2.小夜子 普遍的な日常③
「高木さん、明日誕生日だよね?ケーキどうする?」
奥さんに話しかけられ、私は慌てて、頭の引き出しに亮平を押し込む。この工場のいいところと言うべきか、社員の誕生日には決まってケーキを用意し、3時のおやつをする。工場長がそういうのを大事にする人らしく、年の始めにカレンダーに社員全員の誕生日に印をつける。ひとり暮らしの私にとって、特に一緒に祝う人がいるわけでもなく、デートの予定もないので、ありがたくケーキをいただくことにする。
「あ、お願いします。」
「何ケーキにする?この間の工場長の時がチョコだったし。」
「イチゴがいいです。ショートケーキでお願いします。」
奥さんに厚かましくお願いをしていたところに、工場長がやってきた。
「高木さん、そういえばいくつになるんだっけ?」
すかさず脇田さんが、
「女性に年齢を聞くってのはセクハラですよ、工場長。」
と割って入り、場を和ませる。
「あ、いよいよ三十路になります。」
私は何の躊躇もなく答える。「三十路」、そう、いよいよその時が明日やってくる。三十路と言えば、そこそこ仕事が安定し、結婚するものもいれば、すでに子育てをしているものもいる。一番人生が人によって異なる時期なのかもしれない。それは男女によっても違うのかもしれないが、少なくとも女性に向かって向けられる「三十路」という言葉はあまり良い響きではない、ような気がしている。
「三十路なのに」まだ独身なのか、「三十路なのに」恋人もいないのか、私は明日からそう言われるようになるのだろうか。たった時計の秒針が1秒動くだけ。それだけで、私は一気に同情の目を向けられるようになってしまうのだろうか。考えだけでも恐ろしい。実際に今目の前にいる工場の人たちは、私のことをどう思っているのだろうか。「三十路になるのに」結婚しないのか、「三十路になるのに」しかるべき相手はいないのか、そう見られているのだろうか。だが、急に私が寿退社するなんて言ったら、それはそれで困った顔もするだろう。何せ7年もこうして勤務しているのだから。
彼らは、決して私にそういう類の話しは聞いてこない。多分触れてはいけないと思ってくれているのだろう。それはそれで腫物扱いなのか?とも思うが、実際聞かれても、しかるべき相手もいなければ、結婚など考えたことすらない。ただ、なぜいつまでフリーなのか、その理由を聞かれるとなるとやはり素直に答えられるものではないので、初めからこの話題には触れないでいてくれることが正解だと思う。
もし、仮に私が言ったとしよう。「私好きな人はいるんです。」と。確かにそこに間違いはない。ただ、絶対誰か、どんな人か聞かれるだろう。さて、そこからどう答えるのがいいのだろうか。「橘亮平です。」と言ってみる。ここから相手の反応が分岐するであろう。一つ目のパターンは、「橘亮平って誰?」、もう一つは「あのEarthのあの子?アイドルの子好きなの?」というのが予想の範囲内だ。前者の場合、説明を諦めてフェードアウトすることも可能だが、後者の場合、「アイドルに恋する三十路は痛い」と「またまた冗談を言ってと相手にされない」パターンにまた細分化される。いずれにしろ私がここで築き上げてきた普遍的な日常を一瞬にして壊しかねない発言となることは間違いない。
私はそんなことを思いながら、今目の前にいる人たちを眺め、そっと引き出しから亮平を引き出す。「亮平、私明日から変わるんだ。今日までだよ、ここにいていいのは。」とそっと呼びかけ、私は帰り支度を整えた。




