第28話
太陽の先っぽが水平線から見え始めた。
濃いブルーとオレンジがグラデーションして、私が今まで見たどんな空よりもきれいだと思った。次第に消えていく真っ黒な夜には、カーマインレッドを重ねたような鮮やかさがあって、私たちは名残惜しい気持ちでその変化を眺めていた。
「せやけど、オレ、過去もないような気がすんねん」
「どういうこと?」
「寝て起きたら、新しい記憶があって、その日の一日がはじまるねん」
「意味、わからん」
「オレらには、ほんまは一日しかなくて、一日ごとに世界が誕生してるねん。オレは絹夏さんのことを知ってるけど、これは植えつけられた記憶で、ほんまはそんな現実はないねん。絹夏さんもオレのことを今こうやって変なやつやなと思って見てるけど、今日寝て明日起きたら、また別の記憶があって、オレという人間はもうこの世の中にはおらんかったりするねん。未来と同じで、過去も真っ白な空間が広がってるだけやねん」
「今しかないってこと?」
「今しかないってこと」
「なんなん、それ。悲し過ぎるやん」
「毎日、毎日、新しい記憶に書きかえられて、だから、ここで今何が起こっても明日にはなくなってるから、悲しいことがあっても、悲しむ必要はないねんで」
「ちゃうやん。ほんじゃ、嬉しいこともなくなってしまうってことやろ?」
「そうやな」
「それ、悲しない?」
あおいは少し考えて「うん、そうやな」と言った。
「女にふられ続けて、そんな発想にたどり着いたんか」
「オレ、あかんやつやからな」
「もうええから、早よ、彼女見つけや」
あおいは小さくなって、泣いているように見えた。そのまま消えてなくなってしまうんじゃないかと思った。気がついたら思わず抱きしめていた。あおいは、私の胸にそっと頭を寄せて、何も言わなかった。海と汗の匂いに包まれながら、いつまでもあおいを抱きしめていた。なんでこんなにこの人は傷ついているんだろうと思ったら、悲しくて悲しくて、しょうがなかった。
「今日は眠らんかったから、昨日は消えへんね」
「ほんまや」
「このまま眠らんかったら、ずっと昨日は消えへんていうことやんな」
「せやな」
「ほんじゃ、眠らんとこ。ずっと起きとこ」
あおいは小さな声で、約束やで、と言った。




