第13話 よそ見厳禁でしょ
あの日を境に、何かが劇的に変わったわけじゃない。
むしろ、お互い何も変わっていないように振る舞うことはできていると思う。
大会まで残り二週間。
配信の打ち合わせ、大会練習、サムネイルの確認、告知ポストの作成、日程をずらせるコラボ配信の調整。
大会が近づくにつれて、やるべきことは増える一方だった。
気が付けば、鳴くんからのチャットの返信が深夜三時を回っていることも珍しくない。
それでも翌日になれば、何事もなかったようにLiveのダンスレッスンへ参加し、スタッフにも共演者にも笑顔を向けている。
疲れたなんて一度も言わない。
眠そうな顔を見せることもない。
配信者として求められること。
大会メンバーとして求められること。
その全部を、自分がやるべきことだからと当然のようにこなしていく。
一緒に仕事をしたい。
そう思わせる人は、どんな業界でも強い。
鳴くんは理屈じゃなく、それができてしまう人だった。
だから周りは自然と力を貸したくなる。
気付けば誰もが、鳴くんのために動いている。
「高瀬さん」
名前を呼ばれ、パソコンから顔を上げる。
フリースペースで資料をまとめているうちに、ずいぶん集中してしまっていたらしい。
目の前には、ダンスレッスンの休憩途中らしい鳴くんが立っていた。
「ん? どうしたの?」
初めに渡した飲み物や軽食が足りなかっただろうか。
そう思って聞いた私に、
「前髪切った?」
思わぬ一言。動きが止まる。
「……え?」
「似合ってる」
それだけ言うと、鳴くんは満足したように小さく笑って、そのままスタジオの方へ歩いていく。
残された私は、数秒固まったままだった。
……いや、え?
あの日から、鳴くんは少しだけ変わった。
今までなら胸の内へしまっていたような言葉を、さらりと口にするようになった。
周りに気付かれないように一目や距離感を弁えつつ、だけど確実に私の心を揺さぶるように。
こんなの、心臓に悪い。
本人は言いたいことを言って満足したのか、もうこちらを振り返ることもなくスタジオに帰ってゆく。
なんでそんなに平然としていられるんだろう。
お互い何も変わっていないように振る舞うことはできていると思う。
でも、私は、あの日の言葉一つひとつを思い出すだけで胸が苦しくなるのに。
私が取り繕えているのは表面上でしかないのだ。
◇
あれから鳴くんは、配信の時間以外もチームメンバーやコーチとクリコの練習に明け暮れていた。
私も帰宅してから、その様子を配信やアーカイブで確認するのが日課になっている。
「……え」
深夜までチーム練習をして、数時間後にはまたライブの準備の為ミーティングへ出席する。
なのに、日に日にエイムが良くなっていく。
「……なんで?」
お風呂に浸かりながら、思わず独り言が漏れた。
元々、鳴くんのエイムはプロを目指せる腕前だった。
でも、この数日は何かが違う。
撃ち合いになった瞬間、とんでもない集中を見せる。
ここ、という一発を外さない。
マウスでも替えたんだろうか。
感度を調整した?
デバイス?
それとも、ただひたすら練習した結果?
明確な理由は分からない。
だけど、それ以上に目を引いたのはチームの空気だった。
最初の頃は、どこかぎこちなかった。
初対面同士の遠慮。
探り合うような会話。
敵の位置を伝えるコールも少なく、噛み合わない場面が目立っていた。
それが今では。
『ナイス!』
『ごめん、今の俺だ!』
『いや、大丈夫! 次いこ!』
『それなら次こうしよう』
失敗を責める声は一つもない。
誰かがミスをすれば、自然と次の一手を考える。
笑い声も増えた。
配信が始まる前から雑談が聞こえてくるくらいには、チームになっていた。
その中心には、いつも鳴くんがいた。
コールは誰より的確だった。
敵の位置。
攻めるタイミング。
引く判断。
その一つ一つに迷いがない。
『いける、いける!』
鳴くんの声が飛ぶ。
『え、これいける!?』
『いや、さすがにきつくない!?』
『大丈夫! 合わせて!』
一瞬戸惑った声が、次の瞬間には前へ出る。
『ナイス!』
『勝った!』
『マジかよ!』
歓声がボイスチャットに響く。
根拠なんて、誰にも説明できない。
それでも鳴くんが「いける」と言えば、本当にいける気がしてしまう。
そして、そのまま勝ってしまう。
もちろん、チームメンバーだって全員が有名配信者で、確かな実力を持つ人たちだ。
誰か一人に引っ張られるような人たちじゃない。
それでも、気付けば全員が鳴くんの指示に耳を傾ける。
気付けばその声を合図に動いている。
埋もれるどころか誰よりも前で、このチームを牽引している。
ゲームが上手いだけじゃない。
配信が面白いだけでもない。
人を信じさせて、人を惹きつける。
彼には、人に夢を見させる力がある。
きっとこれが、一番星の持つ輝き。
◇
鳴くんがスタジオへ来る日は、自然と自分のデスクではなくフリースペースで仕事をするようになっていた。
大会まで残り数日。
ライブのレッスンも重なり、過去に類を見ないほどの過密なスケジュールだ。
ちゃんと顔を見て様子を見ておかないと。
また無理をして熱でも出したら困る。
マネージャーとして当然のこと。
……そう、自分に言い聞かせる。
さっきトイレでリップを塗り直した。
前髪も整えた。
今までなら、終業までリップを塗りなおし忘れることもあったのに。
鳴くんが、あの日から。
今まで言わなかったようなことを、何でもない顔で口にするようになった所為で。
切った前髪、ヘアセット、付けたアクセサリー。
似合っているとか、可愛いとか、そんなことを言われるたびに。
見られているんだと、意識してしまう。
身だしなみを整えるのは社会人として当然のこと。そう思っている。
でも、それだけなら。
どうして鳴くんが来る日だけこんなにそわそわするのか。
私は意図的に考えないふりをした。
「高瀬さん」
資料へ視線を落としていた私は、聞き慣れた声に顔を上げた。
「ん?」
ダンスレッスンへ向かう途中なのだろう。
鳴くんはラフな格好のまま、フリースペースにいた私の前で足を止める。
何か仕事の話かと思った。
「俺、ワンピース好き」
「……そう、ですか」
突然すぎて、反応が一拍遅れる。
しかもなぜか敬語になってしまった。
鳴くんは私の全身を見たまま、うんうんと小さく頷く。
「今日の」
「…………」
一瞬、自分の服へ視線を落とす。
淡いベージュのワンピース。
特別なことなんてない、どこにでも売っている何の変哲もない綺麗めのもの。
でも、そんなに見られると何か変かなと気になってくる。
「そういう色も似合ってる」
「あー……ありがとう」
なんとかそれだけ返すと、鳴くんは口元を緩めた。
「照れてる」
「別に照れてない」
「嘘」
断言されてしまう。
「高瀬さん、分かりやすいから」
「そんなこと──」
言い返そうとした、その時。
パソコンの画面右下に、小さく通知が表示された。
『湊:大会終わった翌週、金曜日の夜ご予定どうですか?』
「……え」
慌ててマウスへ手を伸ばす。
消さなきゃ。
そう思った時には、もう遅かった。
鳴くんの視線が、一瞬だけ通知を凝視する。
胸が、どくりと鳴った。
恐る恐る顔を上げると、虹彩の薄い瞳が私を映す。
鳴くんは何も言わないままに、ほんの一瞬だけ通知へ視線を落として。
それからまた私へ向き直る。
「高瀬さん」
「ん?」
「大会、勝つね」
あまりにも真っ直ぐな声だった。
「……うん」
それしか返せない。
鳴くんはにやりと笑って。
「もしさ、大会見て俺に惚れ直して」
「……え?」
「デート、行きたくなくなっちゃったら」
悪戯っぽく目を細める。
「湊さん、怒るかな」
「な、何言って──」
言い終わる前に伸びる指に、ぷに、と頬をつままれた。
「……っ」
驚いて目を見開く。
鳴くんは満足そうに笑うと、顔を少しだけ近付けた。
ふわり、と制汗剤と柔軟剤の混じった匂いがする。
「よそ見厳禁でしょ」
耳元で、小さく囁く。
そのまま何事もなかったみたいに体を離して。
「じゃ、レッスン行ってきます」
満面の笑みで手を振ると、スタジオの方へ歩いていった。
「……っ」
取り残された私は、その場で固まることしかできない。
数秒遅れて、ようやく頬へ手を当てる。
へなへなとPCを抱えて、ローテーブルに突っ伏す。
空調は変わっていないはずなのに、顔が燃えそうに熱かった。
お互い何も変わっていないように振る舞うことはできている、はずだったのだ。
だけど、最近の鳴くんは手加減というものがないのだろうか。




