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奇跡の先で知った君  作者: 朝凪 紡


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2/6

いた

プシューッ——


新幹線の停止とともに、空気の抜ける音。

降りる人は、それほど多くないらしい。

人の流れが途切れたのを見計らい、誰もいない踊り場へ飛び降りる。

ハムスターになって四日、この身体にも少しずつ慣れてきていた。


駅からホテルまでの道は、あらかじめ頭に入れてきた。

(確か、こっちだったはず)

体力は、もう限界に近かった。

毎歩最後の力を振り絞るように、一歩ずつ足を進める。

(あとちょっと)

それだけを繰り返し、自分に言い聞かせる。


整備されていない道は、思っていた以上に歩きづらい。

それでも、遠くにホテルが見えている。

迷わずに済みそうだ。

(人間だったら、すぐなんだろうな…)

一歩、また一歩と進み続ける。


***


ホテルのすぐ手前まで来たところで、足が止まる。

「……」

いる。

四か月ぶりに見る姿だった。

(なんか、ちょっと丸くなってない?)

人のことを言える立場じゃないが、思わずそんなことを考える。

(そういえば、太ったって言ってたな)

ちゃんと食べているらしい様子に、少しだけ安心した。

彼女から聞いていた労働環境は、過酷だったから。

けれどやはり、ベンチへ身体を預ける姿が気になった。

疲れているように見える。

彼女が仕事第一なのは、出会った頃から変わらない。

人のためなら、自分のことは後回し。

しかもそれを、無意識にやっている。

(「え?どこが?」みたいに、ナチュラルにやるもんな)

理解できないくらい仕事が好きで、誰より周りを見て動く人だった。

だからこそ、無理をしていることも少なくなかったのだと思う。

それでも彼女は、そんな姿を人前ではほとんど見せない。

尚更、こうして力を抜いている姿を見ると、少しだけ胸がざわついた。


彼女のもとへ向かって、もう一度歩き出す。

「…じゃなくなりたいんだけどね」

ぽつりと聞こえてきた声に、耳がぴくりと動いた。

空を見上げている彼女は、もちろん俺に気づく様子はない。

俺はそのまま歩み寄り、サンダルを履いた足の上へ乗った。

「……ん?」

ゆっくりと彼女の視線が降りてくる。

目が合う。

「え、えぇ…?なんで、こんなところに、ハムスターがいるの?」

驚いたように、視線を泳がしている。

誰か探しているみたいだが、人影はどこにもない。

行き場をなくした視線が、もう一度俺へ戻ってきた。

俺は何もせず、ただ彼女を見つめ返す。

(相変わらず、忙しい人だな)

そんなことを思っていると、両手がそっと伸びてきた。

ふわりと身体が浮く。

優しく包み込まれる感覚に、思わず力が抜けた。

人に触れられたのは、ハムスターになって初めてだった。

不快さはない。

それどころか、不思議なくらい落ち着く。

彼女は俺を抱えたまま、あちこち眺めるようにじっと観察していた。


「やっぱり、どこかのお家の子?」

(そんなわけあるか)

心の中で即座に入れたツッコミが届くわけもなく、じっと見つめる。

俺は小さく鼻を鳴らしながら、彼女を見つめ返した。


羽柴はしばさん!」

突然聞こえた声に、俺も彼女も同時に肩を震わせた。

「はい!」

「ごめん!ちょっと手伝ってほしいことあるから、来てくれる?」

「もちろんです!今、行きます!」

返事をした彼女が、もう一度こちらへ向き直る。

さっきまで柔らかかった表情には、少しだけ皺が寄っていた。

(置いていけない、とか思ってるんだろうな)

案の定、困ったように呟く。

「どうしよう……。置いていったほうがいいんだろうけど」

(そういう人だよね、羽柴さんは)

次に言いそうなことも、なんとなく想像がついた。


「一緒に、来るかい?」

(誰だよ)

思わず吹き出しそうになる。

予想は当たっていた。

ただ、そう聞かれるとは思わなかった。

どう返事しようか迷った末、ここから動かない意思を表示することにした。

「えっ…、うそん…」

彼女の声が少しだけ裏返る。

(一人の時のほうが、面白いことってあるんだな)

もともとリアクションは大きいほうだと思っていたが、一人だと輪をかけて分かりやすいらしい。


俺が動かなかったことで決心がついたのか、さっきまで浮かんでいた迷いは少しずつ消えていった。

俺を抱えたまま立ち上がる。

「……それにこれは、不可抗力だから」

(どゆこと?)

意味はよく分からなかったが、俺はそのまま大人しく運ばれることにした。

(部屋に入れてもらうのは、申し訳ないけど……)

それこそ、それこそ不可抗力だ。

そう自分に言い聞かせながら、俺は彼女の腕の中で静かに身を預けた。


ガチャ——

部屋へ入るなり、ベッドの上へそっと降ろされた。

(ほんと優しいよね)

「ごめんね。今、何もないんだけど……仕事に行かないといけないから」

ハムスター相手でも、当たり前のように話しかける。

そんな姿が、どこか眩しい。


何かを思い出したように、部屋の奥へ駆けていく。

ほどなくして戻ってきた彼女の手には、何か握られている。

「はい」

それは、俺の前へ、そっと置かれる。

見るまでもなく、甘い香りが鼻をくすぐった。

(トウモロコシ)

何の躊躇もなくかぶりつく。

(…うまい)

二日近くまともに食べていなかった身体に染み渡る。

夢中で頬張っていると、視界の端で彼女が何やら動き回っていた。

気にはなる。

(なるけど、今は、トウモロコシがすべて)


食べ終えて顔を上げると——

「……」

目の前には、布で作られた壁がそびえ立っていた。

登れる気がしない。

「これなら登れないはず!」

それが狙いだったらしい。

「あと二時間で定時だから、ちょっと待っててね」

(いや、これじゃどう頑張ってもどこにも行けないから)

心の中で苦笑する。

彼女は昔からそうだった。

まず相手のことを考える。

そのあとで、自分のことを考える。

今だって、ハムスター相手に本気で心配している。

その優しさは尊敬できる。

でも、ときどき心配にもなる。

もう少し、自分を優先してもいいのに。


そんなことを考えていると、彼女の手がそっと頭を撫でた。

「冷房寒かったら、布団に入るんだよ」

そう言い残して、彼女は部屋を出ていく。

静かに閉まるドアの音を聞きながら、俺は、瞳を閉じた。

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