第14話 かっこよかったでしょ
大会当日。
波多野鳴のYouTubeチャンネル登録者数は、九十三万人を突破していた。
三か月前には、到底届くとは思えなかった数字。
ここ数週間で一気に伸びた理由は明確だった。
クリコ大会へ向けた毎日の練習配信。
プロ経験者とのスクリム。
コーチを交えた反省会。
他事務所の配信者とのカスタムマッチ。
その全てが見事に切り抜かれ、拡散され、気付けば鳴くんを知らなかった視聴者まで配信へ足を運ぶようになっていた。
『鳴うますぎ』
『エイムえぐ』
『初めて見たけど声いいし推す』
『大会本番楽しみ』
数字は嘘をつかない。
その証拠に、大会前日だけで登録者は一万人以上増えていた。
そして今日。
ここで結果を残せば、百万人はもう夢じゃない。
「いける……」
無意識に声が零れる。
私は鳴くんの背後に置かれた椅子へ腰を下ろし、小さく息を吐いた。
大会運営の配慮で用意された、会場内の個別競技室。
身元が特定されることを防ぐため、この部屋へ入れるのは、事前に登録された鳴くんと担当マネージャーの私だけだった。
鳴くんは、手を伸ばせば届く距離にいる。
それでも試合が始まれば、私にできることは何もない。
ここまで来た。
もう、あと一歩だ。
彼の夢は、彼が自身でつかみ取るのだ。
その瞬間に立ち会う、心の準備だけ固めておかなければ。
◇
『皆さん、お待たせしましたー!』
会場中へ実況の声が響く。
『今年も始まりました! クリティカル・コード大会!』
大きな歓声が上がった。
『今年の挑戦者トーナメントには、全八チームが出場!』
『七ラウンド先取で勝利! 本大会ではラウンドごとに攻撃・防衛が入れ替わる特別ルールです!』
『攻撃側は制限時間内にコードを起動! 防衛側は設置を阻止するか、起動されたコードを解除してください!』
『そして勝ち抜いた一チームだけが、最後に主催・湊率いるチャンピオンチームへの挑戦権を獲得します!』
大型スクリーンへ、トーナメントの組み合わせが映し出される。
鳴くんたち、Team下剋上の初戦の相手は、ゲーム実況を中心に活動する人気配信グループだった。
その中でもエースを務めるおこめさんは、前へ出る撃ち合いを得意とするデュエリスト。
大会前のスクリムやカスタムマッチでも、鳴くんと何度もマッチアップしている。
勝つ時もあれば、負ける時もあった。
純粋な撃ち合いだけを見れば、ほぼ互角。
初戦から、決して楽な相手ではない。
「よろしくお願いします!」
けれど、私のすぐ前で響いた鳴くんの声は、いつも通りだった。
ヘッドセット越しにチームメンバーと対戦相手へ挨拶を返しながら、画面を見つめる横顔に緊張はない。
むしろ、少しだけ楽しそうですらある。
『Round1』
試合開始のアナウンスが流れた。
開始直後。
「いける!」
鳴くんが真っ先に飛び出す。
敵より一瞬早く角へ飛び込み、吸い付くように照準が頭を捉えた。
『ファーストブラッド!』
『鳴選手、速い!!』
そのまま味方が流れ込み、一ラウンド目を先取。
コメント欄が一気に流れ始めた。
『初見だけどVなの? 強くね?』
『新人?』
『エイムえぐい』
二ラウンド目は防衛。
攻撃へ転じた相手を迎え撃つと、鳴くんは前へ出るタイミングを正確に見極め、一人、また一人と撃ち抜いていく。
そして三ラウンド目。
角から飛び出したおこめさんと、鳴くんの照準がほぼ同時に重なった。
乾いた銃声。
倒れたのは、おこめさんだった。
『また鳴選手が勝った!』
『スクリムではほぼ互角だった二人ですが、本番ではここまで鳴選手が全勝です!』
四ラウンド目も。
五ラウンド目も。
顔を合わせるたび、勝つのは鳴くんだった。
最後の一人となったおこめさんを撃ち抜くと、鳴くんは笑いながらマイクを開いた。
「いやぁ、俺のかっこいいところ見せるために、わざわざ目の前まで来てくれたおこめさんに感謝です!」
一瞬の静寂の直後。
『うぜぇぇぇぇぇぇ!!』
おこめさんの絶叫が、会場中へ響き渡った。
『おい!イケボで煽るな!俺のファン持ってく気か!?』
会場が爆笑に包まれる。
配信のコメント欄も、一瞬で文字に埋め尽くされた。
『鳴構文きたw』
『爽やかに煽るなー』
『めい×こめ!?年下にボコられるおこめ捗ります!』
『声いいから余計に腹立つw』
鳴くんはけらけら笑いながら、
「ありがとうございましたー!」
とだけ返した。
そこに悪意はない。
普段から何度も撃ち合ってきた相手だからこそ成立する、配信者同士のじゃれ合いでもありつつ、鳴くんのキャラ性もあるのだろう。
誰も本気では怒れないのだ。
試合は、そのまま七対四。
スクリムでは互角だった相手を圧倒し、Team下剋上は初戦を突破した。
◇
二回戦。
相手は、これまで一度も対戦したことのないチームだった。
大会経験の豊富な配信者を中心に組まれ、個々の派手さよりも、連携と堅実な守りを武器にしている。
相手は鳴くんを警戒し、徹底して複数人で止めにきていた。
「正面見せます」
『了解、裏回る』
「三秒後、入ります」
『合わせる!』
鳴くんが敵の意識を引きつける。
生まれた隙を味方が突く。
『Team下剋上、見事な連携です!』
派手な逆転はない。
危なげのない勝利だった。
それでも一つずつラウンドを積み重ね、試合は七対三で幕を閉じた。
初戦が、鳴くん個人の勢いを見せつけた試合なら。
二回戦は、Team下剋上の強さを証明した試合だった。
勝利が決まると同時に、手元のスマートフォンが震える。
画面を開くと、設定していた登録者数の通知。
九十四万。
九十五万。
数字は、今もなお増え続けている。
あと一勝。あと一歩だ。
準決勝を越えれば、絶対王者への挑戦権が手に入る。
そして、注目度が上がれば、ほかのストリーマーのファンの目にも触れる。
登録者百万人へも一気に手が届く。
◇
準決勝の相手は、攻撃に特化したチームだった。
個人技の高いプレイヤーを揃え、攻撃側に回れば、迷いなく全員で仕掛けてくるチームだ。
『準決勝、試合開始です!』
一ラウンド目。
攻撃側のTeam下剋上が、鳴くんを先頭に一気に拠点へ入り込む。
相手の守りが整うより早くコードを起動。そのまま押し切ることに成功。
一対〇。
二ラウンド目。
攻撃側へ回った相手チームが、今度はこちらの防衛を強引にこじ開ける。
一対一。
三ラウンド目は鳴くんたちが取る。
四ラウンド目には相手が取り返す。
二対二。
攻撃と防衛が入れ替わるたび、流れまで反転する。
攻撃側が仕掛ければ、防衛側は止め切れない。
三対三。四対四。五対五。
『ここまで、全て攻撃側がラウンドを獲得しています!』
『互いに攻撃力が高すぎる! 防衛側が一本も取れません!』
次のラウンドを取っても、その次で取り返される。
今回の大会ルールでは、攻守の機会は均等に与えられる。
このままでは、最後まで勝敗が決まらないのではないか。
そんな不安さえ覚え始めた。
六対五。
Team下剋上が先にマッチポイントへ到達する。
けれど次は、相手の攻撃。
ここまで一度も守り切れていない、防衛ラウンドだった。
「ふう、防衛か……」
鳴くんが、小さく呟いた。
声に弱さはない。
それでも、マウスを握る指先には僅かに力が入っていた。
このラウンドを落とせば、六対六。
最終ラウンドまでもつれ込む。
『Round12』
開始の合図と同時に、相手チームが動いた。
迷いのない五人での一斉攻撃。
「来る!」
『多い、多い!』
『一人落ちた!』
銃声と報告が重なる。
一人、また一人。
味方のアイコンが暗くなっていく。
相手も二人倒しているものの、残った人数は鳴くん一人に対して三人。
『一対三!』
『Team下剋上、絶体絶命です!』
コードの起動音が鳴った。
解除までの猶予は、もうほとんどない。
鳴くんは一度だけ、ゆっくり息を吐いた。
私は祈るように、モニターと鳴くんの横顔を見つめることしかできなかった。
鳴くんが解除装置へ触れた。
『解除に入った!』
すぐに手を離す。
物陰から飛び出した敵へ照準を合わせ、一人を撃ち抜いた。
『一人目!』
再び解除へ触れる。
相手が足音を響かせ、止めに来る。
鳴くんはまた手を離した。
角から姿を現した敵を、僅かな隙間から撃ち抜く。
『二人目!!』
残り、一人。
解除時間も、残り僅か。
最後の一人は姿を見せない。
探せば時間切れ。解除すれば撃たれる。
鳴くんは、もう一度解除装置へ手を伸ばした。
『今度は本解除か!?』
解除音が続く。
一秒。
二秒。
物陰から最後の敵が飛び出した。
それでも鳴くんは、手を離さない。
『間に合うか!?』
銃弾が鳴くんのキャラクターを掠める。
体力が削られる。
それでも致命傷は免れ、解除ゲージが最後まで到達した。
『解除成功!!』
『鳴選手、一対三を制しました!!』
一瞬遅れて。
画面に勝利の文字が映し出された。
『Team下剋上、七対五!』
『チャンピオンチームへの挑戦権を獲得しました!!』
実況の絶叫と、会場の歓声がスピーカーから押し寄せる。
仲間たちの声も、一斉に弾けた。
『やば!』
『マジで!?』
『鳴、何してんの!?』
同じチームとはいえ、四人はそれぞれ別の競技室にいる。
互いの顔は見えなくても、ボイスチャット越しの声だけで、全員が立ち上がって騒いでいることが分かった。
鳴くんはヘッドセットを少しずらし、大きく息を吐く。
「……危な」
マウスから離れた右手が、僅かに震えていた。
それを見た瞬間。
張り詰めていたものが、一気に緩んだ。
勝った。
本当に、勝った。
今私は、凄い瞬間に立ち合っている。
そんな実感が少しずつ湧いてくる。
「鳴くん……!」
呼びかけると、鳴くんが椅子ごとこちらを振り返った。
さっきまでの鋭い表情は消えている。
いつものように目を細め、少し得意げに笑った。
「見てた?」
「見てたよ……!」
「かっこよかったでしょ」
否定する余地なんてなかった。
それなのに。悔しいくらい。嬉しいくらい。笑ってしまうほど、鳴くんらしい言葉だった。
「……うん。すごく、かっこよかった」
素直に答えると、鳴くんが目を見開く。
「え」
「心臓止まるかと思った」
「あ、はは」
「え、何?」
「いや……流されると思ってたから、ちょっと照れちゃった」
鳴くんは僅かに頬を赤くすると、誤魔化すようにモニターへ向き直った。
画面では、勝利を祝うコメントが目で追えないほどの速さで流れている。
『神解除』
『一対三やばすぎ』
『TEAM下剋上きたあああ』
『王者倒してくれ!』
『チャンネル登録した』
登録者数も確認しなければならない。
そう思うのに、まだ立ち上がることができなかった。
膝から力が抜けている。
さっきまで鳴くんは、こんな状況で戦っていたのだ。
私には、見ていることしかできなかったのに。
「高瀬さん」
背中を向けたまま、鳴くんが呼ぶ。
「なに?」
「次も見ててね」
当たり前のことだ。
私は鳴くんの担当マネージャーなのだから、最後まで、この部屋にいるに決まっている。
でも、そんな話ではないということくらい、もうわかっている。
そして私もその想いを否定する気にはなれないのだ。
「もちろん」
答えると、鳴くんが満足そうに笑った。
チャンピオンチームとのエキシビションまでは、二十分の準備時間が設けられている。
チームメンバーとの簡単な反省会を終え、鳴くんが水へ手を伸ばした、その時だった。
控えめに、部屋の扉が叩かれる。
「大会運営です。少々よろしいでしょうか」
返事をすると、扉が僅かに開いた。
身元が特定されることを防ぐため、この競技室へ入れる人間は事前に登録されている。
大会スタッフであっても、許可なく入室することはできない。
「チャンピオンチームの湊さんが、ご挨拶をしたいとのことですが」
「湊さんが?」
私が鳴くんを見ると、彼は一瞬だけ眉を寄せた。
湊さんは普段から素顔で配信活動をしているけれど、鳴くんが配信者として素顔を見せているのは、事務所の関係者だけだ。
社外の人間と話す際は、アバター越しか、顔の見えない環境で対応するのが基本だった。
同業者の中にも素顔を知る相手はいるにしても、二人は互いに素顔のまま対面したことがない。
「どうしよ……鳴くん、会う?」
小声で確認すると、鳴くんは扉を見つめたまま僅かに間を置いた。
「事務所の契約的に問題ないなら、俺は会いたいです」
それから、いつもの表情へ戻る。
「じゃあそうしよう」
スタッフに案内され、湊さんが部屋へ入ってきた。
ステージに立っていた時と変わらない、爽やかな笑顔。
その視線を正面から受ける鳴くん。
その素顔を、湊さんが見るのは初めてだった。
湊さんの目が、ほんの一瞬だけ見開かれる。
けれど、驚きを口にすることはなかった。
「お疲れさまです」
何事もなかったように、最初に私へ軽く頭を下げた。
それから改めて、鳴くんへ視線を移す。
「本当に挑戦権を取ってくるとは思わなかったよ」
褒めているようで、どこか挑発しているようにも聞こえた。
「どうも」
鳴くんは椅子から立ち上がる。
湊さんが右手を差し出した。
「改めて、よろしく。いい試合にしよう」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
二人の手が重なる。
年齢も、活動歴も、登録者数も。
大会で残してきた実績も今はまだ、湊さんの方がずっと上。
それでも、向かい合う二人の間に、以前ほどの差は感じなかった。
「最後の防衛、すごかったよ」
「ありがとうございます」
「一対三から解除まで持っていくなんてね。『主人公かよ』って、まだ会場も騒いでるよ」
湊さんは笑ったまま、握った手を離さない。
「でも、次も同じようにいくと思わないでね」
そのまま鳴くんに一歩近づく。
そして。
私には聞こえないほど小さな声で、鳴くんの耳元へ何かを囁く。
「――僕を一度でも倒せたら、紬さんとの約束はキャンセルしてあげる」
鳴くんの目が、僅かに細くなった。
「できなかったら、二度目も遠慮なく誘わせてもらうよ」
湊さんは何事もなかったように体を離す。
「それじゃあ、決勝で。楽しみにしてるよ」
爽やかな笑顔を残し、スタッフとともに部屋を出ていった。
扉が閉まる。
「……何を言われたの?」
尋ねても、鳴くんは答えなかった。
ただ、閉じた扉をじっと見つめている。
さっきまでの勝利の余韻は、もうその顔には残っていない。
怒っているとはどこか違うけれど、ピンと張りつめた空気。
声を荒らげることも露骨に表情を歪めることもない。
それなのに、静かに伏せられた瞼の奥で、何かが燃えている。
鳴くんはゆっくりと椅子へ座り直す。
ヘッドセットを手に取りながら、小さく呟いた。
「……絶対、倒す」
その声は誰かに向けられたものというより、静かな決意そのもののようだった。
私は何も聞けないまま、その横顔を見つめていた。




