88.「もしもし、アルベルト?」
アルベルトは一週間以上帝都を離れていたため、帝都に戻ると雑務に追われていた。
式典などのイベント事の予定は調整していたものの、外出中に各地の貴族からの手紙や、冒険者ギルドからの帝国の白金級冒険者への依頼など各種の承認が必要な資料、そんなものがたくさん溜まっていた。
そんな執務机に座って書類に目を通しているアルベルトのところに、ロイがまた書類の束を持って現れた。
「陛下、本年度の税額についての報告書です。ご確認お願いします。貴族によって税率が違いますので、陛下のご意見があるようでしたら財務部に伝えますのでおっしゃってください」
多忙で頭を抱えるアルベルトに対し、淡々と次の仕事を与えようとするロイを、アルベルトは恨めしそうに睨む。そんな視線を一切気にせずロイは執務机の隅を整頓し、持ってきた書類をそこに置く置く。
そんな時、頭に声が響く。
(もしもし、アルベルト?)
アルベルトの右手には、ニーナからもらった銀の指輪が付けられていた。
アルベルトはニーナとの別れ際、連絡ができるようにと魔法通話器という魔道具を渡そうとしたところ、そんな大きなものはいらないと断られた。そして代わりにニーナからその銀の指輪をもらった。それはニ十センチ四方の本体に受話器の付いた魔法通話器と同じ機能を持っており、離れた場所で会話できる魔道具だった。正確に言えばこの指輪には魔法通話器よりもすごい機能が付いていた。空中に映像を映しながら会話をする機能もあるという。
その指輪の魔法で、ニーナからアルベルトに通話がかかってきたのだ。
「ニーナさん?!はい!貴女のアルベルトです!!!」
アルベルトは起立し、指輪に話しかけるように返事をする。その姿を見たロイにはニーナの声は聞こえていないため、ひどく驚いた顔をした。
(おお。私だ、ニーナだ。今、映像通話できるか?)
「はい、ちょっとお待ちください。おい、ロイ!ちょっと机の上を片付けろ!ニーナさんから連絡があった。今から映像通話をする」
「ええ?今仕事中だって断ってくださいよ」
「バカ野郎!こんな書類整理より優先順位が上だ!」
アルベルトに理不尽に怒られると、素直に片づけをするロイ。執務机の上の書類が一旦なくなると、アルベルトはニーナに返事をする。
「ニーナさん、準備ができました」
そう言うと、ニーナから教わった使い方の通り、指輪を外してテーブルの上に置く。そしてニーナが呪文を唱えた瞬間、指輪の上に横四十センチ、縦二十センチくらいの映像が浮かび上がった。
そこにはニーナと、ニーナと一緒にいたインフェルノという男、そしてもう一人年配の男が映っていた。
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セドリックの部屋では、ニーナの魔法で空中に浮かび上がった映像に、バスク帝国皇帝アルベルト・エル・エリアス・バーミリオンが映っていた。
セドリックはその魔法に驚くとと共に、映像に映るバスク皇帝に対し背を伸ばす。セドリックは椅子から立ち上がり、ニーナとインフェルノと並び、映像と向き合った。
そしてニーナが映像に映るアルベルトに挨拶をした。
「おお!アル、元気そうだな」
「ニーナさんも。それでそちらの方は?」
映像の向こうアルベルトの後ろには、執務机の後ろに大きなバスク帝国の旗が掲げられている。豪華な椅子、そしてアルベルトの着ているシンプルだが自分ではとても手が届かない金額のしそうな衣装。セドリックは映像に映っているのがバスク皇帝で間違いないと思うと共に、そんな皇帝に対しアルと略称で呼ぶニーナにも驚く。そして初めて見るバスク皇帝に自己紹介をする。
「ヴァーミリオン陛下、はじめまして。私は北方連合王国に属する小国マインステート王国に住む伯爵セドリック・カロネオンと申します。ここにおりますインフェルノは私の息子です」
「バスク帝国皇帝アルベルト・エル・エリアス・バーミリオンだ。この場にいるという事は、今回連絡をもらったのはそなたに関係する話かな?」
「は、はい。その通りです」
映像通話という初めて見る魔法、そして目の前に訪れた急な謁見にセドリックも焦ってしまっていた。もしアルベルトと直接話す機会があると分かっていれば、事前に交渉材料や話の持って行き方などを準備していたはずだが、セドリックが考える暇もなくニーナによって半ば強引にこの場を設けられてしまった。
セドリックはこの謁見が失敗した場合の最悪のケースを想定する。もし不可侵条約を申し入れて断られた場合、北方連合が防衛力を固める前に攻め込まれる可能性がある。だが例えバスク帝国に対しての防衛網を固めようとも、本気で攻め込まれたら必ず負けるだろう。戦力差がありすぎて、最初から相手にはならないのだ。
そんな事を考えながら、不可侵条約について切り出していいものかどうか考えていたが、ニーナが勝手にどんどん話を進めてしまい、その後のセドリックはその早すぎる展開について思考が追い付いていかず、なすがままだった。
「アル、実はな、この北方連合王国とお前のバスク帝国の間に、お互い戦争を仕掛けないよう平和調停を結びたいんだそうだ」
「なるほど。実はですね、ニーナさん。以前ニーナさんから言われて考えたのです。ちょうど私が皇帝に即位してこれからの方向性も決めなくてはいけなかったので。これから帝国をどうするか、私は、いや我がバスク帝国は、攻めてくる敵国に対しては迎え撃ちますし、内乱を起こした者については厳しく対処します。しかし、今後は帝国から侵略戦争は仕掛けない事にします」
「ほう」
アルベルトの言葉にニーナは頷く。そしてその場にいるセドリックとインフェルノも驚きの顔でその宣言を耳にした。
つまり、不可侵条約を結ばなくても、この若い皇帝は、自分から北方連合王国に戦争を仕掛けるつもりはないと言っているのだ。
歴代バスク皇帝は、戦争によってその領土を拡大してきた。いわば侵略戦争をしかけるのはバスク帝国皇帝の役目のようなものだ。それをアルベルトは、自分の代からは変えると言っているのだ。
「そんな事を言っていては、周辺の強国から帝国は臆病になったと攻められるのでは?」
セドリックは、自分たちから平和協定を申し入れておきながら、変な事を口走ってしまう。バスク帝国が侵略戦争をしない事は自分たちにとって好都合のはずが、相手の事を心配してしまったのだ。だがアルベルトの返答は自信に満ちたものだった。
「先ほども言ったように、帝国に攻めてくる者に対しては全力で迎え撃つ。剣には剣で答えよう。我らは負けるつもりは一切ない。争うつもりがない人たちとは平和的な関係を築いてゆきたいということだ」
理想論だ。セドリックはこの若者の考えが甘いと思った。そしてこんな改革を口にする者が皇帝になってしまったのなら、バスク帝国は荒れるのではと心配になった。だがそんなセドリックの心配を吹き飛ばそうとアルベルトは言葉を続けた。
「ニーナさんのおっしゃっていた戦争をしないというのは、今の私たちにはまだ難しいです。ですが将来的には、戦争をしない国に変えてゆきたいと思っています。私が今までたくさんの争いを目にしてきて分かったことがあります。それは戦争というのは、必ずしもどちらが正しくてどちらかが間違っているということではないという事です。もちろん一部の行き過ぎた指導者によるしなくても良い戦争というのもありましたが、避けられない争いというものは、不満、不自由、そんなものが蓄積して行き場をなくした時、戦うしかなくなっているのです。ですから私は、まずは帝国の国民に戦争をしなくても満足ができる暮らしを与える事を目指します。幸い帝国内部は様々な産業がありますので、戦争に向ける労力をそれらに向けて伸ばす事で経済的に成長ができるはずです。そして周辺各国に対しても、我が国と争わなくても済むように成長してゆけるよう協力関係を築いてゆきたいと考えています。まだ言葉をまとめている最中なのですが、この内容について今度帝国で行われる私の就任式で宣言したいと思っています」
「いいんじゃないか?」
ニーナは短くそう答えた。
「つまり……、バスク帝国は我が北方連合王国と不可侵条約を結ぶことについては問題がないということですか?」
そう言うセドリックに、アルベルトは答える。
「もちろん。不可侵条約を結んでもらえれば、わが国もそちらから侵略される心配はなくなるから大歓迎だ。近いうちに使者を送らせてもらおう。それから具体的に話を詰めてゆこう」
「という事で解決したな?アル、それじゃな。ありがと!」
「えっ?ニーナさんそれだけですか?せっかくなんでもう少しお話を……」
アルベルトは話している途中だったが、ニーナが魔法を解除したため通話が途絶え、映し出されていた映像は消えた。
そしてニーナは足早に、
「それじゃそういうことで」
とだけ言い残し、再び転移門を開いて部屋から去っていった。
「全く慌ただしいやつだな……」
そう呟くインフェルノの横では、セドリックが今起こったできごとを頭の中で整理していた。
今の雑談のような会談によって、口頭ではあるがバスク皇帝と北方連合王国との間に不可侵条約を調停することについて了解を得ることができた。
先日まで一か月以上議会で話し合われ、なおかつ答えのでなかった問題が、今ほんの数分の間に解決してしまったということだ。あまりにあっけなさすぎる展開に、セドリックはいささか拍子抜けしてしまった。
だが自分の今の一番の悩みが解決したのだ。喜ばざるをえまい。近日中に連合王国議会に戻り、この非正規会談の結果について報告しなければならないなと思う。
セドリックはふと、目の前にいる息子が何の用でここに来たか思い出す。
「そう言えば、ノーズの森の開拓事業を中止してほしいだったか?」
「はい!そうです」
「それはノーズの森だけなのか?」
「はい」
「分かった。検討しよう。元々巨大ムカデが出て中断するところだったのだ」
「本当ですか?ありがとうございます!」
自分でも気まぐれだと思う。だが先ほどのバスク皇帝との会談も、この息子が魔法使いニーナを連れて来てくれたからこそできたのだ。褒美ではないが、多少息子のわがままを聞いてやってもいいだろう。
「だが代わりに他の森の開発を進めなければならん。おまえが巨大ムカデを倒せるほどの腕があるのなら、他の場所での魔物が出た時の討伐を協力してもらえるか?」
「もちろんです」
インフェルノは心強い返事をする。森林開発事業で困っていた森の魔物だが、これで今後冒険者を雇う事なく対処できる。このまま森林開発事業も順調に進むのではないだろうか?
「巨大ムカデにストーンゴーレムを壊されたのは痛かったな……」
「それでしたら、それもニーナに頼んで治してもらいましょうか?ニーナは非生命体なら修復するのは容易だと言っていましたし」
「本当か?!それがもし本当なら、今回の損害が無くなり本当に助かる!」
「はい。では後ほどニーナに頼みに行ってきます。それとフローレンスのことですが、必ず目覚めさせますので」
そう言ってインフェルノは部屋から去る。
残されたセドリックは、先ほど息子が部屋に入って来てから今までの短い間に起こった出来事を反芻する。そして気付く。あれほど多すぎて思考が追い付かなかった自分の悩みが、ほぼ全て解決したという事に。これまで悪いスパイラルが続いていたが、今突然全てが良い方向に回転しだした。今のインフェルノなら、娘の病気もまもなく解決してくれそうな気がする。後は一つ一つしっかりと行動してゆけばいいだろう。なんだか肩に乗っていた重い荷物から突然解放されたようだ。それもあっけなく。
「フフフ……ハハハ……」
今までの自分の悩みは何だったのだろうと思ったら、思わず笑わずにいれなかった。




