第34話
病室の前に到着すると、年配の女性が扉の前で扉を見つめたままじっと立っていた。女性は私に気がつくと戸惑うような顔をした。私は、葵さんの、と言って、少し迷って「葵さんの友人の柴原と申します」と言った。年配の女性は、ほっとしたような顔になり、
「葵の母です。心配して、来てくださったんですね。ありがとう」と、弱々しく言った。
とても人の良さそうな人だった。この人が、あおいを無理矢理就職させたんだと思うと、少しギャップを感じた。
病院の長い廊下には、あちこちで何か硬いものが擦れるような金属音や、精密機械が発するような繊細だけど強引な音が不規則に響いている。その音の向こう側に、人の生死が紛れ込んでいた。
「葵ね、意識が戻ったんですよ。今朝ね」
疲れ切ったように、お母さんは言った。
「まだちゃんと話せないんですけど、先生が奇跡だとおっしゃってらして」
「中に、入っても?」
「ええ、よかったら、顔を見てやってください」
扉を三回ノックしたあと引き戸を開けた。扉は軽くてするすると開いて、自分の重々しい気分にそぐわない感じがした。もっともったいぶって、なかなか会うことのできない状況であってほしい。
こんなに簡単に、会うのが怖い。
あおいと思わしき人物がベッドに横たわり、呼吸器は外されていた。真夏の陽射しは室内までは届かないようで、窓の外と内とでは、それ以上の何か大きな乖離があるように思えた。薄暗い部屋には、静寂だけが漂っている。
ゆっくりと近づいた。あおいは頭を包帯でぐるぐる巻きにされていて、手や足も、ところどころ包帯で巻かれていた。包帯は、私が知っているどの包帯よりも、白く光って眩しかった。
「あおい」
無意識に、呼びかけていた。あおいはつむっていた目を開いて、何かを探しているように視線を漂わせたあと、私のほうを見た。
「なに、してんの」
私は、笑って言った。あおいは何も言わず、じっと私の顔を見つめる。
「頭の怪我がひどくて、脳の前頭葉の部分を取り除かないといけなかったんです。それで、記憶を失っていて、これから戻るかどうかもわからないって。あと、足の損傷も激しくて、歩くのは難しいだろうって、先生が」
お母さんはそこで言葉を詰まらせた。何度も何度も説明してきたから、暗唱している言葉を繰り返しているだけで、そこに感情はない。だから突然言葉が切れてしまったのは、レコーダーの再生機能が故障したいみたいな感じがした。
あおいから目が離せない。あおいも私を見ていたけど、その瞳は虚ろで、抜け殻だと思った。




