第5話 虫の知らせって言いますが虫って喋りませんよね?
エリンとヴァンの前には鋸の刃のような尾を持つトンボに似た虫が複数匹羽ばたいている。数えられる数ではあるが、一匹一匹のサイズが幼虫よりも一回り大きく、大群でもないのに空を埋め尽くさんばかりだ。
「この数、異常だな。魔王が一軍を寄越すレベルだ。どこかで天変地異でも起きたか?」
「少々面倒ですね」
一撃で消し飛ばせれば楽だったのだが、せっかく直した大地に影響が出ないようにかつ派手な爆発などの高範囲高火力の攻撃は避ける必要がある。複数相手とはいえ加減は必須だ。
「ルグ、赤で行きます」
「了解。プライマリー・レッド アクティベート」
エリンの指示に従い、ルグが力を調整する。選択したカラーは赤。狙いは単体への超火力による確実な各個撃破である。
緑色に変化していた杖の先端の石は赤に染まり、エリンの瞳の色も赤が強くなる。変化はそれだけでは終わらない。
「プロミネンスエッジ!」
エリンの言葉に呼応し、杖の先端の石から槍の穂先のような赤い刃が飛び出す。一目見ただけでそれが凄まじい熱を帯びていることがわかる。
「面白れぇ! 晩飯前の軽い運動といこうか!」
エリンに触発され、ヴァンは背負っていた斧を両手に取った。ヴァンの大きな背中でも隠し切れないほどの巨大な戦斧が二振り。武器を手にしたヴァンの体を覆うように景色が揺らめく。
「手伝ってくださるのですか?」
「アンタの戦いぶりを見てから体が疼いて敵わん。どう発散するか考えていたところに、これだ。感謝して丁重なおもてなしをしなくちゃ失礼ってもんだろ?」
「そうですね。では、共に参りましょう」
両者は同時に不敵な笑みを浮かべ、自身の得物を手に並び立つ。二人を前に警戒しているのか、大刃蜉蝣の成虫たちは囲いを作るように周囲を飛び回るのみで攻めの姿勢を見せない。
膠着状態を打ち破ったのはヴァンだった。
「目障りだ!」
ヴァンは両手の斧を体の前で交錯するように振り下ろす。クロスした斧はヴァンの前に焔の軌跡を残し、X字の炎が空を覆う大刃蜉蝣へと飛んでいく。空を進むごとにX字の炎はどんどんと大きくなっていく。危険を察知した大刃蜉蝣が回避しようと懸命に羽ばたくが躱し切れず、二匹の大刃蜉蝣に炎が直撃して空にX字の巨大な爆炎を刻む。
「洒落た花火だろ?」
「わぁ、今ので五匹は逝きましたね。負けてられません。行きますよ、ルグ」
「任せたまえ」
ルグが箒を生み出し、エリンはそれに跨り空へと上がる。その上昇速度は大刃蜉蝣の飛行速度を遥かに上回る。槍と化した杖を手に箒で空を駆けるエリンは騎兵のようだ。
「やあ!」
エリンの急接近を捉えきれていない大刃蜉蝣の腹に杖が突き刺さる。空気を焦がすような熱を秘めた刃に突き溶かされ、大刃蜉蝣の体は一瞬で両断された。
エリンは留まることなく次の得物へと駆けていく。紅蓮の彗星となったエリンは空に赤い線を引きながら、大刃蜉蝣の群れを食い破る。
エリンに負けじとヴァンも炎を飛ばし、空に戦果を刻みつけていく。
魔法を得手とする軍隊が差し向けられてもおかしくない規模の敵を相手に、二人は余裕の表情を崩すことなく殲滅していく。
「これで最後!」
そして、残された一匹がエリンの手によって頭から尾まで真っ二つに焼き切られた。戦闘を終結させたエリンは、ウイニングランをするように空中を旋回しながら降下し、ヴァンの目の前に降り立った。
ヴァンは何も言わず満足げにほくそ笑み、右手の斧をエリンに向けて掲げた。エリンも言葉を発することなく、楽な仕事だったと語るように微笑みながら肩を竦ませ、ヴァンの持っている斧へと杖を軽く当てた。
過酷な戦場を渡り歩いた経験を持つ二人にとって、この程度の戦勝に大袈裟なハイファイブは不要だった。
後片づけを済ませてハイターへと依頼完了報告に行ったエリンとヴァンは、補修された土地を見たハイターに腰が壊れる心配をしてしまうほどに頭を下げて感謝を告げられた。ハイターに涙を流しながら両手を握られた時のエリンは、気恥ずかしさと拒否反応を抑えるので必死だった。
ハイターから幾分か色をつけて報酬の金銭を受け取った二人は町への帰路に着いた。
「まさか俺まで金を貰えるとは。今日はコイツで乾杯しよう」
「……」
「どうかしたのか?」
話しかけているのにぼうっと地面を見ているエリンにヴァンが問いかけた。
エリンはハイターに報告してからこのかた上の空といった様子で、今ヴァンからされた問いに対しても数秒の間をおいてから返答した。
「……不思議に思えてしまって。戦って感謝されたのは初めてだったもので」
「初めて? 勝てば仲間と喜びを分かち合ったり、誰かしらに感謝されたりするだろ?」
「いえ。わたくしはいつも独りで戦っていたので、誰かと喜びを共有することはありませんでしたし、相手を屠るための戦いに感謝するような身内はいませんでした」
「常に独りか……」
この辺りが似たように戦場を駆けてきたエリンとヴァンの違いだ。ヴァンは元傭兵だと語っていた。それはつまり、一時的にではあれど所属する或いは味方する側の組織があったということ。
それに対し、エリンは常に孤独だった。仲間と呼べるのはルグだけ。戦いでの勝利とは常に自分自身だけのものでしかなく、そういった勝利の後には虚しさだけが積もっていった。
そういった経験ゆえに、戦いで成し遂げたことに対して喜ばれたり、感謝されたりすることが不思議に感じられたのだ。
「人に感謝されるのは不快か?」
「いえ。慣れないことでむず痒くはありますが、不快とは違います。これはむしろ……」
「なんだ?」
「達成感?とでも言うのでしょうか。心が温かくなるような、得も言われぬ心地良さがあります。なぜだか少し惚けてしまいますね」
自分の裡に湧き出した感情を咀嚼し切れていないエリンは、胸の内の言葉を手繰るように一つ一つ言葉を選びながら話した。
人を助けて感謝される。そんなことが当たり前に行われている。世界は少しだけ、変わったのかもしれない。
エリンの言葉にヴァンは特別強い反応は示さない。一言一句を噛み締め、心に沁み込ませるように聞いていたヴァンは、話が終わると一度大きく頷いた。
「そうか。なら、戦場で肩を並べたヤツと飲む勝利の酒ってのも味わってみたくはないか?」
「ええ、ええ! そうですね! とっても楽しみに思えてきました。早く町に戻りましょう!」
「ああ。そんなに急ぐな。転ぶぞ」
「問題ない。転倒であれば私が防げる。心配は無用だ」
「そうかい」
ヴァンが最初にしていた提案を今度は聞き逃さずに快諾したエリンは、行きと同じように、いや、それよりも確かな足取りでヴァンの前を歩いたのだった。




