86.セドリック・カロネオン伯爵の苦悩
セドリック・カロネオン伯爵は悩んでいた。
その悩みは一つや二つではない。
まず最大の悩みは、北方連合王国と隣接する大バスク帝国の事だ。
バスク帝国は、この大陸で最大の軍事国家だ。
絶え間なく戦争を繰り返しており、その領土を拡大している。
歴代のバスク皇帝は、戦争に強い者が就いており、また専業戦士である騎士団の数も近隣諸国と比べ、けた違いに多い。つまり、とにかく戦争に強いのだ。
隣り合わせのこの連合王国がまだ攻め込まれていないのには、いくつか理由がある。
無作為に領土を拡大してきたバスク帝国は、その分敵国に囲まれている。特に北側の山脈に住む蛮族は、正式な領土を持っていない代わりに、本拠地を移すため完全に攻め落とすことが難しくなっている。戦闘能力も高く、山岳地帯という地形もバスク騎士団が苦戦する理由の一つだ。蛮族の領土内で砦を築いても蛮族から攻め落とされる事が多く、バスク帝国の戦力の最大数が対山岳蛮族に向けられている。
また、略された事に対し不満を持っている領土が多く、力を付けた地方領主が反乱することもあり、それによって戦力を削がれているのも理由の一つだ。
バスク帝国の北東方向にあった諸国は、個々の国の力の弱さを補うためにいくつかの国が合わさって連合王国となった。一つ一つの小さな国であった場合、簡単に攻め込まれていた可能性がある。
そんな緊張した関係の中、先代バスク皇帝が病気で急死した。
先代皇帝と我々連合国家は、両国の不可侵調停を結ぶよう水面下で根回しを続けて来ていたが、先代皇帝の急死によって白紙に戻された。戦争推進派による暗殺も疑ってしまう。
そして次の皇帝となったのは、これまた戦闘狂として名高い、先代皇帝の長男である若きアルベルト・エル・エリアス・ヴァーミリオンだった。アルベルトは蛮族との戦争、内乱の鎮圧等、数多くの武勇を馳せてきた。アルベルト自身に剣を持たせても、そこらの騎士では太刀打ちできないほど滅法強いという。
平和的な者が新皇帝に就いたならよかったのだが、実際はそんな戦闘狂の若造だというので、不可侵条約はそう簡単に結べる気がしていない。
この議題について、セドリックも議員を務める連合国家議会では1か月以上話し合いが続いた。
最終的に、連合国家を一つの国としての繋がりを強化するため、軍事、外交、通貨等を統一し連邦国家とし、帝国に対し交渉力を強めてから、再び不可侵条約を結ぶための交渉を進めるということになった。
それは簡単な道ではなく、手間も時間もかかってしまう。法案を通すために各国で選挙が必要になる可能性もある。もたもたしていたら先に帝国から攻め込まれてしまうという恐れもある。
セドリックは、先週連合国家議会でこの決定ななされてから、マインステート王国に帰り、そしてマインステート王国議会にてこの話を進めようとしているところだった。
二つ目の悩みは、情けない事だが、金銭的な悩みだった。
マインステート王国は南側に広がる大きな湖で捕れる魚を元にした漁業で栄えている国である。だが王国内にあるセドリック・カロネオン伯爵領は湖に面していないため、別途主要な産業が求められている。
そこでセドリックは、農業を拡大させる計画を立てた。漁業は盛んだが、穀物などの王国の食料自給率は低い。そこで土地を開墾し、穀物を栽培させることにした。先行投資としてバスク帝国よりストーンゴーレム三体を購入し、森林伐採を始めた。この計画は木材の販売もでき、一石二鳥かと思われた。
だが大きな問題があった。森の中に棲む魔物の存在だ。
魔物は森の中に棲んでいて、人里に出てくることが少なかったため、この計画を進めるまでその数や強さなどが何も分かっていなかった。
実際は予想していたよりもずっと数は多く、そして強かった。森林開拓中に、何度も作業員が襲われ数多くの死傷者が出た。木材や石材を運ぶのに優れているゴーレムだが、ちょこまかと動き回るゴブリンたちモンスターを仕留めるのは苦手とした。モンスター退治のために冒険者を雇っていたら、さらに出費が嵩み大赤字もいいところだ。
そしてこの計画も、借金だけ残して、森林開拓は遅々として進んでいなかった。
そんな伯爵家の金銭事情に、さらにもう一つのしかかってきていたのが、娘の治療費であった。
長女のフローレンスが、一年ちょっと前から眠り病という謎の奇病によって、眠りから覚めなくなってしまった。放置しておけば日々衰弱してしまうため、娘のためだけに神官を一人雇い、毎日治癒魔法をかけてもらっていた。神官に一回治癒魔法をかけてもらうだけでも結構な額を払う必要がある。平民では手が届かない額だ。それを毎日続けているのだ。貴族であってもかなりの負担になる。
そして悲しいことに、いくら毎日治癒魔法をかけ続けていても、娘には病気が治る見込みがない。
そこでセドリックは一つの決断をした。娘の治療を止めてしまうことを。
金銭的負担のためだけではない。治らないのであれば、いっそ死なせてやることが娘のためだと考えたのだ。
だがそれは、残された家族である息子も、家で働く者たちも、全員が反対するであろう。だからセドリックは誰にも相談せず、安楽死を与えてくれるという神官を雇った。もし治るのであれば治してもらいたいが、無理なのであれば苦しまずに死なせてやってほしいと依頼した。
神官が代わりすぐに死ぬと怪しまれるため、状況を見て行うという事だった。
そして最後の悩みは息子の事だった。
セドリックの妻は、長女を生んでまもなく病気で亡くなった。長男と長女の二人を生んだ妻に対して感謝の気持ちしかなく、後家を娶るつもりはもはやなかった。そんなセドリックの思いは、長男インフェルノに対する厳しい教育へと向かった。
貴族家を継ぐのは長男の務めだ。だから息子には厳しく教育をしてきた。
語学、一般教養、経済学といった座学だけではなく、武術も専門の教師を雇い、幼い頃より教育して来た。息子は特に剣術に才能があったらしく、連合王国の剣術大会で優勝するまでになった。
そんな手塩にかけて育てた息子だが、まだ貴族家の長男としての自覚が薄いようだった。
そろそろ良い年になるため、見合い話を何度か紹介しているのだが、全て断り続けている。かと言って特に思いを寄せている異性がいるわけでもないようだ。家を継ぐ男子を残すことは、家督を継ぐ者として重要な仕事であるというのに、いつまで気楽な独り身でいるつもりなのだろうか。
妹が病気になってからは、病を治すために街へ行き、様々な者と会っているとも聞いている。そんな余計なことばかりしているようだ。
何事もうまくいっている内は良いのだが、一つ悪い方向へ転がり始めると、全ての事が悪い方向へ向かってしまうことがある。今がそうだ。連合王国議会が多忙で、領土内の開拓事業に割く時間が無くなり、その結果開拓が頓挫し、そんなイライラを息子にぶつけてしまい、息子は言う事を聞かなくなる。そんな負のスパイラルが続いている。一度良い方向に転がりだすと一気に全てうまくいったりするものだが、今は何もかも悪い方向へ向かってしまうようだ。この状況を打破するため、何とかしなくてはいけない。
そんな時だから、今朝の報告を聞いてセドリックは、「またか」と漏らしてしまう。
国境近くの道路沿いにある、開拓中のノーズの森と呼ばれる区域で、また魔物が出たという報告だった。
しかもその魔物、三メートルを超える巨大ムカデによって、ストーンゴーレムが一体破壊されたという。
セドリックは頭を抱える。ストーンゴーレムを一体購入するのに、一千万Gを必要とする。そしてさらに巨大ムカデの討伐するのに必要な金額を想像すると、さらに頭が痛くなった。ストーンゴーレムを破壊するほどとなれば、Aクラスモンスターだ。もしかしたらSクラス認定される可能性もある。だとしたら冒険者を雇う場合、黄金級冒険者パーティーを雇う必要がある。そもそも連合王国内には白銀級までの冒険者しかいない。バスク帝国領まで行き依頼したとしても、黄金級冒険者パーティーが来るまで早くて一週間くらいかかるだろう。
「あー!くそっ!」
セドリックは何事も上手くいかないことに対する怒りを抑えられず、座っているテーブルに両手を思い切り振り下ろす。
ドン!という音とともに、両手に痛みが走る。
こんな時に限って朝から外出して姿を見ない息子に対して、理不尽な怒りを覚える。
その時、セドリックの部屋の扉をノックする音がした。
「大きな音がしましたが、どうかしましたか?」
扉から入って来たのは、外出から戻った息子インフェルノだった。




