すぬちゃん
「すぬちゃん知ってる?」
そう聞かれたのは、小学校の頃だった。
給食の時間。
隣の席の女子が、妙に楽しそうに話していた。
「夜中に来るんだよ」
「窓のところに立ってるの」
俺は適当に相槌を打った。
また変な噂だと思った。
当時はいろんな怪談が流行っていた。
トイレの花子さんとか。
赤い部屋とか。
その類だと思った。
だが、その女子は最後にこう言った。
「でも、見つけても、絶対に名前呼んじゃダメなんだって」
理由を聞く前に、先生が来て話は終わった。
それから数日後。
俺は夜中に目を覚ました。
理由は分からない。
ただ、妙に寒かった。
カーテンが少し開いている。
風もないのに、揺れていた。
その隙間から、
何かが見える。
窓の外。
二階のはずなのに、
そこに、
顔がある。
白い。
丸い。
子どもみたいな顔。
だが、目が異常に大きい。
真っ黒で、
じっとこちらを見ている。
俺は固まる。
そいつは、にこ、と笑う。
口だけが異様に大きい。
そして、
窓を、
こん、と叩く。
小さい音。
もう一度。
こん。
そのとき、頭の中に、
あの言葉が浮かぶ。
“名前を呼んじゃダメ”
俺は、布団を頭までかぶる。
心臓がうるさい。
すると、
窓の外から声がする。
小さい。
鼻にかかったような声。
「……すぬちゃん」
俺は息を止める。
また声。
「すぬちゃん、いるよ」
自分で名前を言っている。
俺は震える。
そのとき、
窓が開く音がした。
きぃ、と。
ゆっくり。
だが、布団から出られない。
怖くて動けない。
足音はしない。
でも、
“何か”が部屋に入ってきたのが分かる。
空気が変わる。
湿った匂い。
ぬるい息。
そして、
すぐ耳元で、
声がする。
「みーつけた」
俺は叫びそうになる。
だが、
その瞬間、
そいつが言う。
「名前、呼んで」
俺は、必死に首を振る。
目は閉じたまま。
すると、
少しだけ沈黙があって、
そいつが、小さく笑う。
「じゃあ、こっちから呼ぶね」
次の瞬間、
そいつが、
俺の名前を呼ぶ。
聞いたことのない声で。
ぐちゃぐちゃに濁った声。
なのに、
はっきり自分の名前だと分かる。
その瞬間、
頭の奥が、
ぐらりと揺れる。
何かが、
中に入ってくる。
俺は反射的に叫ぶ。
「やめろ!」
すると、
ぴたりと気配が止まる。
静寂。
数秒後。
遠くで、
くすくす笑う声。
そして、
窓が閉まる。
朝になっていた。
夢だと思いたかった。
だが、
窓の鍵が開いている。
床には、
小さな濡れた足跡。
子どものものみたいな。
それから、
おかしなことが起き始める。
夜中に、声が聞こえる。
押し入れの中。
風呂場。
テレビの消えた画面。
「すぬちゃん」
「すぬちゃん、いるよ」
日に日に近づいてくる。
しかも、
周りの人間がおかしくなる。
友人が突然言う。
「お前、最近後ろにいるよな」
俺は凍る。
「何が?」
友人は笑う。
「白いやつ」
その夜。
俺は眠れなかった。
朝まで起きていようと思った。
だが、
気づいたら、
一瞬だけ意識が飛んでいた。
ほんの数秒。
その間に、
部屋のドアが開いている。
ありえない。
鍵を閉めたはずだ。
その隙間から、
顔が覗いている。
すぬちゃん。
にこにこ笑っている。
目が真っ黒だ。
そいつは、小さな声で言う。
「もう、半分入ってる」
俺は後ずさる。
そのとき、
気づく。
鏡に映る自分の顔。
口元が、
少しだけ、
そいつと同じ形で笑っている。
俺は鏡を叩き割る。
だが、
割れた破片全部に、
すぬちゃんが映っている。
全部、笑っている。
「呼んで」
「呼んで」
「呼んで」
声が重なる。
頭がおかしくなりそうだった。
その瞬間、
スマホが鳴る。
通知。
知らない番号から動画が届いている。
再生する。
映っているのは、
眠っている俺。
誰かが撮っている。
そして、
画面の端に、
白い顔が映る。
すぬちゃんだ。
カメラに向かって、
ゆっくり指を立てる。
しーっ、という仕草。
そのあと、
眠っている俺の耳元に近づいて、
小さく囁く。
「次は、君が呼ぶ番」
動画が終わる。
その瞬間、
俺の口が、
勝手に動く。
自分の意思じゃない。
喉の奥から、
鼻にかかった声が出る。
「……すぬちゃん」
部屋の外で、
一斉に、
笑い声がした。




