール袋を開く。
「何か食べる?」
ゼリー飲料。
チョコレート。
ラムネ。
おにぎりはしゃけと明太子。
少しでも集中力の足しになればと思って、朝コンビニで買ってきたものだった。
「糖分とか、何か取った方がいいかなって思って」
「……いらないです」
返事は早かった。
「……そっか」
紙袋を閉じる。
こんな大会の最中だ、仕方ない。
そう思うのに、少しだけ寂しかった。
すると、
「ごめん」
背後から不意に声がした。
顔を上げると、鳴くんがこちらを見ていた。
「ありがとうございます」
さっきまでの張りつめた空気が、少しだけ和らぐ。
「俺、この大会終わったら」
困ったように眉を下げて言う鳴くんは、恐らく私に気を遣わせたことにハッとしていて。
「高瀬さんとデートする日、約束するんだ」
「……何それ」
「約束ないと頑張れないじゃないですか」
「そういうの、死亡フラグって言うんだよ」
意図して声を出して思わず笑うと、鳴くんもつられて笑った。
「あはは」
短い笑い声。
それだけでも、声色は少しだけいつもの鳴くんのものに戻った気がした。
でも、その笑顔はすぐに真剣な眼差しに変わる。
ヘッドセットを手に取ると、小さく息を吐いて。
「……飲まれちゃだめだよね」
誰に言うでもなく呟く。
「俺は、俺のペースでいかなきゃ」
その言葉は、私へ向けたものではなかった。
自分自身へ言い聞かせるような、小さな独り言。
私は何も言わず、ただ頷く。
その時だった。
『皆さん、お待たせしましたぁぁぁ!!』
会場中へ実況の声が響き渡る。
いよいよ。
チャンピオンチームとの戦いが始まる。
『さあ、エキシビションマッチ開始です!!』
会場を揺らす歓声とともに、最初のラウンドが始まった。
先攻は、Team下剋上。
「フラッシュ入ります!」
『了解!』
鳴くんを先頭に一気にサイトへ雪崩れ込む。
白い閃光の中、最初の一人を撃ち抜くと、そのまま設置まで持ち込んだ。
『解除阻止ィイ!!』
『挑戦者、まずは一本!!』
挑戦者の活躍に歓声が沸く。
けれど、それは王者の逆襲の始まりでもあった。
防衛では絶妙な揺さぶりで配置を崩され。
攻撃では僅かな撃ち合いを落とし。
あと一歩。
あと一人。
あと数秒。
その"あと少し"を、王者は決して逃さなかった。
『解除成功!!』
『王者、逆転!!』
『またしてもTeam MINATO!!』
Team下剋上は攻撃では鳴くんを起点に食らいつく。
けれど、防衛へ回るたび、湊さんに一手先を読まれるように守りを崩された。
気づけば、スコアは四対六。
それでも誰も諦めない。
次の攻撃を取り切り、五対六。
けれど、痛かった。
本来なら取り切れていたはずの攻撃を、一度落としている。
一本。されど、その一本が遠い。
次は、防衛。
一度も守り切れていないラウンドだった。
『ナイス!』
『サイトクリア!』
鳴くんの突破を起点に、再び攻撃を成功させる。
『挑戦者、粘ります!!』
五対六。
会場が大きく沸いた。
『マッチポイントを凌ぎました!!』
『しかし次は防衛! ここを落とせば試合終了です!!』
ラウンド間の短いインターバル。
会場の熱気とは対照的に、競技席は静まり返っていた。
その静寂を破ったのは、穏やかな声だった。
『鳴く~ん』
突如、ヘッドセット越し。
全員に聞こえるチャットで放たれた湊さんの声。
鳴くんがゆっくりと顔を上げる。
『なんかさ……?まだ会えないね』
その一言だけ。
何気ない雑談のようにも聞こえる。
けれど、鳴くんの表情が、僅かに強張った。
その表情に瞬間的に思い出されるのは、試合前。
二人が握手を交わした時、耳元で囁くように湊さんが何かを言った光景。
近くにはいたけれど、何を言っているのかは聞こえなかった。
でも、あの時から鳴くんの様子は明らかに変わっていた。
『約束、楽しみにしてるよ』
それだけ言い残して、通信は切れる。
鳴くんは何も返さない。
ただ、マウスを握る手に、ぎゅっと力が入った。
約束だなんて、何を言われたのか。
聞きたい気持ちもありつつ、とてもじゃないけれど声をかけられる空気じゃなかった。
正直、煽られていることは確実だった。
彼は分かっている。
鳴くんは、真正面から勝負を挑まれたら応えずにはいられない人だと。
相手は経営者としても配信者としても成功してきた人間だ。
どうしても、嫌な予感がしてしまう。
私は何もできず、ただ鳴くんの背中を見つめることしかできなかった。
チームメイトたちが次の配置を確認し合う中、鳴くんが静かに口を開いた。
「……お願いがあります」
全員の視線が集まる。
「次、俺前に行かせてください」
一瞬、空気が止まる。
「防衛、一回も成功してません」
鳴くんはモニターを見つめたまま続けた。
「このまま同じ守り方をしても、多分勝てない」
誰も否定しなかった。
事実だったから。
「だから」
一度だけ息を吸う。
「こっちから湊さんを落としに行きたいです」
その名前が出た瞬間、私は思わず顔を上げた。
――さっきの。
試合前、どんな約束を交わしたのかは分からない。
でも、あんな挑発の後だ。
「……挑発に乗ってるわけじゃないよな?」
当然の疑問として、リーダーが静かに問いかける。
鳴くんはすぐに頷いた。
「違います」
鳴くんは即座に否定した。
「このまま守ってても、防衛は崩されます。だったら、相手の起点を潰すしかない。」
「勝算は?」
リーダーが短く尋ねる。
鳴くんは少しだけ考えてから、真っ直ぐ前の画面を向いた。
「あります」
迷いのない返事だった。
数秒の沈黙。
やがてリーダーが小さく笑う。
「……分かった」
その声に、迷いがないことは伝わったのだろう。
「好きに暴れてこい」
「ただし、絶対落としてこいよ」
「はい」
仲間たちが口々に声をかける中、鳴くんは小さく頷いた。
ヘッドセットを整え、マウスを握る。
深く息を吐く姿を見ながら、胸の奥がざわつく。
大丈夫だ、心配しすぎ。
『運命の第十二ラウンド!!』
『勝てば延長戦へ望みを繋ぐTeam下剋上!』
『ここで決めたい絶対王者Team MINATO!!』
カウントダウンが始まる。
そして、最後の防衛ラウンドが、幕を開けた。
『勝てば延長! 負ければここで試合終了です!』
会場を包む歓声が、ゆっくりと静まっていく。
両チームとも、慎重だった。
互いに情報を探り合い、時間だけが過ぎていく。
「Bメイン、足音なし」
「Aも見えません」
「まだ待とう」
鳴くんの声は、不思議なくらい落ち着いていた。
その時だった。
「A!」
仲間の報告と同時に、画面の端へ一人の影が映る。
『おっと!?』
『Team MINATO、先頭は湊選手です!!』
私は思わず息を呑んだ。
湊さんは、前へ出る選手じゃない。
普段なら味方を動かし、最後に勝負を決める。
そんなプレイヤーだった。
「きたか……」
鳴くんが小さく呟く。
試合前。
交わした約束。
インターバルで投げられた、あの一言。
――ここで、勝負を仕掛けてくる。
鳴くんはそう読んでいた。
「行きます」
「了解!」
「カバー行く!」
鳴くんが飛び出す。
クロスヘアが、湊さんを捉えた。
『鳴選手と湊選手、直接対決だァ!!』
会場が、スーパールーキーと絶対王者の一騎打ちに沸く――次の瞬間。
乾いた銃声が鳴り響く。
『えっ!?』
画面が灰色に染まる。
『波多野鳴、ダウン!!』
撃ったのは、湊さんじゃない。
『伏兵だァァ!!』
『最初から待っていた!!』
湊さんへ照準を向けた瞬間、横から射線が通った。
鳴くんの視界には入らない位置に、もう一人。
最初から。
鳴くんが飛び出してくる、その瞬間だけを待っていた。
会場がどよめく。
「……っ」
鳴くんの手が止まる。
私も、実況も、観客も。
全員が同じことを思っていた。
湊さんが前に出た。
勝負に来た。
そう思わせることこそが、湊さんの狙いだった。
鳴くんの表情が凍り付く。
次の瞬間。
「カバー!」
「鳴さん!」
味方二人が一斉に飛び出した。
その射線さえも。
最初から待っていたように。
乾いた銃声が、立て続けに響く。
『うわぁぁ!!』
『二枚抜き!!』
『Team MINATO、この奇襲が刺さったァ!!』
一瞬で、二対五。
画面の人数表示が塗り替わる。
「……は?」
鳴くんの口から、掠れた声が漏れた。
そして。
「おい!!」
机を叩くように身を乗り出す。
「ふざけんな!!」
私が一度も聞いたことのない怒声だった。
「約束利用したな……!」
「正々堂々俺とやれよ!くそがぁッ!!」
鳴くんの怒声が響く中でも、残された二人は必死に撃ち返す。
『まだ終わらない!!』
『二対五! 絶望的な状況です!!』
それでも。
人数差は、あまりにも大きかった。
『残り一人!!』
『決まるか!?』
最後の銃声。
画面いっぱいに、敗北の文字が映し出される。
『決着ゥゥゥ!!』
『勝者ァァァ!!』
『Team MINATOです!!』
無慈悲にも実況が告げる。
「ふざっけんな!卑怯者!!」
「……!」
私は反射的に駆け寄った。
立ち上がろうとする鳴くんの背中へ腕を回し、そのまま抱き寄せる。
「……っ!」
振り向こうとする鳴くんの前へ、人差し指を立てた。
シー。
言葉はいらない。
鳴くんの瞳が大きく見開かれながらも、ヘッドセットを外そうと手を伸ばす。
鳴くんと目が合う。
私は黙ったまま、首を横に振った。
そのまま空いた手を鳴くんのデスクへ伸ばす。
マイクのミュートボタンを押すと、スピーカーのアイコンに赤い斜線が入った。
鳴くんのマイクが落ちる。
ようやく小さく息を吐いて、私は耳元で囁いた。
「……鳴くん、落ち着いて」
試合は終わっても、配信はまだ続いている。
「……配信してるんだよ」
その一言で。
鳴くんの身体が、びくりと震えた。
「あ……」
怒りに染まっていた表情から、すっと血の気が引いていく。
自分が今、何万人もの視聴者へ向けて配信していたことを思い出したように。
「……ごめん」
掠れた声が小さく零れた。
その声は動揺のあまり、いっそ泣いてしまいそうにすら聞こえた。




