80.セドリック・カロネオン伯爵と神官キルケゴール
バスク帝国を出て数日が経った。馬車は目的地であるインフェルノの故郷、マインステート王国に入った。道中いろいろあったが、ここに来た目的は一つ。長い眠りから覚めないインフェルノの妹フローレンスを助けるためだ。
まもなくインフェルノの自宅へ着く頃、フィックスに帰っていたユーフォリアとも転移門を使って合流し、バーン、ニーナ、インフェルノ、ユーフォリアの4人が、馬車に揺られていた。
「そういえばインフェルノ。これを返しておこう」
まもなくインフェルノの家に着く頃、そう言ってニーナが差し出したのは、かつて赤鉄鎧の首飾りと呼ばれた首飾りだった。だが中央に輝く宝石は以前よりも小さく、真っ赤だった色は緑色に変わっていた。
「それは……ずいぶん形が変わってしまったようだが」
「解呪したらこうなった。これでも鎧と剣は召喚できるようだ」
「鎧と剣の呪いも解けたのか?」
「ああ。だから呼び出せるのは、魔法の刺突剣と、魔力のないただのオリハルコンの全身鎧だ。性能は落ちるがその辺では手に入らないレベルのアイテムだろう」
「手に入らないどころか、オルハリコンの全身鎧なんて見たこともない。俺が受け取ってしまってももいいのか?」
「お前が一番使いこなせるだろ?」
ニーナにそう言われ、インフェルノはそれを受け取る。
「何かあった時、役に立つだろう」
「ありがとう」
インフェルノは深く頷く。思えば長い旅だったが、この魔法使いから得るものはたくさんあった。インフェルノは、素直に感謝の気持ちを伝えた。
そうしてその日の昼過ぎ、馬車はインフェルノの家の敷地内に辿り着いた。
マインステート王国は北国であり、冬の間、街は真っ白な雪に覆われる。インフェルノがセントラール王国に旅立った時には辺り一面が雪景色だったが、帰ってくるまでの間に長い冬は終わっていた。道端の雪は溶けてきていて、植物からは新芽が伸びて来ていた。この雪国でも、遅い春を迎えようとしていた。
インフェルノたちは馬車を降り、館のドアを開けると、執事が出迎える。すぐにメイド長のメアリーがやって来て、インフェルノの帰りを喜んだ。
「坊ちゃま!ご無事でしたか!」
そう言ってインフェルノに抱き着いて喜ぶメアリー。その目には涙が浮かんでいた。
「メアリー。落ち着いてくれ。客人もいるのだ」
「私は……、坊ちゃまが二度と戻ってこないのではないかと……」
メイドに歓迎されるインフェルノを見て、その愛され具合にバーンたちはにやにや笑っており、インフェルノはその冷たい視線に恥ずかしそうにしていた。
メアリーは、インフェルノやフローレンスが生まれる前からずっとこの家で働いてきた。二人は子供の頃からずっとメアリーに懐いており、メアリーも二人の事を我が子のように大切に思っていた。亡霊が現れ、インフェルノが姿を消した時、まるで我が子を死地へ見送るかの気持であったメアリーは、インフェルノの帰還を心から喜んだ。
「坊ちゃま、そういえば旦那様が帰っております」
「そうか。先に挨拶に行こう。メアリー、こちらは俺の友人だ。長旅で疲れているだろうから、部屋へ案内してくれ」
「分かりました。それと、旦那様はお客様を連れて来ておられますので、お客様とご一緒かと思います」
「分かった」
それからインフェルノはバーンたちを紹介しメアリーに客室に案内してもらうと、自分は父セドリックの部屋へ向かった。
インフェルノの父、セドリック・カロネオン伯爵は、マインステート王国の王国議会議員であり、連合国家議会の議員も兼任している。特に今は連合国家議会の仕事が忙しく、ほとんど連合国家議会本部のあるウルドムング王国に行っている事が多かった。自宅にはほとんど不在であったが、珍しく帰ってきているのはただの一時帰宅なのか、それとも何か目的があるからなのか、そんな事を考えながらインフェルノは父の部屋の扉をたたいた。
中から入室の許可の声を確認すると、扉を開ける。
「父上、お久しぶりです」
「インフェルノ?!」
部屋の中に居た白髪交じりの老紳士は、扉を開けて立っている久しぶりに会った息子の登場に驚き、すぐに息子の元に駆け寄ると……、突然手に持ったステッキでインフェルノの頭を殴った。
「貴様!フローレンスを置いて、いったいどこへ行っていた?!私の居ない間は貴様がこの家の家長なのだぞ!自覚を持て!」
「申し訳ありません」
側頭部の痛みに堪えながらインフェルノは答えた。
セドリックは家族の愛情よりも、貴族の品位とか格式とかを重要視するような男であった。インフェルノはこの父が苦手であったが、逆らう事もできず、またこのような仕打ちは家を継ぐ自分に対してだけだったため、我慢をしていた。もしも父が妹に対しても暴力を振るっていたら、さすがのインフェルノも我慢ができなかっただろう。
「カロネオン卿、久しぶりに会ったご子息をいきなり殴るなんてないんじゃないですか?」
父の後ろから、そう声を掛ける男がいた。メアリーが言っていた客人とは、この男の事だろう。その男は、真っ白な白髪の長髪の男だった。法衣を着ているところを見ると、神官だろうか?だとしたら引っかかるところがあった。その頬のこけた痩せた顔に光る、鋭い視線だ。
「父上、そちらは?」
「神官のキルケゴールだ。今度からフローレンスの治療にあたることになった」
「以前まで治療にあたってくれた方は?」
「キルケゴールは優秀な神官だという事で私が連れてきた。前の神官と交代してもらったのだ」
フローレンスは命に別状はないものの、食事も取れず運動もできないため、毎日神官に回復魔法をかけてもらっている。回復魔法によって、眠る前のフローレンスの体調を維持している。そのため、フローレンスの目が覚めさえすれば、すぐに以前のように元気に動き回れるはずだ。
それにしても、インフェルノが家を出るまで世話になっていた神官には、何の問題もなかったはずだ。それにこの男がいくら優秀な神官だとはいえ、フローレンスを目覚めさせることができるとは思えない。だとすれば交代する理由など見当たらない。それよりも気になるのは、この男の纏った殺気だった。この男の人相は、人を助ける神官というより、実戦を経験した戦士のような人を殺した事のある人間の顔をしていた。
「カロネオン卿、息子さんになら話したらどうですか?」
「余計なことは言わなくていい」
その二人の会話に疑問を覚えつつ、新しく来た神官に妹の状態を聞く。
「キルケゴールさんと言いましたね。妹はもう診てくれましたか?どうでしたか?」
「ん?ん、診たよ……。あまりよろしくないねえ……」
口を篭らせるように、あいまいに答える。やはりこの男でも治せる見込みはないのであろう。
「父上、私もフローレンスを助けてもらうために魔法使いを連れてきました。これから見てもらおうと思います」
「無駄なことを……。勝手にしろ」
そう言って背を向ける父に、もう用はないのだろうとインフェルノは部屋を去る。
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インフェルノがバーンたちを待たせている客室に入ると、対面の二人掛けのソファにそれぞれ寝転ぶニーナとユーフォリアに、バーンが座る場所がないと苦情を言っていた。
「このソファ寝心地がいいな。馬車で座り疲れたからこのまま寝たい」
そんな事を言いながら目をつぶって本気で眠ろうとしているニーナを見て、今しがた部屋に入って来たインフェルノは
「おまえら、くつろぎすぎじゃないのか?一応他人の家だぞ?」
と言いつつ、苦笑いを堪えるのに必死だった。
「おう、挨拶は終わったのか?」
寝ころんだまま返事をするニーナ。全く、こいつらといると悩む自分がばかばかしく思えてくる。
「ここは俺の家だが、家長は父だ。俺の父は礼儀作法に厳しい人間だ。悪いがもう少しちゃんとしてくれ」
インフェルノにそう言われ、姿勢を正すニーナとユーフォリア。座るスペースができたのでバーンもニーナの横に座る。すると先ほど父にぶたれた側頭部に血がにじんでいる事にユーフォリアが気付く。
「あ、あんた頭どうしたの?」
そう言ってインフェルノの怪我の状態を確認するユーフォリア。インフェルノは恥ずかしそうに手で隠しながら「ああ、父と少しな……」と、言葉を濁した。
そこにメイドのメアリーが、お茶を持って現れた。インフェルノの頭の傷を心配そうにされている姿を見て、「慌てて傷薬をお持ちします」と出て行こうとするが、ニーナがそれを止める。
「習った治癒魔法の練習だ。バーン!治してやれ」
インフェルノをソファに座らせ、ソファの後ろに立ったバーンが必死の形相で治癒魔法を施そうと努力する。歯を食いしばったり、目を見開いたり、バーンの掌の先が少しだけ光るが、いまいち思い通りにいかないようだ。
二人のそんな様子を珍しそうに眺めながら、メアリーはテーブルの上にお茶をついでゆく。
「メアリーさん。インフェルノって、お父さんと仲が悪いんですか?」
ユーフォリアが、頭を怪我させたと思われるその父との仲を心配し、メアリーに訪ねる。
「もともと旦那様は厳しいお方なのですが、お坊ちゃまに対しては特にきつく当たられます。カロネオン家の後継ぎとして、期待が強すぎるようです」
メアリーは悲しそうな顔で答えた。ユーフォリアもフローレンスから多少事情は聞いてはいたが、実際に怪我をしているところまで見てしまうと、思っていたよりも心配になってしまった。
「おお!治ったぞ!」
その時バーンがそう言って、手を離す。インフェルノの頭の傷跡がふさがったようだ。
「俺もついに治癒魔法が使えるようになったぜ。」
「フン、まだ最低レベルだがな。」
「何だお前、治してもらって言うセリフじゃねえだろう?ありがとうって言え!」
「別に治療してもらう必要もない軽傷だ。お前の魔法の練習台になってやったのだ。むしろ礼を言うのはお前の方だ」
「なんで治してやった俺が、お礼を言わなきゃいけないんだよ!」
そんな二人の会話を聞いて、メアリーは思わす笑い出してしまった。
「ウフフフフ。仲がよろしいのですね。お坊ちゃまにこんな仲の良いお友達がいたなんて知りませんでした」
仲が良いと言われ、不本意な二人は目を合わせ、そして逸らした。
「こいつらはいつもケンカばかりして困るんだ」
ニーナが上から目線で説明をする。ユーフォリアもメアリーと一緒に笑っていた。




