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「おはようございます。キリン様」
イオリはキリンの部屋へと入って行った。キリンはイオリが来るのを待っていたようだった。扉が開くのと同時に椅子から立ち上がるとイオリの方へ駆け寄った。
「ねぇ、イオリ、昨日の夜、誰が私を訪ねてきたと思う?」
今日のキリンは最近見せていなかった笑顔をイオリに向けた。
「さぁ」
「セイショウよ。信じられないけれどセイショウが会いに来てくれたの」
「そう、それは良かったですね」
イオリはそれを聞き、本当にセイショウはキリンに会いに行ってくれたのだとわかって感謝の気持ちで胸が一杯になった。
キリン自身はセイショウがどんなに危険なことを承知で会いに来てくれたのかということは全く理解できていないようだった。しかしイオリは今は余計なことは話さずに、キリンの気持ちを落ち着かせて安心させることに集中することにした。
「ねぇ、セイショウは私に会いに来てくれたってことは、もう私を許してくれたってことだと思う?」
「ええ、そうなんじゃないですか。だからキリン様も早く足を治してセイショウ様に会いに行かないと」
イオリは返事をしながら、キリンの足に巻かれた包帯を解きにかかった。その包帯は土で汚れていた。ここのところずっとキリンの足の包帯はそんな状態となっていた。
「ええ、そうね。セイショウには会いに行きたい。セイショウはなかなか会いに来れないって言っていたから。でも足が治ったら、イオリ、あなたはもう来なくなっちゃうんでしょ?」
「私は医官ですから。怪我が治れば訪れることはないでしょう。でも、キリン様、後宮に来られてからずっと私がいなくても健やかに過ごされていたではないですか。セイショウ様というご友人もいらっしゃいますし」
「今まではね。でも今はこれまでどうして楽しく過ごして来れたのか思い出せないの。イオリが来なくなったらと思うだけで、どうしたらいいのかわからなくなる」
イオリは消毒している手を止めた。そしてできるだけ、キリンの目をしっかり見て安心させるように言った。
「私が来なくなってもキリン様なら、大丈夫。セイショウ様がいます。わざわざここまで会いに来て下さったほどの方です。あの方を頼りにされたらいいんです。それに何よりケイキ様はお見舞いの品を置いて行ってくださったではないですか」
キリンはイオリの目の前に怪我した足を浮かせていたが、その足が地に着くのも気にせず立ち上がると、突然イオリに抱きついた。
「ケイキ様は駄目。あの方は私のことなんて全然目に入っていないんだから。単に怪我したからお見舞いに来ただけなの。私はここで独りぼっち。お願い。イオリ、イオリだけが頼りなの。私を見捨てないで」
イオリはキリンの背中に手を回したい気持ちをぐっと堪えた。キリンの両肩に手を置くと少し二人の距離をとって言った。
「私は絶対にキリン様を見捨てたりしません。どうしてそんなことを言うのですか。医官は患者が完治するまでしっかりと見届けます。安心して」
「私は患者じゃない。それにイオリも医官、医官って言わないで」
「……キリン様は怪我をして少し寂しくなっているだけです。怪我が治れば、私のことも忘れて元気にまた後宮で過ごされることでしょう。さぁ、座って」
幾度も繰り返した会話を終わらせると、イオリは手早く消毒してまた包帯を巻きなおした。
「もう外には出ないで下さいね。セイショウ様も早く良くなってほしいと思っているはずです。そうだ! 足が良くなったら、お菓子をお持ちします。ほら、キリン様は小さい時、きな粉のついた飴が好きだったでしょ? あれはどうですか? よく食べていたのを思い出すな。後宮じゃあまり食べる機会もないんじゃないですか。あれは子供のお菓子って感じだから」
キリンはイオリの話を聞いているのかいないのか、楽しそうに話すイオリのことなど全く気にする様子もなくイオリに近づいた。そしてイオリの顔に手を伸ばすと唇に軽く指先を乗せた。
イオリは話すのをやめて息を飲んだ。
キリンはイオリの顔に自分の顔をそっと近づけていった。お互いのまつ毛がふれあいそうな距離にまでなる。キリンは目を閉じるとイオリの唇に自分の唇をやさしく合わせた。
「いけません!」
イオリは急いでキリンから離れようとした。イオリには今起きたことが信じられなかった。胸を叩く心臓の音だけが大きく鳴り響いていた。キリンはゆっくりと目を開けるとイオリに向かって静かに言った。
「私はもう子供じゃない。きな粉の飴はいらないから。イオリがいてくれれば何もいらない。私は本気で言っているの」
「……」
イオリはどう答えていいのかわからなかった。
「今日はこれで帰ります! キリン様は絶対に安静にしていてください!外に出るのも禁止です!」
イオリは逃げるようにしてキリンの部屋を後にした。




