3.小夜子 通過儀礼④
私は空になったカップを投げ捨てるように、シンクに置き、別のカップを棚から取り出す。ソーサーもついた気分だけでもちょっとした贅沢を味わえるものだ。このカップとソーサーのセットにはバイオリンが描かれており、一時期クラシック音楽にハマった際に、たまたま雑貨ショップで見つけた思い出の品だ。あと数分で30歳を迎える。少しくらい贅沢をしても許されるだろうと思いながら再度お湯を沸かす。水がお湯になるまでの間、食べようと思っていたケーキを冷蔵庫から取り出し、お皿に置く。こんな夜遅くに食べるのはどうかと思ったが、今日は30歳を迎える。ちょっとくらいの贅沢もいいじゃないか、と自分に言い聞かせる。
私は淹れたての紅茶とケーキをテーブルに置き、亮平のド真ん前のポジションに座る。そして、亮平を眺める。亮平は安心したような顔をしている。亮平はすべてをわかっているんだ、そう感じた。私は大きな深呼吸をし、一口紅茶を口に含む。そのあと、意を決したように、亮平に語りかけた。
「亮平、私もうすぐ30歳になるんだ。亮平よりちょっと先にね。30歳になったら、亮平から卒業しようって、亮平を好きになった時決めてた。だから、30歳になるまでは、亮平のこといっぱい応援しようと思ってた。亮平を応援することで、私もいろいろと頑張ってこれたし、亮平の存在を想うだけで、私すごく元気でいられたんだよ。ありがとう。」
そう口にすると、自然と頬を涙が伝う。私はそれを拭うことなく続ける。
「でね、卒業しなくちゃいけないから、今日亮平のもの片付けたんだ。ねぇ、すっきりしてるでしょ。あとは、亮平だけになっちゃった。」
と、目の前の亮平に今できる限界の笑顔を作って見せる。亮平は、何も言わずに、私の言葉を待ってくれているようだ。
「ねぇ、亮平?私ね、亮平のこと好きじゃなくなるなんて無理だよー。卒業なんてできるわけないよー。」
と我慢できるはずもない気持ちを吐き出す。そして、私は亮平を見上げたまま声を上げ、泣く。涙はとめどなく溢れ、もう視界に入る亮平の姿はかすみ、これほどまでに泣けるものなのかと自分で感心できるほど泣いた。
「り、りょーへーい。好きでいてもいいかな?私、亮平のこと大好きだよー。亮平がいない心なんて想像できない。亮平がいることが当たり前の生活してきたから、亮平がいない生活なんて成り立たないよー。ねぇ、亮平はこんな私を許してくれる?バカな奴だなって笑う?笑われてもいいよ。亮平のことこれからも見ていいなら。」
他人が聞いていたら恥ずかしくなるほどの台詞だった。でも、私はそれを言わずにはいられなかった。私は亮平のことを、自分が思っている以上に好きだったことに気付いた。亮平を心から追い出したら、それこそ私は私じゃなくなる。そんな恐怖さえ感じた。孤独になる、独りは耐えられない。私は亮平に依存して生きてきたんだ、そう認めざるを得なかった。
涙も枯れるほど泣いたあと、私は時計を見る。0時を過ぎていた。私は29歳から30歳の節目をバカみたいに大泣きして過ごしてしまったらしい。これは一生の思い出になるな、なんて一瞬笑みを浮かべ、亮平を見る。
亮平は変わらずそこにいた。いつもの笑顔で。私はそれが嬉しかった。亮平が許してくれている、これからも寄り添っていてくれる、そう感じた。他人に何て思われてもいい。私は亮平と生きる、そう誓った。
誓った私は強かった。ケーキに食らいつく。「美味しい。」こんな泣いたあとでもケーキは美味しい。甘さが余計に身に染みる。紅茶を口にし、ふーっと息を吐く。心の中のもやもやしていく感情がすーっと体から出ていくような感覚に襲われる。
「私、何やってんだろ。」自分の情けなさを自身で嘲笑い、近くにあったクッションを亮平に投げつけた。




