第12話 星に焦がれる
「……なんで、名前で呼ばれてるの?」
静かな声だった。
怒鳴っているわけでも、責めているわけでもない。
それなのに胸が酷くざわつく。
会議室の空調だけが、小さく鳴っている。
俯いていた鳴くんがゆっくりと顔を上げる。
真っ直ぐに向けられた視線から、私は逃げられなかった。
「え……?」
「……湊さんはさ、」
その名前が、やけに静かな会議室へ落ちた。
「なんで名前で呼ぶの。元々知り合いだったとか?」
鳴くんの視線が、まっすぐ私を射抜く。
誤魔化させてくれない。
そんな意思が、その静かな眼差しから伝わってきた。
「知り合いだったっていうか……」
何から説明すればいいんだろう。
自分でも上手く整理できていないことを、どう言葉にすればいいのか分からない。
言葉を探すたび、鳴くんの表情が少しずつ曇っていく。
私が答えに詰まる時間さえ、何かを確かめる材料になってしまっている気がした。
「なんて言ったらいいのかわかんないけど、」
一度だけ視線が伏せられる。
自信なんてどこにも残っていないような、傷ついた顔だった。
「付き合ってたり、しますか?」
鳴くんの中で出来上がってしまった答えは、あまりにも突飛だった。
だけど、そう思い込んでしまうくらい傷つけてしまっていた。
戸惑いと絶望が、その問いの奥に滲んでいる気がした。
「え!?そんなわけ!」
思わず声が大きくなる。
会議室に自分の声だけが響いて、慌てて口をつぐんだ。
「そっか、だから俺を入れてもらえたのかなとか、思って」
「そんなわけ……」
否定しながらも、語尾は弱くなる。
あのやり取りを思い返せば、鳴くんがそんなふうに考えてしまうのも無理はなかった。
「でも、明らかに高瀬さんに下心あったよね」
一瞬だけ迷う。
多分、もう少し冷静だったのなら誤魔化すこともできただろう。
でも、鳴くんの傷ついた顔を見たせいで、動揺していて、上手く取り繕えなかった。
「下心って言うより、昔私のファンだったみたいで」
「ファン?」
「懐かしいというか、嬉しくなっただけだと思う」
鳴くんは何も言わない。
ただ、私の顔をじっと見つめていた。
真相を見極めようとするような、探る視線に落ち着かなくなる。
「ふーん……ほんとにそれだけ?」
「なんかプライベート誘ってきたりしてないの?」
心臓が、どくりと跳ねた。
一番触れてほしくなかったところへ、真っ直ぐ踏み込まれる。
「あ……えっと、一度ご飯に行ってほしいって言われて」
言い終えた瞬間だった。
鳴くんの眉が、ぴくりと動く。
「大会に出してもらう代わり?」
「いや」
私は首を振った。
「交換条件って言われたわけじゃない」
「でも私が勝手にそう受け取っただけ。断っても、多分大会には出してくれたと思う」
湊さんへ恩を感じている気持ちもあったし、鳴くんと今後いい関係を築いてチャンスにしたい気持ちから、相手へのヘイトをカバーしたい一心でそう口にする。
あの人は最後まで強制なんてしなかった。
私が冗談をうまくかわせなかっただけ。
鳴くんはしばらく何も言わなかった。
ただ、握り締めた彼の拳だけが少しずつ白くなっていく。
「……最低じゃん」
「元プロで、あんなにすごい人なのに」
顔を伏せる鳴くんは、嘲笑しながらも眉間の皺は深くて。。
「尊敬してたのに」
その笑顔は笑っているというより、失望を隠そうとして苦しんでいるように見えた。
「そんな、女の人が断れないような誘い方するとか、そんなやり方する人だったんだ」
私に言っているというより、独り言みたいな声音。
自分が抱いていた憧れを必死に飲み込もうとしているみたいで、胸が締めつけられる。
「会うんなら俺もついてく」
顔を上げた鳴くんの目は、もう迷っていなかった。
「危ない目にあったらどうするの」
真っ直ぐすぎる言葉に、一瞬息が止まる。
私を責めているんじゃない。
本気で心配しているのが伝わってきて、余計に苦しくなる。
「そんな目に合うわけないでしょ。正直、あんな、女性に困ってない人がそんなリスクのある事してこないよ」
自分に言い聞かせるように続ける。
そう思わないと、自身の判断を否定することになってしまうから。
「どーだか!あの言い方、明らかに俺に牽制してきてたけどね!」
語気が強まる。
「高瀬さんが考えなしなんでしょ!なんでそんな、一人で交渉なんてしに行ったの!?俺も連れて行ってくれれば……っ!」
言い切る前に、言葉を飲み込む。
悔しそうに唇を噛む姿に、胸の奥はじくりと痛んだ。
守りたかった。
そんな顔をされるとどうしたいいのかわからない。
「鳴くんのリソースは確定した予定に費やしてよ。その為の私たちマネージャーだよ」
マネージャーだから。
その一言で片付けてしまえば、きっと鳴くんも納得してくれると思った。
私自身がそれで納得しているように。
「やめてよ。もう十分っ俺の為に……こんなことまでしなくていいから」
その一言に息が止まる。
その言葉は、私が想像していたどんな返事とも違っていた。
『ありがとう』でも、『無茶しないで』でもない。
『もうしなくていい』。
その一言だけが、胸の奥へ重く沈んでいく。
私が鳴くんのためにしてきたすべてを否定されたようで。
「なん、で、」
上手く声が出ない。
「なんでわかんないの」
鳴くんは心底あきれたように息を吐いた。
その表情にあるのは怒りだけじゃない。
言っても伝わらない苦しさが滲んでいた。
「俺のせいで高瀬さんが危ない目に遭うかもしれないって思ったら、頭おかしくなりそうなんだよ」
「別に鳴くんの所為じゃ」
「俺の為だよ」
被せるように返された声に、思わず言葉を失う。
「俺に言わなければバレないって思ってたんでしょ」
心臓が跳ねた。
図星だった。
もし大会に出られたなら、それで終わりにするつもりだった。
湊さんに誘われたことも。
全部、私の中だけで片付けるつもりだった。
「…………」
何も返せない。
鳴くんの視線から逃げるように俯く。
「俺の気持ち、知らないふりしたいんだって、わかってるよ」
その声は少しだけ掠れていた。
怒っている。
でも、それ以上に傷ついている。
「でも、無理だよ」
唇を噛んで、それでも諦めたように笑った。
「高瀬さんも俺のこと、少なからず大事に想ってくれてるでしょ」
「っちが」
「違わない」
間髪入れずに返ってくる。
「……勘違いじゃないでしょ」
「担当したライバーってだけで、俺の為にこんな全力で」
その声は震えていて。
「……どうして、ここまでしてくれるの?」
苦しそうに息を吐いて。
「なんで、一人で行ったんだよ……っ」
責めているのは、私じゃなくて自分自身に聞こえた。
「……鳴くんは、一番星だから」
縋るような、責めるような鳴くんの声の所為で。
引き摺り出された本音は、ああ、駄目だ。
口にしたら、もう止まらない。
「誰より輝いてるって思うから」
目頭が熱くなって、視界が滲んだ。
「雲を掃えば、輝きは誰にも負けない」
涙で霞んだ視界の向こう、鳴くんがじっと私を見ていた。
「だったら、私がするべきことは決まってる」
指先で涙を拭ったそばから、新しい涙が頬を伝って落ちていく。
「みんなが鳴くんを見つける舞台を整えること」
何度呼吸を整えても、息は苦しいままだった。
「だから、湊さんが昔Stellaのファンだったって情報を見たとき。これを利用しようって、決めてた」
利用。
自分で口にして、その言葉の冷たさに頭が冷えるのを感じる。
それでも、手段を問う暇はなかった。
百万人に届く可能性が少しでも上がるなら、それでいいと思ってしまった。
「湊さんは著名人だから、変なことはされないって高をくくってたけど。ちゃんとボイスレコーダーも仕掛けていったよ」
必死に笑おうとした。
でも、吐き出した本心のせいで、感情の波が声を震わせる。
「私、ちゃんと、そんな無謀じゃないよ」
「……そっか」
鳴くんは少し肩の力を抜いて笑い返してくれる。
「わかってるよ」
ゆっくり鳴くんの腕が動く。
何をするのかと思った次の瞬間。
私の手が、温かさに包まれた。
気づけば両手ごと、大事なものを扱うみたいに握られていた。
「高瀬さんは、大人の女性で。俺の助けなんかなくても平気なんだって」
互いの視線は自然にそこへ落ちる。
「……でも」
そっと包み込んだ両手に祈るように額を寄せて。
「好きな人の心配くらい、させてよ」
「……」
なんて台詞なんだろう。
ボイスみたい。
そんなふざけた思考でもしないと、流されて絆されてしまいそうだ。
「今日の話だって」
「俺が聞かなかったら、一生言わなかったでしょ」
何も言い返せない。
図星だった。
「俺さ、さっき、ちょっと思っちゃった」
「歳の差とか考えたら、湊さんの隣の方が、幸せなのかもって」
鳴くんは泣き濡れた私とは相反して冷静な声のまま苦しそうに目を伏せる。
「ああいう人の方が似合うんだろうなって」
少しだけ間を置いて、ゆっくり顔を上げた鳴くんと目が合って。
「……でも」
「それでも、俺が、一番あなたを好きだよ」
ただ、愛を告げる形のいい唇。
心臓が止まりそうになる。
「マネージャーだったから好きになった」
「それはそうだと思う」
声色は夢見るように少し笑っていて。
「でも、マネージャーじゃなくなったくらいで、好きじゃなくなるような気持ちじゃない」
それでも、その一言だけは驚くほど真っ直ぐで。
嘘なんて、一つも混ざっていなかった。
涙がまたひとつ、流れた。
鳴くんの指がそっと私の頬を滑って、涙を抄う。
「ねぇ」
「……湊さんとデートするなら、俺ともデートして」
これでもかってくらい優しい声で、告げられたのは思いもしない提案だった。
「え、」
「じゃないと大会本番出ない」
「……!?」
戸惑う私を嘲笑うように。
人の努力を無に帰すような脅迫を口にする。
「卑怯だし、ここまでしてもらって最低なこと言ってるよね。でも、」
でも、そんなことは鳴くんの側が重々承知の事実だった。
「デートしてくれたらいいだけ。お願い」
「……はぁ」
まさかこんなことまで言ってくるなんて思わなかった。
こうなってしまったら私の側にどんなカードも提示しようがなかった。
思わずため息が漏れる。
「ね、お願い!」
「わかった。スケジュールオフにできる日があるのかは疑問だけど」
「うん。ありがとう」
苛立ちを少しも隠さずに言った一言に、鳴くんは嬉しそうに微笑む。
「……でも、」
私は少しだけ表情を引き締めた。
「仕事にそういう感情を持ち込まれるのは困る」
「うん」
泣き濡れた声を抜けきれないまま、それでもきつく注意する目的で言った一言に、鳴くんは静かに頷く。
「分かってる」
少しだけ寂しそうに、それでもどこか晴れやかな笑顔。
「だって、今までずっと一緒にいたんだから」
その笑顔は、何か吹っ切れたようだった。
「でも」
「いつまでも、紬さんの言うことを聞く、いい子の俺だと思わないで」
ぐっと距離を詰めて耳元に寄せた唇が、自分勝手な宣言。
「もう我慢なんてできないんだよ」
本能的な擽ったさに身を縮める。
「多分だけどさ、ライバーとして俺のこと大好きなら」
穏やかな声が告げるのは、
「絶対男としても好きになるよ」
「……っ」
今の私にとっては死刑宣告みたいな言葉だった。
逃げ道なんて、最初から用意されていない。
「見ないふりしても無駄だよ」
真っ直ぐ見つめたままの瞳。
「ずっと星に焦がれてるのは」
繋がれた手は絡め取るように優しいまま離してくれない。
「高瀬さんなんだから」
自信に満ちた鳴くんの声を聴きながら思った。
そうだとしたら、本当に抵抗するだけ無駄で。
私はきっと、この先もこの星から目を逸らせないってことになる。




