81.キルケゴールの目的
インフェルノたちは、改めてフローレンスの治療について話し合った。
あれからユーフォリアは、毎日フローレンスの夢の中へ行き会っているという。夢の中の移動のコツもずいぶん慣れたようだ。今夜は、全員が寝てから、まずはフローレンスにバーンとインフェルノの夢の中へも行ってもらう。二人を連れ、3人でフローレンスに会いに行くことにする。
フローレンスの夢の中では、館の敷地の外が真っ黒な壁になっているという。そこで転移門を開く事が出来るバーンのフレイムソードによって、その壁を切り裂いてもらい、夢の外へ連れ出すという作戦だ。
夢の中のため、フレイムソードが正常に機能するかも分からない。そこで一応インフェルノにも同行してもらい、バーン一人で壁を壊せなかったときに協力してもらうことにする。
「まぁバーンの手伝いというより、インフェルノは誰よりも先にフローレンスに会いたいだろうしな」
そう言ってニーナから計画の説明が終わる。ニーナは念のため眠らずに3人の様子を見ている役をするそうだ。
そんな4人の会話を聞いていて、メアリーは目を丸くしていた。
「そんなことができるのですね?お嬢様は助かるのですね?」
「ああ。そのために私たちはインフェルノに連れてこられたのだ」
ニーナは、力強く答えた。
「それにしても、こんなに明るいお坊ちゃまを見るのは本当に久しぶりです。まるで子供の頃のよう」
メアリーが遠い目をして言った。
「この人、友達いなさそうだもんね!普段も暗そう」
「な?!」
ユーフォリアに毒づかれ、でも言い返せないインフェルノは言葉に詰まる。
「そうですね。剣術のお仲間とかご学友はおられるようですが、皆様と接する時とは雰囲気が全然違いますね」
「メアリー、もういいだろう?やめてくれ」
「フフフ……」
メアリー自身も、笑うのはとても久しぶりだったことに改めて気付いた。フローレンスが長い眠りについてから、この館では笑い顔がなくなってしまっていたのだ。
バーンたちを泊めるための部屋の準備をしなければいけないが、話をするのが楽しくてメアリーがなかなか退室できないでいると、客間の扉をノックする音が聞こえた。メアリーが扉を開けに行くと、そこに立っていたのは、先ほどインフェルノが父の部屋で会った、神官のキルケゴールだった。
「何か?」
インフェルノが尋ねると、キルケゴールは言った。
「坊ちゃん、ちょっといいですかね?」
そう言ってインフェルノはキルケゴールに部屋から連れ出され、出て行った。
二人が去ると、バーンたちはメアリーにキルケゴールについて尋ねた。あれは何者なのかと。
「あのお方は、旦那様が連れてきた新しい神官で、毎日お嬢様に回復魔法をかけてくださっているのです。ですがあの方でもやはりお嬢様を目覚めさせることはできないようで」
「ふーん……神官ね……なんかもっと、そう、殺し屋か何かかと思った」
そうバーンが呟くと、メアリーも同意した。
「そうなんですよ。あの目つきの悪さですよね。私も最初は怖い人かと思ったんです」
ニーナがバーンに尋ねる。
「あれは悪い奴なのか?」
バーンは少し困ったような顔をして答える。
「うーん……、良いやつじゃなさそうなんだけど、悪いやつとも断定できないなあ……。でもちょっと警戒した方がいいかも……」
「そうか。まあ人間は、悪い部分と良い部分はどちらも持っているものだしな」
「確かにな」
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インフェルノとキルケゴールは、誰もいない庭に出てきた。
「ここらなら誰もいないようですね」
「いったい何の用だ?」
「まあ、立ち話もなんなんで、椅子にでも座りましょうよ」
「父には言えない話か?」
「と言いますか、お父上から私が依頼された話です」
「?」
「ところで、坊ちゃんが連れてきた魔法使いですが、腕は確かなんですか?」
「当たり前だ。これ以上ない、最高位の魔法使いに来てもらった」
「先ほどお部屋に行った時は、それらしきお方はおられませんでしたが……」
「ストレートの髪の娘がそうだ。もう一人の娘も夢の中に入ってゆく能力を持っているらしく、協力してもらう」
そんな信じられない話を聞いて、キルケゴールの顔色が変わる。
「坊ちゃん、あんた騙されてるんじゃないでしょうね?あんな小娘が最高位の魔法使い?そしてもう一人が伝説の潜心師?そんなわけないじゃないですか!魔法ってのはね、修行に長い年月をかけて習得するもんなんです。あんな若いうちに習得できるわけが……」
キルケゴールの口調が思わず荒くなる。だが、それを聞いているインフェルノのまなざしが真剣そのものだったため、途中で口を閉ざしてしまう。
「信じられないのも無理はない。俺も最初は信じられなかった」
インフェルノはそう言うと、右手の掌を上に向けて前に差し出す。
「見ろ」
キルケゴールに見せるよう、掌の中で風の渦を巻き起こす。まずは球状の渦を起こし、そして次にそれを上方へ向けて解放する。風の渦は、まるで小さな竜巻のような姿で上昇してゆき、空に掻き消えていった。キルケゴールは信じられないものを見ているという目で、そのデモンストレーションの一部始終を目撃する。
「あの魔法使いから教わった風の精霊魔法だ。俺はそれまで魔法について習ったことは一度もなかったが、すぐに使えるようになった。使える魔法の適正を間違えずに効率のよい修業を積めば、これくらいすぐに覚えられるそうだ」
「ほ、本当なのですね?……失礼しました」
キルケゴールは素直に謝罪した。今見せられた風の魔法も、自分が知る限りよほど修行した年配の魔法使いくらいでないと同じ事はできないだろう。それをこの若い男が、しかも魔法使いではなく剣士が使うのを見て、それを教えた魔法使いがどれだけのレベルであるか自分には想像もつかないことを知った。
「だとすれば……、しつこいようで申し訳ありませんが、お嬢さんは助かるんですね?」
「くどい。妹は俺たちが助ける」
「ふぅ……、それを聞いて安心しました。実はですね……、坊ちゃん、この家の財政事情はご存知でしょうかね?」
「……ああ、貴族にしてはそこまで裕福な方だとは思っていない」
「その調子だと、詳しいところまでは聞かされていないようですね。実はですね、お嬢さんの治療代がこの家の財政を圧迫しているようなんですよ。もちろんお嬢さんの治療が全てってわけではないですが、この家の使用人を雇うお金、この家の維持費、坊ちゃんたちの食事、着る服、そういった支出の全てを合計すると、旦那さんが議会で働いて稼いでいるお金や領地から集めるお金を合わせても、赤字なんだそうです」
「……」
インフェルノは何も言い返せなかった。家の資産は父が管理しており、自分はあまり把握できていなかった。薄々感づいてはいたが、妹フローレンスの病は、金銭的にも我が家を苦しめていたのだという事を改めて聞かされる。
「お嬢さんが寝込んで一年以上経つそうじゃないですか?最初の頃は資産を目減りさせても娘さんを治す努力をされてたそうなんですが、治る見込みもないままここまできたようで、その間もこの家の資産はだんだん減ってゆく一方。旦那さんもそれを悩んでいるんだそうです。それともう一つ大きな問題があります。お嬢さん自身の事です」
「フローレンスの?」
「そうです。お嬢さん自身の気持ちです。お嬢さんが病に伏せたのは、16歳の時だったと聞きました。そして今17歳。このまま目が覚めず、人生で一番美しい若い時間を、ずっと夢の中で過ごされたとします。そしてもし助かっとしても、それが何十年か後だったとしたら…?16歳だった自分が目が覚めた時とつぜん老婆になっていたとしたら?お嬢さんの気持ちを想像できますか?心の弱い人であれば、自殺してしまうかもしれません」
そんなキルケゴールの脅しに、インフェルノは何も言い返せなかった。フローレンスの病は、とても大きな問題なのだ。
「そこで旦那さんは私を雇われたのです」
さっきまでの話が、それとどう繋がるのか意味が分からなかった。そんなインフェルノに理解してもらうために、キルケゴールは続けた。
「私はね、神殿勤めを辞めて、今はフリーの神官なんです。私たち神官の仕事は、神に祈る事ともう一つ、傷ついた人を治癒魔法で癒す事があります。しかし神殿の神様は誰でも救ってくれるわけではありません。神殿では治癒魔法を施す代わりに寄付金を要求する。神様はお金を払う者だけを救ってくれるのです。その寄付金という名目の高額な治療費のために、家族がとても苦しい思いをする。とくにお嬢さんのような、助からない命にお金がかかり、生きている人間が苦しめられるということが起こりうるのです。私はそういう人たちをたくさん見てきました。私はそれが見てられなくて、神殿を辞めたんです」
「辞めて、無償で治癒魔法をかけて回っているのか?」
「まさか!そんなことをしていたら、今度は私が貧困に喘いでしまう」
「治療費を取っているなら、神殿とやっている事は同じじゃないのか?」
「違いますよ。私はね、治る見込みのない患者には、安らかに息を引き取ってもらっているんですよ」
「どういう意味だ?!」
インフェルノの語気が荒くなった。この男はついに聞き捨てならない事を言った。
「ですから、旦那さんから依頼された私の仕事は、お嬢さんが助かる見込みがないようならば、お嬢さんに死という名の治療を施すことなんですよ」
言い終わるか終わらないかのタイミングで、インフェルノはキルケゴールの襟元を強く掴んだ。抑えきれない怒りがその瞳に浮かんでいる。
「貴様……、妹を殺すと言ったのか?もう一度言ってみろ。お前が妹を殺す前に俺がお前を殺してやる」
やれやれという表情を浮かべるキルケゴール。襟元を強く掴まれていても、キルケゴールの表情は冷静そのものだった。
「私の意思ではないですよ。あなたのお父上のご意思だ。無理やり生き長らえさせられるより、死んだ方が幸福な命もあるんです。お父上はそのことをあなたに伝えたがらないようでしたが、私の判断でお伝えさせてもらったまでです。それに私だってあなたの妹君には助かってもらいたい。あなたの連れてきた魔法使い殿が助けてくれさえすればいいんです。絶対に助けるって言ってたでしょう?」
インフェルノはキルケゴールの襟元から手を離す。
「そうだ。俺たちが必ず助ける」
「それならばいいのです。あなたの妹君が助かれば、私が何かする必要もない。それが一番幸福な結末です。ですが妹君を死なせたくなかったら、絶対に助けてくださいね。そうでなければ私が手を汚さなくてはならなくなります」
「貴様の出番はない。悪いが無駄足だったな」
「いえいえ、患者が助かったならばそれで私も嬉しいですよ。それでは坊ちゃん、くれぐれも失敗しないように……」
そう言い残してキルケゴールは去った。インフェルノは、今夜のフローレンス救出はどうしても失敗できないと知った。




