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悠久の森のアリア  作者: 菊月 はじめ


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4/4

4話 はじまり

こんにちは

いろはこはる

です


ゆっくりと物語が始まろうとしています

 4話 はじまり


 暖炉の火が、今日もこの部屋を温かくしている。

 朝が来た。

 けれど眩しいほどの朝日が窓から差し込むこともない。

 かろうじて先刻よりも明るくなったから、朝が来たのかと分かる程度。

 暖炉前の長椅子で毛布に包まっていたアリアが動いた。

 いつも通りの時間に目を覚ます。

 毛布に包まったまま、窓辺を見る。

 そこにいるかもと思った相手はいなかった。

 一昨日までは、アリアが目を覚ますときにはそこにいたのに、昨日ようやく歩けるようになってからは、窓辺で外を眺めている人影はなくなった。

 なんだか少し寂しくて、ぎゅっと毛布を握りしめる。


「……ノクス様」


 ぽそりと口に出してみる。

 何故だか、口元が自然と綻んでしまう。


「ノクス様」


 今度はもう少しはっきりと。

 教えてもらった名前を口にすると、なんだか言いようのない気持ちが支配して、胸がムズムズしてくる。

 毛布を頭まですっぽり被り直すと、もう一度その名前を口の中だけで呼び、昨日のことを思い出した。


 井戸の場所を教えてくれた。

 水を出してくれた。

 その水を運んでくれた。

 名前を教えてくれた。


 そこで気が付いた。

 名前を教えてもらって、嬉しくて自分の名前を名乗るのを忘れてしまっていたことに。


「どうしましょう!」


 その事実に気づいた途端、昨日の自分の悪戦苦闘まで、鮮明に思い出されてしまった。


 上手く絞れなかったタオル。

   容赦なく濡れていく服。

 みなさん、こんな大変なことを毎日してらっしゃるの?

 そんな気持ちを抱えて、乾かないまま眠ってしまった長い髪。

 それで髪は乾いたのかしら。

  気になって、頭に手をやる。

 乾いてはいたが、柔らかかったはずの髪はごわごわになっていた。


 もう一度、昨日のことを反芻してみる。

 名乗っていないわ。

 バスルームもびちゃびちゃだわ。

 先程までムズムズしていた気持ちとは違い、ソワソワしてくる。

 どうにかしなくては、ノクスを探すのもそうだが、バスルームの惨事も気になって仕方ない。

 アリアは居てもたってもいられなくなり、慌てて部屋を飛び出した。

 南の突き当りの部屋の扉を開ける。そしてその奥の扉を開ける。


「………あら」


 びちゃびちゃにして出て行ったはずなのに、昨日見つけた時と同じで、古めかしいが整えられていた。

 ゆっくりと周りを伺うように、バスルームに入る。

 埃を被った鏡は綺麗に磨かれて、アリアの姿をしっかりと写す。

 バスタブのそばに行って覗き込む。

 バスタブは空っぽだった。

 だが傍らに置かれた桶には水が張られていた。

 ここで顔を洗えと言わんばかりに、タオルも添えられて。

 タオルの上には、祖母が愛用していたぐらい古い形の櫛も置かれていた。


 それらを見つけたアリアは、とても胸が温かくなり、大事そうに櫛を手に取り、胸にそっとあてた。


「ありがとうございます」


 短いひとことだが、心からの謝礼だとわかる呟きだった。

 誰も聞くものはいなかったが。

 ありがたく、桶に手を入れると、昨日と同じくものすごく冷たくはなかった。

 顔を洗うぐらいはアリアにもどうにかでき、今日は乾いたタオルで顔の水分をふき取った。

 すっきりした顔で鏡を見る。

 昨日よりは、幾分かましになったと思う。

 櫛で髪の毛を梳かそうとするが、絡まった髪の毛は引っかかってしまう。

 バスルームの床で、毛先から髪の毛のもつれを解こうとして、ゆっくりと丁寧にブラッシングをしていく。自分の髪の毛を梳かすのも初めてだ。侍女の手つきを思い出すが、うまくはない。

 ただ長い髪の毛を自分一人で梳かすのは、無理だったので毛先だけなんとか整えたら、タオルを畳み、古い櫛を片手にバスルームを後にした。


 書庫は相変わらず静かだった。

 前回ノクスを見かけた出窓へと迷わずやってくる。

 彼の姿はない。

 ゆっくりと見回してみる。

 やはり彼の姿はない。

 ここに彼がいるかもしれないと期待していたアリアは小さく吐息を吐き出して、来たときよりもゆっくりと書庫の扉を閉めた。

 それでは彼はどこにいるのだろう。

 頭の中にある屋敷の間取り図を広げてみる。

 ここは自分が使っている暖炉のある部屋。

 この先は先ほどまでいたバスルームのある客室。


 はて。


 足取りが止まった。

 扉を見つけた。

 暖炉の部屋から出て突き当りの場所。

 装飾が綺麗な扉だった。誘われるようにアリアはその扉を開けた。

 すんなりと開いた扉の隙間から、外の空気が飛び込んできた。

 扉の向こう側は渡り廊下になっていた。

 外の空気は少し冷たい。

 この森にも秋の実りはあるのかしら?

 外に出られたことで、本来の目的を忘れて、木々を見上げて渡り廊下を歩いていくアリア。

 上ばかり見ていたから、渡り廊下を歩ききって、扉にぶつかりそうになる。

 そしてまだ見ぬ向側にドキドキしながら、そっと用心深く扉を開けた。


 今まで自分がいた場所とは違う空気を感じる。

 言葉にしにくいが、少し気の張った、凛としたそんな空気。


「ごめんくださいませ」


 無意識に挨拶をしながら、一歩踏み入れる。

 息をのむ。

 そのままゆっくりと中央へ歩き出す。


 高い天井。

 その天井からつり下がっている、豪華ではないが繊細なシャンデリア。

 柱の彫刻。

 窓辺の装飾。

 毛足の長い絨毯。

 全てが物語でしか見聞きしたことがないほど古い形で、埃は被っているものの、どれもが素晴らしいものだというのがすぐに分かる。


 言葉を失ったアリアは、中央ホールの真ん中で、辺りをあれこれみたくて、何度も何度もくるくる回る。

 揺れるスカートの裾は汚れていて、長い髪の毛も絡みついているが、その仕草ひとつひとつが優雅で一朝一夕で成し得ないものだとわかる。

 視線の先に目当ての人影をみつけた。

 アリアの動きが止まった。

 中央ホールの端に置かれた大きなソファに、身体を横向きに預けるように座り、静かにページをめくるノクスの姿をみつけたから。

 アリアは嬉しくなり、自分の頬が緩んでることも気づかず、彼の方に歩み寄る。


「おはようございます。良い朝ですわね」


 薄暗い部屋の中で明るく響くアリアの声。

 聞こえないはずはないのに、全くアリアの方を見ない。

 ノクスのことを無口な照れ屋だと勝手に思いこんでいるアリアは言葉を続ける。


「ノクス様……そうお呼びしてもよろしいですのよね?」


 そこまで言って、自分の名前を名乗ろうとしたところで言葉に詰まった。


『王女ではなく、ただの娘としてお逃げください。お名前も、身分も、誰にも明かしてはいけません』


 侍女の最後の言葉が胸の奥によみがえる。

 けれど、偽りの名前など浮かばなかった。

 それに無口ながらも真摯に助けてくれる目の前の男性に、嘘はつきたくもなかった。

 アリアは王宮でそうしていたように、スカートの裾の端をもち完璧なカーテシーを披露する。


「わたくし、アリアンロッドと申します。………どうぞアリアと、お呼びください」


 国の名前は名乗らなかった。

 普段であれば【シルヴェリア王国第一王女 アリアンロッド】と名乗るのだが、そこは伏せた。今はただのアリアで居たいと思ったから。


 ふわりとスカートの裾がゆれた。


 そこではじめてノクスの視線が本からはなれた。

 汚れた服、

 梳かしきれてない長い髪の毛。

 まだあどけなさを残す少女だが、立ち居振る舞いには隠しきれない気品がある。

 その姿にノクスは僅かに目を細めた。


「あの、ノクス様。 森で助けて頂いてから、昨日まで色々とその……ありがとうございます。たくさんご迷惑もおかけしましたし、わたくし何かお返しがしたいのです」


 ノクスが何も言わなくても平気なアリアは一人で話を続けていく。


「何ができるというわけではございませんけれど、あの甘いものはお好きですか?」


 騒がしいが不快ではない明るい声と動き。

 なにかを一生懸命に伝えようとする姿にノクスは溜息をつきながら本を閉じた。


「クッキーはお好きですか? わたくしは大好きですの。ですから! クッキーをお礼としてお返ししたいのですけど………それでできれば厨房をお借りしたいのです」


 ノクスの様子などかまわず、一人しゃべり続けるアリア。

 その言葉を聞いて、ノクスの眉がぴくりと動いた。

 昨日のことを思い出したのだろう。

 それなのにクッキーを焼こうとしているのかと。

 本人は気が付いていないだろうが、とてもかわいらしくお願いをしているアリア。

 ノクスは何も言わずに立ち上がると歩き始める。

 中央ホールを抜けて大広間にでる。

 またその装飾の美しさに、アリアは感嘆の吐息を吐き出しつつも、遅れないようにノクスの後をついていく。

 大広間を抜けてひとつ扉を開けると、時代錯誤な厨房が現れた。

 一部を除いてここも埃が被っており、長い時間使われていないのがよくわかる。

 アリアにしてみれば初めて見る形の厨房。

 厨房を見てからノクスを見上げた。

 それでも何とかなるだろうし、きっと困ったらノクスが助けてくれると思って、一歩、厨房へ足を踏み入れた。



「小麦粉と、バターと、お砂糖と卵があればできるはずですの。………ございます?」


 無邪気に尋ねるアリア。

 王宮には不自由なくあった全ての材料の名前を口にする。

 それらを聞いて、ノクスはひとつ吐息をついた。


「…………ない」


 ひとことボソリと。あるわけないだろうと。


「ない?」


 ない。という概念がなかったのか、ノクスの言葉をそのまま返すアリア。

 ノクスはアリアの反応など気にもとめず、厨房の奥にある勝手口の扉を開けた。

 扉の先には、テラコッタを敷き詰めたポーチがあり、その端には昨日使った同じ形の組み上げ式の井戸があった。

 ポーチから細い路が続いており、アリアはノクスの陰からとびだして、躊躇うことなく表へ出た。

 それを見届けたノクスは、自分の用事は済んだとばかりに、この場所を離れようと動いた瞬間。薄暗い森には似つかわしくない、明るい声がノクスを呼び止めた。


「ノクス様ー! こちらは畑ですかー?」


 アリアが立ち止まっているのは、井戸の裏手、数歩先。その向こうに、雑草に紛れるようにして、小さな畑が見える。

 王宮の菜園とは違い、畑と呼ぶにはあまりにも無造作な土の一角だった。畝らしきものはあるが、草なのか野菜なのか、アリアにはすぐには見分けがつかない。

 畑らしい場所にアリアが入っていく。

 野菜らしきものが植わっており、収穫されたのであろう、時折抜かれた跡があった。

 そしてこの畑の周りや畝の隙間に、雑草のようにハーブが自生していた。


「畑ですわね」


 畑の中でアリアはノクスに向かって明るい声を向けた。

 その声は新しい発見に、心底楽しそうな声だった。 


「ハーブもあります! これは見たことがあります!」


 王宮の菜園で見かけたことのあるハーブが何種類か、ワイルドに自生している。

 そこで何か思いついたのであろう、アリアの顔が更に楽し気に笑い、そのままの笑顔をノクスに向ける。


「クッキーは作れませんが、ハーブティーを一緒に飲みませんか?」


 とても良いことを思いついた。と、自信満々の顔だ。

 嫌とは言わせない。そんな雰囲気もある。

 言い終わらないうちにアリアは、自分の足元のハーブ数種類、これでもかと摘みだす。

 その姿を見止めたノクスは、何も言わずに厨房に入っていった。

 まるでそれが了承の返事であるかのように。


 古い型の厨房。

 竈は少し前に使った形跡がある。

 ハーブを抱えたアリアがノクスに続いて入ってきた。

 竈周りを近くで観察する。


 調味料らしきものは塩しかない。

 そして先ほど畑でみた野菜。

 何かに気が付いた。

 森にきて最初に飲ませてもらった、味の薄いスープ。

 労わるためのやさしさではなく、ここで作れる精一杯の味だということに。

 それでも、あの薄い味のスープは、アリアにとって特別な一杯だった。

 そして竈と調理台は埃が被っていない。

 ここで彼が支度をしてくれたことが伺える。

 今、自分の隣にいる長身の何も興味を示さない男が、野菜を準備し、湯を沸かし、スープを作るところまで、アリアの頭の中では容易に想像できてしまった。

 気がつけば口元が緩んでいた。

 慌てて口元に力を入れて、アリアはノクスを見上げる。


「さぁ、日頃のお礼にハーブティーを淹れてさしあげますわ! ティーポットやカップはございますか?」


 綺麗な調理台の上に、摘みたてのハーブの束を置きながら。

 ノクスは何も言わないが、たくさんある棚のうちのひとつを指さすと、もう一度ポーチへと出て行った。

 ノクスが指さした戸棚を開けると、そこには今ではアンティークとして価値がありそうなティーセットがずらりと並んでいた。

 純銀のトレイに、揃いのミルクジャグとシュガーポット。

 ハンドルがラタン編みになった、周りを純銀細工で覆った凝った造りの磁器のティーポット。

 カップにも同じ銀細工が施されている。

 並んだティーセットの中から、穏やかな黄色の一式を迷わずに選んだ。

 戸棚の中にあったので、埃も被らず綺麗な状態だ。軽く水ですすげばすぐに使える。


「持てません」


 トレーごと持ち上げようとしたが、わずかに浮いただけだった。

 このままでは落としてしまう。

 アリアはおとなしく手を放し、振り返った。

 ちょうど大きめの水差しを片手に、厨房に戻ってきたノクスと目が合った。

 アリアが何を言いたいのか分かったのか、水差しを置くと彼女の背後から、何てことなくトレーを持ち上げて運んでやる。


「やはり、力持ちですわね」


 昨日の水を運ぶ姿を重ねて、まじまじと呟く。

 水、ハーブ、ティーポットセットが揃った。

 竈には種火は残っていたので、火箸で炭を追加する。


「ーーーーっ待て!」


 何か危険を察知したノクスが声を上げたが、遅かった。

 竈に向かって火を起こそうと、アリアが大きく息を吹きかけた。

 あっというまに灰が舞い、灰色の世界が出来上がる。


「驚きましたわね!」


 頭から灰を被り屈託なく笑うアリアに、ノクスは何も言い返せなくなる。

 湯を沸かすのだけ手伝ったら、ノクスはテーブルについた。

 湯を沸かしてもらえれば、先ほどまでの不器用はどこへいったのか、慣れた手つきでお茶を淹れ始める。

 ひとつひとつ丁寧に、その指先ひとつまで美しく。

 ただ野生のハーブをどれだけ使えばいいのか分からずに、多ければ多いだろうと、ティーポットには山盛りの数種類のハーブが入れられていた。


「いつもありがとうございます。さぁ、お召し上がりになって」


 優雅な手つきで、ティーカップをノクスの前に置いた。

 深い緑の液体が揺らいでいた。

 なんとも言えない色合いだったが、何も言わずノクスはカップに口をつけて一口飲む。

 それを見てアリアも向かいの席につき、ひとくち飲む。


「――――ッ! ゴホッ」


 あまりの味に、むせそうになった。

 慌ててカップをソーサーにもどし、淑女がそうするように口元に手を覆った。


「ああああ! ノクス様! 飲まないでくださいまし! 恐ろしい味がします!」


 涼しい顔をして飲むノクスに、テーブルに身を乗り出して両手をあわあわとふり回す。

 そこに淑女の欠片もなかった。

 カップを静かに置くとノクスは立ち上がり食堂を後にした。

 彼は何も言わなかったが、カップは空になっていた。


アリアの日記 3日目


今日、ようやくわたくしの名前をノクス様にお伝えすることができました。


アリアと呼んで頂くようにお願いしたのですが、まだそうお呼び頂けていません。

ノクス様は照れ屋さんなので、そのうち呼んでくださると信じています。

昨日はバスルームをみつけましたが、今日は厨房と畑を見つけました。

少しですけどお野菜もありました。

きっと最初に頂いたスープは、この野菜だったのです。


いつも優しくしてくださるノクス様にお礼にクッキーなどお作りしようと思ったのですが、

畑にハーブがあるのを見つけましたので、ハーブティーをいれてさしあげました。


いつも通り、上手にいれたはずなのに、恐ろしい味がしましたの。

わたくしは全部飲み切ることはできませんでした。

それなのにノクス様のカップは空っぽになっていました。

やはりとてもお優しい方です。

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