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悠久の森のアリア  作者: いろはこはる


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3/4

3話 名前というもの

こんにちは

いろはこはる です


少しずつ重なる日々の始まりです


今回も楽しんで頂けますように


 3話 名前というもの


 朝が来た。

 しかし窓の外は薄暗い。

 何層にも森の木々の枝が重なり、明るい日差しをわずかしか通さないから。

 それでも漆黒の夜とは違い、朝が来たとわかる。

 アリアはいつもの長椅子の上で大きく伸びをした。

 もうそこは自分の寝床だと言わんばかりにくつろいでいた。

 そして窓辺を見る。

 起きてから窓辺を確認するのが、知らずのうちに日課になっていた。

 今日も男は立っていなかった。

 まだ少しまどろんでいるのか、目元をこすりながら、用心深く長椅子から降りる。

 今日は閉まっている扉をなんの戸惑いもなしに、開けて寝床にしている部屋を後にした。


 突き当りを右に、そしていくつ目かの扉を開ける。

 書庫にたどり着く。

 昨日男がいた出窓まで歩く。


「………いらっしゃらない」


 周りを見渡す。

 静寂だけしかない。

 ここにはいないのか。と、書庫を後にする。

 歩いていると、意識がゆっくりとはっきりしてくる。

 先日までとは違い、身体が自由になってくると気になることがでてきた。

 絡まったままの長い髪の毛。

 起床の後の洗顔。

 なにもできていない。なんなら逃げてきた時のままで、体全部が汚れていて埃っぽい。

 ひとつ気になったら、次から次へと気になることがでてくる。

 気が付かなかったが、スカートの裾も破けてドロドロになっているし、足に擦り傷ができていたりなど。

 立ち止まって、自分の身なりを確認しようと、視線をくるくる回していると、身体もつられるようにくるくるまわっていった。

 自分の視界だけでは限界がある、魔王様に挨拶にも行きたいが、こんな姿で会うのは恥ずかしすぎる。どこかに鏡はないものかと、アリアの屋敷探索が昨日に引き続き始まった。


 暖炉のある部屋。自分の寝ている長椅子がある部屋だ。

 そこを起点として考える。

 その部屋をでてまっすぐいくと突き当たる。

 右に曲がると、書庫にたどり着く。

 そこは昨日訪れたので、分かっている。

 書庫をでてから、そんな事を考え指さし確認しつつ、歩いていく。

 そして分かれ道まで戻ってきた。

 まだ左の方には行ってないと、まだ訪れていない方へと足を進める。

 昨日と同じように、こちらの廊下でも扉を見つければ、丁寧にノックをしてから扉を開けた。

 いくつかの客室の様な部屋があっただけで、バスルームはみつけられなかった。


「………おかしいですわね」


 しっかりとしたお屋敷だ。だとしたら必ずどこかにバスルームがあるとは思うのだが、見つからない。

 突き当りの部屋の扉を閉めようとしたとき、奥に更に小さな扉があることに気が付いた。

 あの扉は開けていないと、うっすら埃の被った客室に足を踏み込んだ。

 毛足の長い絨毯を踏みしめると、たまっていた埃が舞って、足跡を残す。


「どなたかいらっしゃいますか?」


 ここでもしどなたかが返事をすれば、盛大に悲鳴をあげるだろうけれども、しんと静まり薄暗い部屋の中を歩いていると、何かに出会いそうで、両手をしっかりと胸の前で組み奥の扉の前まで来た。

 とてもドキドキしているのが分かる。

 何かが飛び出してきたらどうしようと思いながら、アリアは勢いよく扉を開けた


「ごめんあそばせ!」


 怖さで必要以上に大きな声をあげたものの、彼女の声の後には静寂しかのこらなかった。

 自分が予想していた展開ではなくて、一瞬あっけにとられたものの、中を覗き込むとそこは探していたバスルームだった


「こんなところにありましたのね」


 猫足の優雅なバスタブに近づく。

 バスタブの脇に大きな姿見があった。

 もちろん姿見も埃が被っている。

 このままでは良く見えないと、鏡面の埃をそっと拭い良く見えるようにしてから覗き込んだ。


「なんてことでしょう!」


 自分自身の姿を見て、大きな声をだしてしまった。

 想像していたよりも、みすぼらしい姿の少女が鏡の中にいたから。

 髪の毛は綿ぼこりをところどころにからませもつれている。

 顔は埃まみれで、まだ泥がついている箇所もある。

 服は白かったはずなのに、土色となんとも言えない色に染まっていた。


「なんてことでしょう」


 もう一度同じ言葉を発して、両手で顔を覆ってしまう。

 昨日こんな姿で、魔王様に対面し、本の話を生き生きとしてしまったことが恥ずかしくなっていて、アリアはそのままの恰好で暫く動かなくなった。


「これは身支度を整えてから、再度ご挨拶に伺わないと………」


 ありがたいことに目の前にバスタブはある。

 王宮では自分が使う時は適温のお湯が張ってあった。

 当然ながら目の前のバスタブは空っぽだ。

 確か蛇口をひねると……。

 それくらいは知っていると、周りの壁を見渡してみる。

 ある程度下水が完備されていた首都部とは違い、壁に蛇口は見当たらなかった。

 そうなってしまうとなんでもしてもらっていた王女様に、空のバスタブを満たす方法など分かるはずもなく、困って首を傾げてしまった。


「……どうしましょう」


 見つめているだけで、湯が張るわけでもない。

 張ってくれたらどれほど良かったのに。とか、無理なことを思っては溜息をおとして、バスルーム付きの客室を出た。

 まずはどこかで水かお湯かを手にいれないことには、何も始まらないことだけはわかった。

 今まで見てきた部屋をもう一度くまなく確認してみる。

 古いが質が良い調度品が揃えられている事だけしかわからなかった。

 困りましたわね。

 なんて考えながら、最後の部屋の扉を開けた瞬間、アリアは息を飲んだ。

 目の前を探していた男が横切ろうとしていたから。


「ーーーーーーー!!!」


 アリアの口から、悲鳴にもならない声が漏れた。

 男はきっとアリアの存在には気が付いていた。それでも素通りするつもりだったのだろう。だが悲鳴にも似た声をあげられては、そちらに視線を向けるしかなかった。


「ぁ! その! これわっ……そのまえに、おはようございます、今日も良い朝ですわね………ではなくて。そ、そんなに見ないでくださいまし!」


 探していた相手が目の前にいるが、このタイミングではない。

 この姿は見られたくない、しかし挨拶はしなければならない、よく見たら今はこちらを見ている事に気が付いたり、と、一人で大騒ぎしている。

 男は衣服を隠そうと、顔を隠そうと騒がしく手をバタバタ動かしている、小柄な少女を興味なさそうに見下ろしていた。

 男はしばらくアリアを見下ろしていた。そして何事もなかったように視線を外し、そのまま歩き出した。


「あ、あの! 魔王様!」


 その言葉に、ぴくりと眉が動いた。

 なにも表情は変わってないのに、少し不機嫌そうに振り返った。


「ま、魔王様。湯あみをしたいのです」


 男の不機嫌には気が付かず、立ち止まってくれたことが嬉しくて、男の背後から明るい声をかけた。

 再び魔王と呼ばれたことで、ぴくりと眉が動いたがそれはだれにも気が付かれない程度。

 男を見た後、アリアは今は後方になってしまった、バスルーム付きの客室を指さした。

 その指先を視線で追った男は、人知れず溜息を吐き、書庫に向かっていた足を反対方向に向け歩きだした。

 男のその行動に、アリアは嬉しそうに男の後ろをついていく。

 すると男の歩みは、部屋の手前で止まった。

 前に何があるのかを確認するために、アリアが男の背後から顔を覗かせる。

 簡素な扉があった。

 何も言わず男がその扉を開けると、外へとつながっており、湿気を帯びた木々の香りが埃っぽい室内に広がった。

 アリアが「まぁ!」なんて声をあげるが、そんなものは軽く無視して、男は外へと足をすすめる。それについていくアリア。

 すぐにその足は止まり、目の前に汲み上げポンプがついた井戸がでてきた。


「まぁ! ありがとうございます」


 嬉しそうな満面の笑みで、男にまっすぐにお礼をいうアリア。横に転がっていた桶を手に取ると意気揚々と桶をセットする。これは知っているのだ、夏の暑い日に侍女がこっそりと水遊びをさせてくれたから。あの時侍女はこのポンプの取っ手を握って上下に動かしていた。その記憶を頼りに井戸の取っ手を両手で握りしめて力強く下へと押す。

 が、びくともしない。


「えいっ!」


 やはりびくともしない。

  何度か繰り返すが、びくともしない。

  帰るタイミングを逃した男は、目の前で繰り広げられる一人芝居のような光景を黙って眺めていた。

 おかしいですわ。と、また首を傾げる。間違ってないはずなのにと。

 アリアの何度目かの挑戦の時、背後から細くもたくましい腕が伸びてきて片手で押し込んだ。

 上下運動を何度か繰り返すと水が勢いよく出てきた。


「まぁ!」


 目を輝かせるアリア。キラキラした表情で男を振り返り見上げる。


「ありがとうございます! 魔王様!」


 その言葉にまた男の眉が動いた。

 水が出てしまえば、井戸の動きは軽くなり、アリアでも簡単に水を出すことができた。

 桶に水がたまり、アリアが持ち上げようとする。

 当然重すぎて、持ち上げることができない。

 先ほどと同じ光景が繰り広げられる。

 男は無意識に大きな溜息をつき、屈んで水で一杯になった桶を持ち上げ黙って歩き出す。


「魔王様は力持ちでもありますのね」


 凄いですわ!と、嬉しそうに男の横を歩いている。

 魔法を使っているのか、普通であれば歩けば桶の中の水が揺れて、多少こぼれるはずなのに、一滴もこぼれなかった。

 井戸からバスルームにたどり着くまでに、あれほど身なりを気にしていたアリアは嬉しそうに楽しそうに「魔王様!魔王様!」と話しかけていた。


「………ノクスだ」

「? なんと申されました?」

「……ノクスだ」


 バスタブに桶の水を勢いよく入れると同時に、男が声を発した。

 しかし低い声は、勢いのある水音にかき消されてしまい、アリアはニコニコと聞き直す。

 それにひどく面倒くさそうに、もう一度だけ名を名乗った。

 その言葉が何を意味するのか一瞬分からなかったのだが、それが彼の名前を意味すると分かったとたん、アリアの表情は今まで以上に晴れやかになった。


「ノクス様! ノクス様とお呼びすればいいんですね!」


 その言葉に答えることはなく、ノクスはバスルームを後にした。

 扉を閉める時に、人知れずタオルを置いて。



アリアの日記 2日目


今日は昨日よりもたくさん歩きました。

たくさん歩けるようになり嬉しいのですが、気が付いてしまったのです。


わたくし、とんでもなく汚れていましたの。


こんな姿で魔王様にご挨拶したかと思ったら、昨日に戻りたい気分になりました。

でもわたくしはついています。

バスルーム付きのお部屋をみつけました。

王宮とちがって、蛇口はございませんでした。

それではお水はどうすればよいのでしょう。


それもついていましたの!

なんと魔王様が井戸に連れて行ってくださって、バスルームまで水を運んでくださいました。


本当にお優しい方です。

まだあまりお話はしてくださいません。

けれどお名前は教えてくださいました。


ノクス様。


これからはそうお呼びできます。

タオルを戸口に置いてくださったのもきっとノクス様です。

なにも言わないのはやはり照れ屋さんだからですね。

これはちゃんとお礼をしなければなりませんね。

ノクス様は何が好きなのでしょうか。 


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