知らなかった
翌日——
♪~~~~
アラームが鳴る。
(はっや)
朝日がようやく差し込み始めたばかりだった。
「ん……」
アラームが止まる。
「はぁ……」
そのまま反対側へ寝返りを打った。
(起きんのかい)
寝起きが悪いのかと思ったが、毎日忙しいならこうもなるかと、一人で納得する。
しばらくして、瞳が開いた。
「おぉ…おはよぉ」
(起きなさい)
そう伝わるように、頬を前足で軽く叩く。
「うぅ……まだあと十五分寝ても大丈夫なの…」
(何の言い訳だよ)
優しく身体を持ち上げられ、元の場所へ戻される。
どうやら、十五分後に本気を出すらしい。
仕方なく、俺も待機した。
十五分後——
再びアラームが鳴る。
(次こそ、起きなさいよ)
「行きますか~」
今度は驚くほどあっさり起き上がった。
(寝起きが悪いわけじゃないんだな)
そう思ったのも束の間。
彼女はベッドに座ったまま動かない。
(…座ったまま寝てんのか?)
様子を見守っていると、枕元を振り返った。
「ん?ちょっと待って」
(何よ)
スマホを手に取り、画面を覗き込む。
「今日休みじゃん…」
(どんまい)
「でももう起きちゃったな」
(二度寝すればいいよ)
こんな時間だ。
まだ十分眠れる。
そう思っていると、彼女はスマホを操作して枕元に伏せ、布団へ倒れ込んだ。
それに合わせるように、俺も再び布団へ身を任せた。
***
ごそごそと物音がして、瞼をうっすら開ける。
(もう、起きたのか?)
休日なのに、働き者にもほどがある。
起きた俺に気づいたのか、こちらへ近づいてくる。
「じゃあ、出かけようか」
そう言うと、俺をそっと抱き上げた。
(病院って、今日かよ)
心の準備もないまま、そのまま連行される。
病院では、案の定、健康状態に問題はないと言われた。
「男の子ですよ」
(そりゃそうだ)
俺よりも彼女のほうが、緊張しているようだった。
先生の話を真剣な表情で聞き、一つひとつ丁寧に頷いている。
そんなに心配しなくても大丈夫だと思う反面、その表情を見ていると、少しだけ申し訳ない気持ちにもなる。
病院を出ると、その足でペットショップへ入っていく。
(え、まぁ……そりゃそうか)
一瞬戸惑ったものの、普通に考えれば当然だ。
飼うなら、必要なものを揃える。
ごく当たり前のことだった。
彼女は慣れた手つきで商品を選び、次々と買い物かごへ入れていく。
「こんなもんかな」
(いや、そんないる?)
ハムスターを飼っていた本人が選ぶのだから、必要なものなのだろう。
けれど、それは必要最低限というより、快適に暮らすためのものまで含まれているように見えた。
(好待遇)
思わず苦笑する。
本人は至って真面目だから、なおさら面白い。
(戻れたら、お礼しないと)
会計を済ませると、彼女は家路についた。
しばらく歩き、何もない道端でふと足を止める。
徐にスマホを取り出した。
「やっぱ、まだか…」
画面を見つめたまま、ほんの少しだけ、その表情が曇った。
(どうしたんだ?)
気になるが、ここから画面は見えない。
彼女は、しばらく眺めて、画面を閉じると、スマホをしまった。
そして何事もなかったように、また歩き出す。
そうして彼女との共同生活は、半ば強制的に始まった。
***
一週間後——
「ハムオ~行ってくるね」
その名は、俺が雄だと分かった日に名付けられた。
謎センス。
本人は気に入っているようだし、反論もできない。
だから、甘んじて受け入れている。
(いってら~)
彼女は毎日、俺に話しかけてきた。
今日の出来事、嬉しかったこと。
大変だったこと、疲れたこと。
人間だった頃、メッセージで送ってきていたような話を、そのまま俺へ向けて話している。
返事が返ってくるはずもない相手に、彼女は当たり前のように言葉を紡いでいた。
けれど、その日の彼女は違った。
帰ってきたときから、顔に疲れが滲んでいた。
そして、スマホ画面を眺めたまま、何も表情が動かない。
感情がそのまま顔に出る彼女には珍しい顔だった。
(何回か見たことはあるけど…)
この表情のときは、だいたい限界だ。
彼女とスマホの間へ入り込む。
「どうしたの?」
スマホをのぞき込むと、映っていたのは、俺の名前。
(あ、)
既読すらついていないメッセージ画面。
何も言えなくなるった。
「…返信がね、来ないんだよね~」
力なく笑う。
その声だけで、十分伝わってきた。
(まぁ、そうだよな…)
俺はもともと返信が早いほうじゃない。
仕事柄、時間が取れない日も多い。
空いた時間で返しているつもりだった。
そう、つもりなのだ。
彼女は、こういう話をあまりしない。
不満を不満だとは考えず、自分の中で処理しようとするのだ。
負の感情を言葉にすると、そのときの気持ちまで戻ってきてしまうから。
そう言っていた。
(だから、こんなになるまで溜めるんだろうけど)
何も言えないまま、彼女を見つめる。
「転職して二か月目くらいまではね、返信が来ないことも割とあったの。その頃は、三日とか一週間くらい経っても返ってこなかったら、『無事かっ!?』みたいな感じで送ってたんだけどね」
(ごめんって…)
居たたまれなくなる。
「あのまま何も送らずに終わろうとも思ったんだけど……振られてたしね。でも、その時の私は、それが嫌でね」
(……)
「最近は、私が送りすぎてて、多分彼も、流れ作業のように返信してくれてたんだろうけど…また、忙しいのかな……」
震える声。
堰を切ったように、感情が零れていく。
「……けど…声にすると、思ったより……きついね」
俺は、何もできなかった。
話を聞いた今も。
どうしたらいいのか。
自分がどうしたいのか。
何一つ分からない。
けれど、身体は違った。
考えるより先に、彼女の頬へそっとすり寄っていた。
「励ましてくれてるの?」
無理に笑う。
(そんな顔、すんなよ)
でも、その原因に俺も含まれている。
(…というか、ほぼ俺だよな)
「ありがとね。でも、本当に大丈夫なんだよ」
優しく背中を撫でられる。
「さて…もう寝ようか。涙がこぼれる前に」
「おやすみ、ハムオ」
静寂が訪れる。
胸の奥が、苦い。
眠れなかった。
天井を見上げては目を閉じ、また開く。
(そんな風に、思っていたんだな…)
好かれていることは知っていた。
けれど、ここまで想われているとは、正直思っていなかった。
(最低…なのかな…)
俺は、いつも明るい彼女ばかりを見ていた。
そうじゃない部分は、彼女自身が見せたがらなかったから。
散らばった感情は、最後までまとまらなかった。
ただ、その夜。
一度だけ、鼻を啜る音がした。




