過去の呪縛
花音達は、捜査一課の会議室に呼ばれ……。
翌日の夕方。警視庁捜査一課の会議室には、私と御厨さんの他に二人の人間がいた。一人は、黒髪を垂らした落ち着いた雰囲気の少女。木下花音さんだ。
もう一人は、眼鏡を掛けた温厚な雰囲気の男性。精神科医で花音さんの父親でもある堀江雅人先生だ。
堀江先生が、私と御厨さんの方を見て尋ねる。
「あの、今回は捜査協力者として呼ばれたわけでは無いと伺いましたが、どういう事でしょう?」
ここにいる花音さん……いや、彼女のもう一つの人格である瀬尾秀一郎さんは、類まれなる推理力を持つ。よって、捜査協力者として警察に協力を依頼される事があるのだ。
私は、一泊置いてからはっきりと告げた。
「今回お呼び立てしたのは、昨日起きた事件についてです。ニュースにもなっているのでご存じですよね? 昨日、NPO法人『ルピナス』で……沼畑悟志さんが殺害されたのを」
その名を聴いた途端、花音さんの顔色が変わった。右手で自身の着ているトレーナーの胸元を握り締め、浅い呼吸をしている。そして終いには、机に突っ伏してしまった。
「花音!!」
堀江先生が慌てて花音さんの肩に触れる。
「花音、自分の口に両手を当てて! ゆっくり息を吐いて!」
花音さんは、先生の指示通り口に両手を当ててゆっくりと呼吸を始めた。すると、次第に落ち着いた様子になり顔を上げる。
「……皆さん、お騒がせしました。私、過呼吸になってしまったようです」
花音さんが過呼吸になるのも仕方が無い。なにしろ、沼畑悟志というのは――花音さんを虐待していた人物なのだから。
花音さんの母親、瑞穂さんの恋人だった沼畑悟志。彼は花音さんを虐待していた事で実刑を受けていたけれど、つい最近出所したと聞いている。
花音さんの背中をさすりながら、堀江先生が言う。
「花音、秀一郎さんと交代するかい? その方が心の負担が少ないかもしれない」
「……うん、そうさせてもらう」
花音さんは、そう言うと急に虚ろな瞳になる。そして、数秒後鋭い目付きになると、机に肘を置き、両手の指を絡ませた。
彼女――いや、彼は、妖しい笑みを浮かべて言う。
「やあ、御厨君、小川君」
「こんにちは……いえ、こんばんは、秀一郎さん」
私がそう言うと、秀一郎さんは溜息を吐き、眉根を寄せて言った。
「全く……こんな事件が起きるとはな。ここ最近私が表に出る機会が減っていたというのに……」
「そうですね……」
私は、目を伏せがちにして言った。最近は、花音さんが秀一郎さんになる事無く推理を披露する事もあった。秀一郎さんが悔しく思うのも当然だろう。
「それで、今回はどういった事で僕たちは呼ばれたんでしょう?」
堀江先生が尋ねると、御厨さんが口を開いた。
「今、沼畑悟志と交友関係のある方達を訪ねて、彼を殺害する動機のある者を洗い出しています。それで、一応お二人にも伺いたくて。最近、沼畑悟志から花音さんに連絡があったというような事はありませんでしたか?」
秀一郎さんが首を横に振って答えた。
「少なくとも、花音が知る限りでは電話も手紙も無かったな。……堀江君の所に連絡が行く……事も無いか」
堀江先生は、頷いて答える。
「はい。沼畑は、僕の連絡先も花音の連絡先も知らないはずです。花音を酷い目に遭わせるような人物に連絡先を教えるはずがありません」
御厨さんが、ぼそりと呟く。
「……じゃあ、やっぱり沼畑と接触していたのは、瑞穂さんと施設の関係者だけかな……?」
そう。沼畑は、瑞穂さんと会う為に『ルピナス』を何度か訪れていた。『ルピナス』には、毎日のように瑞穂さんが通っている。アルコール依存症の更生プログラムに参加していたからだ。
「あの、瑞穂さんも事情聴取されているんですか?」
堀江先生が手を挙げて聞く。私は、御厨さんと顔を見合わせてから答えた。
「それが……事情聴取と言えば事情聴取なんですけど……。実は、今瑞穂さんは捜査本部内で一番疑わしい人物と言われていまして……」
「え……」
堀江先生が目を見開いて呟く。私は、捜査の経緯を先生に説明した。
「……そういう事だったんですか……」
経緯を聞いた堀江先生が目を伏せがちにして言う。御厨さんが、頷いて答えた。
「ええ、ですから、事件の直前に沼畑と接する事が出来たのは瑞穂さんだけという可能性が高いんです。今彼女は自宅にいますが、先程まで取調室で事情聴取を受けていました」
秀一郎さんが、考え込むような表情をして言った。
「……なあ、小川君、御厨君。私達が、捜査に加わるわけにはいかないだろうか?」
「え、捜査協力の要請が無いのにですか!?」
私は思わず声を上げる。秀一郎さんは、愁いを秘めた瞳で言葉を続けた。
「私は、何年も花音と共にいたから知っている。例え瑞穂が花音への虐待を放置していたとしても、花音は瑞穂の事を愛している。彼女を助けたいと思っている。……頼む、上司に相談だけでも、してくれないだろうか」
秀一郎さんは、深々と頭を下げた。こんな秀一郎さん、見た事が無い。
どうしよう、課長に相談だけでもしてみる? 私がそんな事を考えていると、静かに会議室のドアが開いた。
「では、私が許可しましょうかー」
見ると、ドア付近に一人の女性が立っていた。ウェーブがかった金髪を垂らした三十歳くらいの女性。捜査一課長の白鐘卯月だ。
「あの、課長、いいんですか?」
私がおずおずと聞くと、課長はヒラヒラと手を振って言った。
「大丈夫大丈夫。私は部長の弱みを握っているから。脅し……説得して、捜査への参加を認めさせるよー」
「ハハ……」
私は顔を引き攣らせた。……まあ、私も、御厨さんのお姉さんが関係する事件が起こった時、課長を脅したけど。課長は法律ギリギリの取り調べをしたりしてたから。
秀一郎さんが、穏やかな声で課長に礼を言った。
「ありがとう、白鐘君」
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