第10話 勝負の日
鳴くんの家から帰った翌日。
何事もなかったように出社して、いろはさんの収録に同伴をして、打ち合わせをして。
鳴くんの抜ける穴を埋めるための調整をする。
余計なことを考えずに済むから、仕事があってよかったと思う。
忙しければ、鳴くんの狂おしい熱を、あの愛しくてたまらない瞳を思い出さずに済んだ。
鳴くんも二日間配信を休み、昨日から活動を再開した。
恐らく、喉はまだ万全ではない。
それでも本人は以前以上の勢いで動画を撮り、配信をし、企画を考えている。
登録者も順調に伸びていた。
八十六万人。この一か月でも6万人も伸びている。
九十万人も見えてきた。
その為の企画も動かしている。
けれど──。
このペースでは、間に合わない。
八月末のライブまであと二か月程度で十四万人。
毎日の増加数を何度シミュレーションしても、数字は届かないと告げてくる。
だから必要なのは、今まで波多野鳴を知らなかった層へのアプローチ。
既存のVtuberファンではなく、新しい視聴者を取り込む。
そのための一手は、実はずっと前から考えていた。
ただ、実現できる可能性は限りなく低いと思った。
交渉先の相手が大物すぎるからだ。
それでも、諦めたくなかった。
ただ、先日知った情報が一つの取っ掛かりになると踏んでいる。
何度も資料を作り直し、波多野鳴を売り込み、ようやく一本のアポイントメントを取り付けることができた。
今日、この提案が通れば、鳴くんは百万人へ大きく近づく。
通らなければ、私はまた、別の道を探さなければならない。
もう時間の猶予はほとんど残されていない。
だから今日は、私にとっての勝負の日だった。
◇
約束の時間ぴったり。
通された個室の扉が開き、一人の男が姿を現した。
ラフな服装にキャップ。
画面越しでは何度も見たことのある顔なのに、不思議と威圧感がある。
「お待たせしました」
穏やかな笑みを浮かべながら上座につく。
「湊です。今日はわざわざありがとうございます」
湊。
登録者800万人を誇る超有名Youtuber。
年齢にしたら同年代ながら、トップYoutuberが多数所属するストリーマー事務所の代表兼取締役でもある。
物腰は柔らかく、動画で見せる飾らない雰囲気のままだ。
けれど、一瞬で認識を改めた。
纏う空気はこの人は"演者"ではなく、"経営者"のものだった。
鳴くんについてまとめた資料を一通り読み終えた湊は、静かに紙を閉じた。
「なるほど」
一言だけ。
そして、私を見た。
口元には緩く笑みをたくわえていて、本心の読めない相手だ。
次に続く言葉に身構える。
すると、
「でも、正直難しいですね」
簡潔な言葉と共に首を振られた。
「……そうですか」
「大会って、ただの企画じゃないんですよ」
指先で作ってきた資料を軽く叩く。
提案は、ざっくり言ったら、彼が毎年開いているゲームの大会に波多野鳴を出場させてほしい。というもの。
「うちの事務所の子も出ますし、仲のいい配信者も呼びます。誰と当てるかまで含めてイベントですから」
柔らかな口調なのに、断る意思は揺るがない。
「基本、自分の事務所の子と仲のいい配信者とか、推したい人とか数字取れる子しかアサインするつもりはありません」
当然だ。
もし私が同じ立場でも、そう判断する。
彼の側に利点がない。
「……承知しています」
唯一、可能性があるとすれば。
以前、テレビ番組でStellaのファンだったと話していたことくらい。
……そう思ってはいたが。
そんな昔話で仕事が動くほど、この人は甘くなかったということなのだろう。
結果として、甘かったの一言に尽きるだろう。
本名で活動していたので気が付くかと思っていたが、特に気にするような様子はなかった。
「……承知しています」
それでも頭を下げた。
「ですが、どうしてもお願いしたくて」
湊は少しだけ首を傾げる。
完敗してる状態から事態をひっくり返す為の方法を、私は一つしか知らない。
その為にはどんな手段も選んではいられないと思った。
「別に、あの子なら放っておいても百万人くらい行くでしょ」
その言葉に、私は小さく首を横に振った。
「八月末のライブまでに」
一度息を吸う。
「百万人になると約束したんです」
「……約束?」
契約とか、そんな言葉ではなく。
のっぴきならない事情なんかじゃない。
でも、そうしないといけない理由がある。
お互いが達成のために全力を尽くす。
状況からして見込みの少ない商談を動かすために重要なのは、自己の開示と熱意。
「本人と」
「……」
湊さんは何か考えるように視線を落とした。
「ふーん」
口元が少しだけ緩む。
「熱心なマネージャーさんを持って、羨ましい限りですね」
けれど、その笑みもすぐ消えた。
肘をテーブルにつき、頬杖をつく。
「でも、約束なんて、僕には関係ないですよね」
その通りだった。
「……はい」
目に見えて落ち込む私を見て、彼はそんな顔しないでくださいと苦笑いする。
「本気で頼むなら、聞いてあげなくもないですけど」
その目が、試すように細められる。
「マネージャーさんは、何ができるんです?」
私は言葉に詰まった。
差し出せるものなんて何もない。
そんな私を見て、湊さんは少しだけ口角を上げた。
「美人だし」
一拍。
「接待でもしてくれんの?」
そう言って薄くつくられた笑みは、強者独特の余裕に満ちていて。
端正な顔に高身長高学歴、近年は高額納税ランキングにも載ってくる彼は、女性人気も非常に高い。
そんな彼にとっては私程度の美人なんか見慣れているだろう。
でも、迷わなかった。
どんな取っ掛かりで気に入られるのだとしても、懐に飛び込めるのなら願ったりだった。
「ご希望でしたら、ぜひ」
光栄ですと言わんばかりに微笑むと、一瞬驚いたように上がる眉。
しんと走る沈黙。
「……っ、あははは!」
空間を割くように、大きな笑い声が響く。
「いやいやいや!」
突如笑い出した目の前の男は、目尻に涙まで浮かべながら笑う。
「そこ否定するとこでしょ!普通、困りますとか言うじゃないですか!」
「……仕事ですので」
自分で言わせておいてなんなんだこの人。
そう思っているのを少しも隠さずにで答えると、湊はさらに笑った。
「ははっ……変わったなぁ」
「……?」
「昔はあんなに握手会で震えてたのに」
目尻の涙を指先で拭いながら言われた一言に、思考が止まる。
「……え?」
驚く私の顔を見て、湊はまた肩を揺らしながら笑う。
「覚えてないですか?」
「僕、Stellaの握手会、結構行ってたんですよ」
思考が止まる。
Stella。
それは、かつて私が所属したアイドルグループの名前。
「……え?」
「僕、あなたと何度も握手してますよ。高瀬紬さん」
ぽかんと口を開けたままの私に、嬉しそうに目を細めるその人は、少し照れ臭そうに。
でも困ったようにそう言った。
「……握手会」
頭の奥に、ぼんやりと景色が浮かぶ。
長机の向こう側。
途切れることなく並ぶファンの列。
一人一人数秒だけ交わす会話。
けれど、それだけでは思い出せない。
あの頃は、一日に何百人もの人と握手をしていた。
全員の顔を覚えられるわけもなかった。
「すみません……」
一方的に覚えてもらっていることに、申し訳なさが先に口をつく。
「はは、覚えてなくても当然ですよ」
失礼なはずなのに、湊はあっさり笑った。
「むしろ、覚えてなくてよかったと思いますよ。あの頃は青臭いガキだったもんで」
「……えっと、」
確かに、今の彼は時代の風雲児ともいえる。
過去の自身がどんな姿でも、今の姿に比べたら見劣りするというものだろう。
それでも、自分で言うのと他者が言うのとでは話が違う。
どう返したらいいのかわからずに目線を逸らすと、湊はまた嬉しそうに笑う。
「高瀬さんは相変わらずお綺麗ですけどね」
一瞬だけ、場が静かになる。
「……え?」
何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
「あ……ありがとうございます」
ようやく口から出たのは、そんなありきたりな返事だけ。
照れるというより、どう受け止めればいいのか分からない。
視線の置き場に困り、誤魔化すように髪を耳へ掛けた。
「すみません。引かないでくださいね」
「引退後に配信者のマネージャーやってるとは存じませんでしたので」
私は苦笑するしかなかった。
「人生、分からないものですね」
「ほんとですよ」
私の心からの一言に、湊は頷く。
「昔の推しに頼まれたら、断れないじゃないですか」
“推し”その一言に、私は思わず顔を上げた。
正面からかち合った視線。
目の前で、心から嬉しそうに微笑まれる。
「大会」
さっきまでの仕事の顔に戻る、経営者の男。
「鳴くんアサインして、勝ち残ってくれたらちゃんと僕と当たるように調整します」
淡々としたその口調は、今日の初めに受けた印象そのままだったわけだけれど。
「もちろん、勝敗は操作できませんけど」
推しなんて言われたからなのか、それとも私の提案が通ったからなのか。
今は目の前の男が全然違って、まるで心強い味方のように見える。
「そこは僕もプライドかけているエンタメなんで。ご理解ください」
一瞬、言葉を失う。
「……ありがとうございます」
深く頭を下げる。
まさか本当に通るとは思わずにここに来たからだろうか。
しばらく頭を上げられなかった。
「いやいや頭上げてください」
湊は笑って手を振る。
「あ、じゃあ一つだけ条件出してもいいですかね」
促され、私は顔を上げる。
「はい」
「今度、ご飯付き合ってください。接待とかじゃなく」
「……!」
それは、私が申し訳なく思わないように配慮されただけのような提案だった。
「……それで、よろしければ、ぜひ」
今更私なんかとご飯に行って何にもならないだろう。
だから、これは彼側の配慮でしかない。
湊は数秒固まり、そして吹き出した。
「ははっ!いや、即答なんですね!」
軽快な笑い声は、動画の中から飛び出してきたようだ。
「……変わったって言ったけど、そういう人を疑わないところ、相変わらずですね」
「…………」
何をもって、私が変わらないと言っているのか。
わからなくて、何も言えずにいる。すると、
「ますます、会えてよかったです」
満足げに微笑む湊さん。
その姿を見て、本心から敵意はないことはわかった。
ようやく、私も肩の力を抜いた。
「では、もう大々的に宣伝し始めているので、せっかくだし早急にプロモーションしていきましょう。よろしくお願いします」
そう言って伸ばされた手を握り返す。
大きなオフィスビルを振り返りながら考える。
あの人は最初から私を試していたのか。
それとも、本当に昔のファンだったから気持ちが動いたのか。
結局、最後まで分からなかった。
けれど結果は、勝ち取れた。
大会への出場。そして、鳴くんと湊さんの対戦。
それが叶えば百万人への、大きな一歩だ。
ただ、今日の提案の詳細は鳴くんに知られたら、面倒なことになりそうだった。
大会の話だけなら、きっと喜ぶ。
勝ち上がれるかどうかは本人の実力次第なのだから。
けれど、そのために私が湊さんへ頭を下げ、二人で食事をする約束までしたと知ったら。
あの子はきっと、素直には喜べない。
ここから先は鳴くんの実力次第だと思う。
それでも彼が戦える土俵に持っていくこと。
これは、私の出来る最後のサポートになるかもしれない。
今日。
だめもとでも、この場所まで来てよかった。




