69.仮面舞踏会3
バスク帝国皇帝、アルベルト・エリアス・エル・ヴァーミリオンは、テーブルに突っ伏し、ため息をついていた。
向かいに座るお付きの騎士ロイ・アーネルバーグは、何も言わず背筋を伸ばして優雅にお茶を飲む。
「ダメだあ~。は~あ~~あ~~~~~~…」
アルは魂まで抜け出てしまいそうな、長い長い溜息をつく。それに対してロイは、特にリアクションを取ることもない。
「やっぱ街にも俺の嫁(候補)は、いないのかな~?」
「そらそうでしょうよ。いくら着飾っているとは言え、中身は町娘。教養では貴族の娘たちには遠く及びませんよ。」
「そうだな。やっぱり俺が間違ってたかもしれない。まだ貴族の娘の方がましだ。」
アルベルトは、このラヴァーズフィールドの街で、今週1週間行われている仮面舞踏会という祭りの中で、自らの妻とする女性を探すため、身元を隠しながら夜な夜なナンパをして歩き回っていた。だがその結果は、貴族のように着飾った娘たちと話しても、その中身の無さにがっかりしてばかりだった。アルベルトは、自らと対等に接することができる異性を求めているのだ。
「それでは陛下。もう諦めて、今夜出歩くのは中止ということですね。」
ロイは、内心ホッとする。毎夜アルベルトにつき合わされ、夜の街を連れまわされているのに疲れているからだ。いくらロイが行きたくなくても、護衛も付けずに皇帝を一人出歩かせるわけにはいかない。だからアルベルトには大人しくしていてもらいたいと思っている。だがそれに対するアルベルトの回答は、ロイの望む内容ではなかった。
「バカ言うな!今夜がラストチャンスだ!明日は領主邸内で舞踏会があるんだろう?街で知らない娘と出会うチャンスは、もう今夜しかないんだぞ!」
そんなアルベルトの言葉を聞いて、ロイは「まだ諦めてないのかよ」と思わず口走ってしまう。これが皇帝と騎士であるとともに、幼いころから一緒に育ってきたアルベルトとロイの距離感である。
実はアルベルトは、そんなロイとの掛け合いを気に入っている。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
7日間開催される仮面舞踏会の、6日目の夜。
アルベルトは懲りずに今夜もロイと二人で街を歩く。
中央広場では今日もまた宮殿騎士のブルーノが、アルベルトの影武者として皇帝のふりをしている。仮面舞踏会というだけあって、ブルーノは完全に顔を隠す仮面を付けていても誰にも怪しまれず、皇帝のふりができているのである。こうして客観的に見ると、こういう式典において皇帝というのはお飾りなだけなので、だれにでも務まりそうだ。そうは言っても、国内外から命を狙われている身分である。ブルーノくらいの強者でなければ務まらない。
ロイはそんなブルーノに、心の中で『今夜もお疲れ』と呟いて、広場を通り過ぎる。
「さて、ロイ。今夜はどんな作戦で行く?」
アルベルトが今夜も行なう不毛なナンパについて相談してくる。作戦も何も、これまでアルベルトは気の向くまま女性に声を掛けてきただけだったのだが。
「これまでの経験上、上等なドレスを着ているとか、豪華な宝石や派手な化粧で美しく着飾っている女性だからと言って、内面まで美しいわけではないという事は分かった。逆に化粧の上手い女ほど、その中身は見透かせない気がする。そうやって選り好みしていると、なんだかどの女も同じようにしか見えなくなってきたんだよねえ。」
本気で熱く語る婚活皇帝。しかしロイはあまり真剣に返答しない。
「どんな服を着ていようと、服を脱がせばどれも一人の女です。同じに見えて当然でしょう。ですから、どの女でもいいからさっさと決めてしまえばいいんですよ。」
「優秀な子種を残すには、優れた女性を選べって言ったのはお前だろう?」
「それはそうですけど、貴方は選り好みし過ぎなんですよ!」
「うるさい!俺は好きにもなれない女と、結婚するつもりはない!」
アルベルトが一生独身フラグを立ててしまいそうなセリフを言った後、一人の女性の姿が彼の視界に入る。その場にいるたくさんの若い女性の中で、なぜその一人の女性に視線が釘付けになったのかと言えば、髪の色が周りの女たちと違っていたからた。その女性の髪は、美しい黒色だった。
バスク帝国の一般的な国民は、ややピンクがかった白い肌にブロンドの髪をしている。北方連合の国民は、肌は少し青白くなり髪色はさらに明るくなる。周辺国家や蛮族には茶色い髪や灰色い髪の者もいる。だがこの辺りでは、真っ黒な髪はほとんど見ることがない。それは大陸の中央山脈を越えた南部、セントラール王国に多い髪色だった。
その女性の光沢のある美しい黒い髪に、アルベルトは一瞬見とれてしまった。
そしてその女性がこちら側に振り返ると、その容姿に再び見とれてしまうのであった。
仮面舞踏会が行われている最中、この街にいる女性は、どの女性も男性にアピールするために美しく着飾っている。仮面をするだけでなく、上等なドレス、きらびやかな宝石、それはオスを惹きつけるクジャクの羽のように、貴族のごとき華美な衣装を身に纏う。そして妖艶な化粧をしているのが当たり前であった。
マスクの中に覗く瞳には、とくに濃いメイクをするのが当たり前だ。太いアイライン、カラフルなアイシャドウ、最近ではまつ毛を増量するつけまつげなるものも流行っているらしい。そして唇には、鮮やかな色の口紅、頬にはキラキラ光るピンク色のチーク。祭りの最中は、普段だと悪見栄えしてしまうほどの厚化粧をするのが当たり前となっている。
だがその女性は違った。目の周りに化粧をしなくても、長いまつ毛、大きな瞳、自然体の美しい瞳がそのマスクの向こう側にあった。やはりセントラール人特有の、少し黄色がかった健康的な肌の色、薄紅色の唇。一言で言うと、化粧をしていないのにとても整った顔かたちをしていた。
女性の顔に見とれてしまい、ただ黙ってその女性を見つめてしまうアルベルト。そして女は、じっと見つめられている事に気づき、その視線の主、アルベルトに話しかけた。
「私の顔に何かついているか?」
アルベルトは、はっとする。思わず見とれてしまった事をすぐに謝罪する。
「あ、いえ、すいません。レディの顔をじっと見つめてしまって…。」
「知り合いとでも間違えたのか?」
「いえ、その、正直に申し上げますと、お嬢さんが美しすぎて、思わず見とれてしまいました。」
アルベルトは正直に答えた。人によっては嫌味に聞こえるほどの舌の浮いたセリフだったが、女はまんざらでもない様子で嬉しそうにほほ笑んだ。
「だったら仕方ないな。ウフフ…。」
「失礼しました。私はアルと申します。こちらは友人のロイ。もしよろしければ、お嬢さんのお名前を聞かせていただけませんか?」
「私はニーナだよ。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
バスク帝国に入り冒険者たちと別れたバーンたち一行は、バスク帝国東部の大都市ラヴァーズフィールドに辿り着いた。街に入ると視界に入って来たのは、どの通行人も顔に付けている仮面だった。
「なんだなんだ?この街の人間は、仮面をしないといけない法律でもあるのか?」
馬車の中からその光景を目にし驚くニーナに、ここからそう遠くない国出身のインフェルノが説明をする。
「ああ、今年ももうそんな季節か。この街は今、祭り中なのだ。仮面舞踏会という名のこの祭りは、一週間の間ああした仮面を付ける習わしになっている。中心部まで行けば、大道芸人とかいて面白いぞ。」
「お祭りなのか!見に行きたい!私にも仮面買って来て!」
それを聞いたニーナのテンションが上がる。何千年生きているのか正確な年齢は知らないが、ニーナの内面はいつまでたっても子供なのだ。
宿屋に着いて荷物を降ろすと、宿屋でも売っていた目の周りを隠すタイプの仮面を買う。どれも似たようなデザインに見えるのだが、ニーナは一生懸命選んでいる。
「ふぁ~あ…。」
その後ろであくびをしているバーンの顔を、ニーナが不機嫌そうな顔で覗き込む。
「なんだ?そんなに退屈なのか?」
その手には、たった今買ったばかりの3つの仮面が握られていた。
「違うんだ、今日も魔法の修行に疲れてて…。なあ、インフェルノ。」
「確かにそうだな。さっき聞いたが、祭りは明日までやっているそうだ。今日は早めに寝て、明日一日観光にしたらどうだ?」
インフェルノもさすがに疲れているのだろう。そう提案するとニーナは破顔し、
「明日一日遊んでいいのか?よし!明日はパンドラたちも連れて来よう!そうと決まれば、今から下調べに行くぞ!」
明日観光するにしても、結局今夜も出かけずにはいられないようだ。パンドラに明日呼ぶと連絡をしてから、「さあ、行くぞ!」と、ニーナは当然のように俺たち二人に買ったばかりの仮面を渡す。馬車の御者をしてくれている騎士たちを置いて、俺たち三人はラヴァーズフィールドの街中へ歩き出した。
はしゃぎながら街中を駆けるニーナもそうだが、バーンにとっても初めてのバスク帝国は物珍しい光景ばかりだった。その建物や衣服などの文化は、今まで自分たちがいた国とは違うものであり、とても新鮮に映った。
「最初に寄ったサントロペスという街もそうだったけど、この国の外灯は本当に明るいな。セントラールの街中は松明のぼんやりとした灯りで、やっぱり夜って感じなんだけど、この国の外灯は昼とあまり変わらないくらい明るいんじゃないの?」
「ああ。あれは魔光灯という魔道器だな。」
見上げれば空はもう真っ黒だというのに、街の中だけは日中と変わらないくらい明るく照らされている。いくら街中が明るいとはいえ、そろそろ灯のない旅の途中昨日まではもうこのくらいの時間になったら寝ていた時間だ。バーンもインフェルノも睡魔でテンションが低い。疲れ知らずのニーナだけ、元気があふれている。
街中をぐるぐる歩き回った後、ちょっとお茶でも飲もうと寄ったオープンカフェのテラスで3人でお茶を飲む。インフェルノが紅茶の茶葉について説明をしてくれたが、ふんふんと頷くバーンにその情報は、右の耳から入り左の耳から抜けて行った。と、インフェルノが紅茶の生産地について説明している時、
「お?なんだあれは!」
街中をキョロキョロみていたニーナに、また新しい店が目に入る。
「行列が出来てるけど、何の店だろうな?」
それは食べ物の屋台のようだった。長い行列ができていて、買った者はそれを手に持って歩きながら食べているようだ。歩きながら食べるというのは、セントラールにはないスタイルだ。
「ちょっと偵察に行ってくる!」
バーンたちがお茶を飲み終わるのを待てないニーナは、一人でその屋台に駆けて行った。
「じっとしてられないのかね?あんな性格でよく何千年も森の中に居れたな…。」「私の顔に何かついているか?」
その後姿を見送りながら、呆れるようにバーンは呟く。そんなバーンにインフェルノが問いかける。
「一人にさせても大丈夫なのか?」
「ん?ああ、なんだかんだニーナが一番強いからな。護衛する必要もないだろう。」
「そういう意味で言ったんじゃないんだがな…。」
「え?」
「いや、なんでもない。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その屋台の看板には『クレープ』という文字が書かれていた。どうやらそこで売っている食べ物の名前らしい。小麦粉を薄く焼いた生地に、生クリームや果物を巻いた食べ物のようだ。買って食べている人たちの顔を見る限り、とても美味しそうだ。なるほどなと思いながら観察を終え、自分も列に並んで買おうと思ったが、よく考えたら財布はバーンに持たせていた。一人でクレープを買おうにも、ニーナは今お金を持っていない。戻るのも面倒くさいしバーンたちが来るのを待ってようかななどと考えていると、ふとニーナは背後から突き刺さる視線を感じ、振り返る。
そこには、洗練された雰囲気の男性二人組が立っていた。ニーナをじっと見つめているのは、その片方の男であった。
「私の顔に何かついているか?」
振り返ってからも、じっとニーナの顔を見つめてくるため、ニーナからその男にそう声をかけた。
「あ、いえ、すいません。レディの顔をじっと見つめてしまって…。」
謝る男の声や話し方から、悪い奴ではなさそうだ。
「知り合いとでも間違えたのか?」
「いえ、その、正直に申し上げますと、お嬢さんが美しすぎて、思わず見とれてしまいました。」
突然初めて会った人間にかける言葉か?とも思ったが、なんて正直な奴だと、お世辞とは疑わないニーナは内心嬉しくなり、その無礼を許した。
「だったら仕方ないな。ウフフ…。」
「失礼しました。私はアルと申します。こちらは友人のロイ。もしよろしければ、お嬢さんのお名前を聞かせていただけませんか?」
「私はニーナだよ。」
それが千年の森の魔女ニーナと、バスク帝国皇帝アルベルト・エリアス・エル・ヴァーミリオンの出会いであった。




