やさしい寄生虫
それはただの健康食品だった。
会社の後輩が、昼休みに小さなカプセルを飲んでいた。
白くて、少し濁った色の錠剤。
「それ何?」
俺が聞くと、後輩は笑う。
「寄生虫ですよ」
冗談みたいに言う。
俺は笑った。
だが、後輩は真顔だった。
「マジです」
そう言ってスマホを見せてくる。
通販サイト。
商品名は、
《やさしい寄生虫》
レビューは異常に高評価だった。
『人生変わりました』
『ストレスが消えた』
『人間関係が楽になる』
『毎日が幸せ』
怪しすぎる。
「違法じゃないの?」
後輩は肩をすくめる。
「合法らしいです。脳内物質を調整してくれるとか」
俺は呆れた。
だが、その後輩は、確かに変わっていた。
前まで神経質で、すぐ落ち込むタイプだったのに、
最近はずっと穏やかだ。
上司に怒鳴られても笑っている。
終電続きでも平気そう。
むしろ、楽しそうだった。
「ほんとに効くんですよ」
後輩が言う。
「嫌なこと、気にならなくなるんです」
その笑顔が、少しだけ不自然だった。
だが、そのときの俺は気にしなかった。
数週間後。
俺は、そのサイトを開いていた。
仕事でミスが続いていた。
眠れない日も増えた。
頭の中がずっと重い。
ただ、少し楽になりたかった。
商品ページを開く。
説明文。
『あなたを苦しめる感情を、やさしく整理します』
『もう、悩まなくて大丈夫』
最後に、小さく書かれている。
『※個人差があります』
俺は注文した。
届いたのは、小さな瓶だった。
白いカプセル。
振ると、中で何かが動く気がした。
その夜、飲む。
苦くもない。
味もしない。
ただ、喉を通る瞬間、
少しだけ温かかった。
翌朝。
驚くほど気分が軽かった。
頭痛がない。
嫌な夢も見ていない。
会社へ行く。
上司に怒鳴られる。
だが、何も感じない。
イライラもしない。
不安もない。
ただ、
「ああ、怒ってるな」
と思うだけ。
すごく、楽だった。
数日後には、完全にハマっていた。
仕事も上手くいく。
人間関係も楽。
夜も眠れる。
人生が滑らかになる。
周囲にも勧め始めた。
みんな、同じように変わる。
穏やかになる。
優しくなる。
争わなくなる。
完璧だった。
ただ、一つだけ。
違和感があった。
みんな、
“考えなくなる”。
上司に無茶を言われても従う。
恋人に別れを告げられても笑う。
親が死んでも、泣かない。
「仕方ないですよね」
穏やかに言う。
怒りも、悲しみも、
全部薄い。
まるで、
感情の輪郭が削れているみたいだった。
ある夜。
ふと、腹が痒くて目を覚ます。
掻こうとして、手が止まる。
腹の皮膚の下で、
何かが動いている。
ゆっくり。
にゅる、と。
俺は息を止める。
スマホのライトを当てる。
腹の中央が、
わずかに盛り上がる。
その形が、
細長く移動する。
生き物だ。
俺は叫ぶ。
その瞬間、
頭の中で声がする。
「だいじょうぶ」
優しい声。
母親みたいな声。
「つらいの、なくしてあげる」
俺は後ずさる。
だが、
不思議と恐怖が薄れていく。
怖いはずなのに、
落ち着いている。
声が続ける。
「もう考えなくていい」
「全部、こっちでやるから」
その瞬間、
腹の中の“それ”が、
胸の方へ上がってくる。
ゆっくり。
内側を這う。
俺は吐きそうになる。
だが、
気持ち悪さが、
途中で消える。
何も感じなくなる。
頭の中が静かだ。
静かすぎる。
翌日。
会社へ行く。
みんな笑っている。
穏やかに。
静かに。
そのとき、気づく。
全員、
腹が動いている。
服の下で、
細長いものが、
ゆっくり蠢いている。
同じリズムで。
まるで、
みんな繋がっているみたいに。
俺は後ずさる。
だが、後輩が笑顔で近づいてくる。
「慣れました?」
俺は何も言えない。
後輩は、優しく言う。
「楽でしょう?」
その瞬間、
後輩の口が少し開く。
喉の奥から、
白いものが覗く。
細い。
ぬるぬるしている。
それが、
ゆっくりと顔を出す。
虫。
長い。
白い。
だが、
先端に、
小さな人間の顔がついている。
笑っている。
「だいじょうぶ」
そいつが言う。
「みんな、幸せになるから」
俺は逃げようとする。
だが、
体が動かない。
腹の中で、
“それ”が動く。
脳へ向かって。
ゆっくり。
優しく。
頭の中の声が、最後に囁く。
「もう、つらくないよ」
その瞬間、
怒りも、
恐怖も、
全部消える。
世界が穏やかになる。
会社の音。
人の声。
全部、心地いい。
俺は、自然に笑う。
後輩も笑う。
みんな笑っている。
優しい世界だった。
だから、
誰も気づかない。
自分たちが、
もう、
“考える側”じゃなくなっていることに。




