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のろまさん

「のろまさんに追いつかれると、動けなくなる」

小学生の頃、そんな噂があった。

夕方六時を過ぎると、住宅街を歩いてくるらしい。

すごく遅い。

びっくりするくらい遅い。

一歩ずつ、

ずる、ずる、と歩いてくる。

だから、絶対に逃げ切れる。

ただし、

後ろを気にすると、

追いつかれる。

当時は、ただの怪談だった。

みんな笑っていた。

「そんな遅いやつに捕まるわけないじゃん」

俺もそう思っていた。

だが、

中学の頃、一人いなくなった。

同じクラスの女子だった。

夜、塾帰りに失踪した。

警察も来た。

だが、見つからなかった。

その子が最後に友人へ送ったメッセージだけが残っている。

『後ろにいる』

その数分後。

『まだ遠い』

最後の一通。

『なんで近いの?』

それ以来、“のろまさん”の話をするやつはいなくなった。

みんな、忘れたふりをしていた。

俺も、そうだった。

大学生になって、地元へ戻るまでは。

その日は、深夜バイトの帰りだった。

時計は一時過ぎ。

住宅街を一人で歩く。

人はいない。

静かだ。

そのとき、

後ろで音がする。

ずる。

小さい音。

俺は振り返りそうになる。

だが、

急に思い出す。

“後ろを気にすると、追いつかれる”

嫌な汗が出る。

気のせいだ。

そう思って歩く。

だが、

また聞こえる。

ずる。

少しだけ近い。

俺は早歩きになる。

音は、変わらない。

遅い。

本当に、遅い。

歩けば余裕で離せるはずだ。

なのに、

気配だけが近づいてくる。

ずる。

ずる。

俺は、耐えられず振り返る。

街灯の下。

遠くに、人影がいる。

女だった。

白い服。

髪が長い。

俯いている。

そして、

異常に遅い。

片足を引きずるように歩いている。

ずる。

止まりそうなくらい遅い。

俺は安心する。

なんだよ。

ただの人じゃないか。

その瞬間、

女が止まる。

俯いたまま、

首だけが、

ゆっくりこちらを向く。

顔が見える。

目がない。

口だけが、大きく笑っている。

その瞬間、

女が一歩進む。

ずる。

なのに、

距離が半分になる。

俺は凍りつく。

もう一歩。

ずる。

また近づく。

異常だ。

動きは遅い。

でも、

“近づく速度”だけがおかしい。

俺は走る。

全力で。

住宅街を曲がる。

息が切れる。

振り返る。

いない。

助かった。

そう思った瞬間。

耳元で、

ずる。

俺は悲鳴を上げる。

真横にいる。

のろまさん。

さっきと同じ速度で歩いている。

なのに、

もう追いついている。

女が、ゆっくり口を開く。

「気にした」

低い声。

喉が潰れたみたいな声。

「だから」

女が、一歩進む。

ずる。

その瞬間、

俺の足が重くなる。

動きが遅くなる。

走れない。

まるで、

体の中に泥が流し込まれたみたいだ。

女が、また一歩。

ずる。

俺は必死に逃げる。

だが、どんどん遅くなる。

呼吸。

足。

思考。

全部が鈍くなる。

そのとき、気づく。

のろまさんは、

速くなるんじゃない。

“相手を遅くする”。

だから、

最終的に、

同じ速度になる。

女が、すぐ後ろに立つ。

気配が近い。

冷たい。

そして、

耳元で囁く。

「おそいね」

その瞬間、

俺の体が止まる。

完全に。

指一本動かない。

目だけが動く。

視界の端で、

のろまさんが、

ゆっくりと俺の前へ回る。

顔を近づける。

目がない。

なのに、

笑っているのが分かる。

「やっと、おなじ」

女が手を伸ばす。

指が、

俺の胸に触れる。

冷たい。

その瞬間、

頭の中が、

ゆっくりになる。

考える速度が落ちる。

景色が遠くなる。

何もかもが遅い。

俺は理解する。

これは殺されるんじゃない。

“のろま”にされる。

ずっと。

永遠に。

そのとき、

遠くで車のライトが見える。

一瞬だけ、

女の動きが止まる。

俺の体も、少し動く。

俺は必死に転がるように逃げる。

道路へ飛び出す。

クラクション。

眩しいライト。

次の瞬間、

気づけば朝だった。

病院のベッド。

軽傷だった。

看護師が笑う。

「よかったですね」

俺は、震えながら聞く。

「夜、誰か来ました?」

看護師は首を傾げる。

「いいえ?」

そのとき、

病室のドアの外で、

音がする。

ずる。

小さい音。

ゆっくり。

近づいてくる。

ずる。

ずる。

俺は息を止める。

看護師は気づかない。

音だけが、

近づく。

そして、

ドアの向こうで、

ぴたりと止まる。

静寂。

数秒後。

ガラス窓の下から、

ゆっくりと、

白い顔が覗く。

口だけが笑っている。

そして、

小さな声がする。

「まだ、はやいね」

俺は、その瞬間理解した。

逃げ切ったんじゃない。

“少しだけ先延ばしになった”だけだ。

そして、

あれは、

ずっと歩いてくる。

遅く。

確実に。

いつか、

俺と同じ速度になるまで。

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