第3話 力自慢はだいたい力不足
重厚そうな防具を身に纏う大柄な男が声を掛けてきた。仲間とテーブルを囲って座っているため正確にはわからないが、身長は二メートルを優に超えるだろう。
エリンのウエストよりも太そうな腕と丸太のような脚、額から伸びる一本の四角錘形の鋭い角。茶色からやや赤みがかった赤褐色の肌。
鬼人種。大気中から取り込んだ魔力を高効率でパワーに変換し、近接戦闘と火を使った魔法を得意とする種族。
鍛え抜かれた身体に残る無数の消えない傷痕。紛れもない歴戦の証。相当の手練れとエリンは見定めた。
戦闘に特化した彼らがこういった場所にいることに不思議はない。だが、エリンにとっては警戒の対象だ。
バレたかもしれない。エリンの頭に一抹の不安が過る。エリンは男の方を見ないようにしながら再び歩き出す。
「待てって。オイ」
「任せて下さい。止まれよ姉ちゃん」
鬼人種の取り巻きと思しき男がエリンを止めようと肩を掴みに手を伸ばした。
「!」
エリンはその手を腕で軽く跳ね除けた。下から上へ。ただそれだけのこと。それだけのことで、男の前腕は半ばからあらぬ方向にひん曲がっていた。
「あ、うあああぁぁぁぁああああ‼‼⁉⁉」
「えぇ⁉ 今のくらいで折れてしまうのですか⁉ さきほどの方は全然平気だったのに⁉」
「彼は逸材だった。キミの絶妙な力加減には惚れ惚れする」
強烈な痛みに絶叫を上げ悶える男を見下ろしながらオロオロするエリンに、ルグは冷静に皮肉を残す。
蹲っている男の前でどうすればいいのかわからずに手を伸ばしては引っ込めて、辺りをキョロキョロ見回して動揺を隠せないでいるエリンの前に鬼人種の男が立っていた。
「ご、ごめんなさい! 軽く払うつもりだったのですが、まさか折れてしまうとは思わなくて!」
「それは、そいつが弱すぎて話にならないって言いたい訳か?」
「い、いえいえ、そんな意図は全くないです!」
「こっちに来な。お前らはアイツの手当てをしてやれ」
鬼人種の男は他の仲間に腕の折れた男のことを任せて椅子に座り、エリンに対しテーブルを挟んで向かい側に座るように指差してきた。
これが町中でなく、殺しに来た相手であれば問答無用で消し炭にしているところだが、今回に関しては自分に非があり、あまりにも状況が良くないことを理解しているエリンは大人しく従い席についた。
エリンが座ったのを確認すると、鬼人種の男は僅かに身を乗り出しながらテーブルの上に右肘をつけ、エリンに向けて右手を差し出した。エリンは意味が理解できずに眉根を寄せる。
この状況で仲良く握手のはずがない。それにこんな形は初めて見た。これはいったい……?
鬼人種の男の意図するところが理解できず、頭に疑問符を浮かべているエリンを見かねたのか、鬼人種の男の方から説明してきた。
「腕相撲だ。手を組んで押し合うんだよ。コイツで俺と勝負しろ。勝ったら仲間への暴力は目を瞑ってやる」
「はい? 腕相撲で、ですか?」
「そうだ。さっさと出しな。それとも左がいいか?」
右でも左でも構わないが、何も状況が呑み込めないエリンはただただ困惑する。だが、鬼人種の男は腕を退く素振りを見せず、エリンが腕を差し出すのを待っている。
鋭い眼光を放つその眼は真剣そのものだ。意味は分からないが、この男は本気で自分と勝負したがっていると理解したエリンは右腕を出してテーブルに肘をつき、男の右手を握った。
特定の相手を除き男性に触れることに抵抗があるエリンだが、今回ばかりは自分の責任と自身に言い聞かせた。
握り合った手は大人と子供以上の差を感じる。体躯と腕の太さも含め、見た目上エリンの勝ち目はなさそうだが、当人たちの間で流れるヒリつくような空気はその結果を否定しているようだった。
エリンが手を握ったのを確認した鬼人種の男が仲間の方へとチラリと視線を向ける。
「カウントを取らせて頂きます。3……2……1……ファイト!」
「ヌン‼」
鬼人種の男の腕が膨れ上がり、巨大なミミズのような太い血管が首筋から腕まで巻き付くように浮かび上がる。
対するエリンは不動。その表情に力みは見られず、一切の変化が見られない。だが、それはあくまで見た目上の話。その実、膨大で濃密な魔力が腕に集まっており、エリンは多くの力を注ぎ込んでいる。
開始した瞬間は均衡していると思われた両者の押し合いは、次第にエリン優勢に傾いていく。
「ヌゥ‼」
歯を食いしばり押し返そうとする鬼人種の男の口から裂帛の気合が漏れ出るが、それでもエリンの優位は崩れない。
「それ!」
鬼人種の男と比べて可愛らしすぎる声と共に込められた渾身の魔力によって、エリンの腕は凄まじい膂力を発揮し、テーブルに鬼人種の男の手の甲を強かに叩きつけた。
割れないよう魔力で強化していたテーブルが衝撃に耐えきれずに砕ける。
勝敗は決した。エリンは手を離し、中腰の姿勢から立ち上がった。未だ鬼人種の男は負けた姿勢のまま硬直している。
「あの、これでわたくしの勝ちで、許して頂くということでよろしいのですよね……?」
困惑気味に問いかけるエリンの声に固まっていた男の口角が上がった。
「クククッ、アハハハハハハァ‼‼」
そして、弾けるように哄笑を飛ばした。理解のできないことの連続でエリンは呆然としてしまう。
「どうやら打ち所が悪かったようだ」
「手の打ち所とは⁉」
「フフフッ。見事だ、嬢ちゃん。俺の完敗だ。身のこなしから只者じゃないとは思っていたが、得意で勝負してこの負け方じゃ言い訳も出来ん。気に入ったぜ」
「は、はぁ、それはありがとうございます?」
負けたのに何故か嬉しそうに笑い、気に入ったとまで言い始めた男への理解をエリンは放棄した。世の中には解き明かせないことが沢山ある。この男もその一つなのだと。
「俺の名はヴァン。はぐれで元は傭兵をやっていた。アンタは?」
「わたくしは————ルミネア、です」
咄嗟に今は亡き母の名を出した。一時期この名前を名乗っていることもあったが、あれから大分時間が経っているので大丈夫であろうと、エリンは判断した。
「そうか。ルミネアか。さっき聞こえた男の声の主は?」
「あ、それは」
「私は彼女の魔道具だ」
エリンがどう説明しようかと考えた時、ルグが自ら話し出した。
「うお⁉ どっから声がしてんだ⁉」
「ローブだ。喋る魔道具は物珍しいだろうが、ただ喋るだけだ。気にすることはない」
「気にするなって言われてもな。まあ、いいか。よろしく。それで、アンタらはどんな依頼を受けたんだ?」
ヴァンに問われたルミネアは依頼書を見せる。
「なるほど。よし、俺も同行しよう」
「え」
「邪魔するつもりはない。報酬もいらん。ただもう少しアンタを観察したいだけだ。ダメか?」
「うーん。良いです、よ?」
駄目です、と即座に断れれば良かったのだが、先程のことで負い目もあり、一度くらい応えてあげても良いか、と思わされてしまった。きっとそれは、このヴァンという男の豪快な気質もあってのものだろう。
「よし! 決まりだ。お前らは好きに依頼受けて頑張れ。俺はこっちについて行く」
「わかりました! お気をつけて!」
「おう」
手下の男たちに見送られ、ヴァンに押されるようにエリンは店を後にした。




