第29話 真・幻想魔境Ⅰ ②
エリンは理解が追いつかないまま、想像を絶する幻想魔境に取り込まれた。この世界の標的は従属しない者。あの声に頭を垂れず、抗った者たちを亡き者にしようと世界が襲い来る。
折り重なる六つの幻想魔境。
大地から炎を纏う槍や鉄杭が足元からせり上がって来る。杖で叩き落としながら飛びすさって体勢を整えようとするが、攻撃の速度がヴァン個人で使っていた時の比ではなく、回避に専念するしかない。
それに加えて全てを溶解させる光が届き、肌を焼かれながら防御と照射範囲からの離脱を実行する。一度は受け自分でも扱った幻想魔境であるにも関わらず、力を殺しきれない。
続いて空間ごと凍てつかせると思わせるほどの冷気が、変幻自在に形を変える質量を持った影の群れが、目にも止まらぬ速さで身を焼き自由を奪う雷が、万象を焼き尽し生命を許さない熱波と炎柱が、次々と襲い掛かって来る。
魔法や幻想魔境だけではなく、この地に召喚されたあらゆる生物がエリンたちの命を狙い迫って来る。
回避と防御に全霊をかけてようやく致命傷を免れている。一瞬でも気を抜けば、一秒後の生存すら危うい。
「プライマリー・グリーン アクティベート!」
「!」
指示を出す余裕すらないエリンの代わりにルグが最適な解を導き出して力を切り替える。
敵の魔法やこの場に流れる魔力を吸収し、傷の回復や魔力の補填に当てる算段だった。
だが————。
(空間の魔力が制御できない……!)
プライマリー・グリーンのエネルギー制御力をもってしても魔力を集めることが出来ず、敵の魔法を分解吸収することも叶わない。
エリンよりも上位の強大な力の下に魔法や魔力が行使されている。
その力の源を討とうにも、大気中で渦を巻くように魔力を操り幻想魔境を展開している力の根源はこの大地そのものだ。除去できるはずがない。
であれば、残された手段は一つだ。
「プライマリー・ブラックアウト!」
「! 了解した!」
この世界が幻想魔境だと言うのなら、『幻想射影』で写し取り同調できるはず。しかし、これほど複雑怪奇な世界を写し取るには相当な時間を要するだろう。それまでエリンは魔法を使えない。攻撃も防御も純粋な魔力制御で対処するしかない。エリンは一か八かの賭けに出た。
「幻想魔境を使う。援護を頼む」
これほどの窮地においてもヴィクターは変わることなく落ち着き払った声を出し、すぐさま詠唱が始められた。エリンは援護に向かおうとするも手を貸している余裕はない。
それでもどうにか出来ないかとヴィクターに視線を送った時、ヴィクターの背後の地面から槍が飛び出すのが見えた。
「よけ」
気づいた時には手遅れだった。ヴィクターは気づいておらず、エリンの手は届かない。間に合わない、そう思った時、ヴィクターの背後を無数の赤い刃が走り抜け、槍を粉々に砕いた。
「さっさと終わらせろ!」
ヴィクターの窮地を救ったのはヴィクトリアだった。彼女はそのままヴィクターの背を守るように背中合わせに並んだ。
ヴィクトリアの体は傷ついていないところを探すのが難しいほどに痛めつけられており、見るからに満身創痍といった状態だった。
エリンよりも消耗していたことと、ヴィクターの盾になるために身を削ったためだろう。だが、流石は『勝者』と呼ばれる女傑。どれだけ追い込まれようと、その瞳のなかで輝く光が絶えることはない。
そして、ヴィクトリアの必死の献身は実を結んだ。
「幻想魔境・一刀十輪千刃万来」
ヴィクターの詠唱が完了し、幻想魔境が生み出される。
この戦いが始まって以来初の『勝者』による幻想魔境が、世界を塗り替える……はずだった。
「なに?」
ヴィクターの魔力は確かに消費された。幻想魔境を使用した分の消費で間違いない。だというのに、世界には何も影響を及ぼさなかった。
幻想魔境が生み出されると同時に圧殺されたならばまだわかる。だが、何も起きなかったのだ。
「この世界に否定された?」
まるで世界のルールが書き換えられたようだった。初めから幻想魔境などという法外な術は使えないと言わんばかりだ。
そもそも六つの幻想魔境が共存している時点で、これまでの常識は通らなかったのだ。
「ガフッ」
何かを噴き出す音が聞こえた。音のした方に目を向ける。エリンの視線の先に、腕と脚を溶かされ腹を槍に貫かれた『勝者』たちの姿があった。
「‼」
何が起こったのかなど考えるまでもない。乾坤一擲の幻想魔境が不発で終わり、無駄に魔力を消耗したヴィクターは以降の攻撃を防ぐことが出来ず、庇おうとしたヴィクトリアも力を残してはいなかったのだ。
次々に地面から生えてくる槍に体を貫かれた二人は炎に包まれたまま動かなくなった。
死の縁にあっても『勝者』たちに悲鳴はなかった。気高きレインブラッドの伝説は、自らが育て上げた子の槍により幕を下ろした。
「ふざけるな!」
こんな幕引きをヴァンが望んでいたはずがない。真っ向勝負で二人を打ち倒すことを夢見た男が、誰ともしれない者に勝手に技を使われ親を殺されて納得するはずがないのだ。
「この!」
「エリン!」
守りの体勢から攻めに転じようとしたその時、灼熱の光が腹部を通り抜け、巨大な風穴が穿たれた。体に空いた穴に無意識に手を伸ばそうとしたその腕を、槍によって切り落とされた。
逆上し、冷静さを欠いてしまった。血の気が引くと同時に冷静さを取り戻した脳が自身の失策を明らかにしてくる。
そのまま後悔を始めるよりも早く、エリンの心臓は槍に貫かれた。
胸や腹から命が零れ落ちていく。手から杖が離れ、頭から三角帽子となっていたルグが熱波に飛ばされて地面に舞い落ちた。
急速に意識が沈んでいき、暗い影に呑まれるように感じる。いや、それは実際に目の前で起きていた。死へと転がり落ちていくエリンの頭上には影の巨人の足があった。
自分は今からあれに踏みつぶされて一生を終えるのだと察せられた。影の巨人の足が迫る中、走馬灯が脳を過る。幾つもの景色が過ぎ去っていく中で最後に思うことは一つだった。
ルークと会いたい。
ささやかな願望を胸に閉じ込め、瞳を閉じて自身の終わりを受け入れるエリン。
その命の最期の瞬間が訪れる直前、誰かの声を聞いた。
「コード・アンリーシュ」
静かだけれど力強く温かみのある響きだった。
そして、世界は黄金に包まれた。
「エリン」
耳元で優しく囁かれる。聞き覚えのある声に呼びかけられて反射的に目を開くと、そこには死の間際に求めた者の顔がすぐそばにあった。
「ルーク! これは夢? いえ、わたくしは死んでしまったのですね。死後も貴方に抱きかかえられるなんて、こんなことならもっと早く死んでおくべきでした」
エリンは今、最愛の男性に抱きかかえられていた。
お姫様抱っこの姿勢にあることが堪らなく嬉しくなり、エリンはルークの首に腕を回し、強く抱きつきながら頬ずりをした。
「喜んでくれるのは嬉しいけど、まだキミは死んでいないよ。ほら、下を見てごらん」
「下?」
ルークに言われるままに下を向くと、そこには先程まで居た戦場が見えた。複数の世界が混ざり合った、混沌そのものと言うべき場を見下ろしている。
その視点にエリンは自身の生存を理解すると同時に違和感を覚えた。戦場を見下ろしているのならこの場所はいったい、そうしてようやく自分が立っている場所を認識した。
そこは城の上空だった。巨大という言葉では足らない、全高三百メートルを超える超巨大な黄金の城。その頂点を止まり木のようにして居座る城と同等かそれ以上に巨大な黄金の龍の頭部にエリンはいた。
「幻想射影がギリギリで間に合ったんだ。あの幻想魔境は主とその配下の空想や理想を具現化するものだった。キミはこの世界のもう一人の主となり、ボクを招き寄せたんだ。そして、この龍と城こそがボクの理想だ」
エリンは一か八かの賭けに勝利した。魔法と幻想魔境を規定する大元そのものを写し取ってみせたのだ。エリンの新たなる偉業、『魔法使い』の面目躍如を果たした。
「どうして龍と城なのですか?」
「龍はボクの心が求める形の一つ、そして城はお姫様と暮らすための場所さ。わかるだろ?」
そう言ってルークはエリンを抱きしめた。その感覚に酔いしれそうになった時、エリンは思わずルークの体を押した。
「わたくし、怪我をしていて血で服が汚れ、あら?」
胸や腹を見るとあったはずの穴が消えている。思えば切れたはずの腕も治っている。戦闘でボロボロになった服までもが何事もなかったように元通りになっていた。
「傷なら治したよ。大気中の魔力の制御権もある程度奪えたから簡単だった。お仲間の二人も無事だ。城の中で眠っているよ」
「……本当に貴方という人は。どんなに苦しい状況でもどうにかしてしまう。これ以上わたくしを魅了しないでください。頭がどうにかなりそうです」
「可愛いことを言ってくれるね。でも、まだ問題は解決してないよ。さあ、エリン。あの醜く歪んだ世界をボクとキミとで正そうじゃないか」
エリンは頷き、ルークに寄り掛かったまま龍の頭の上に立つ。
二人が睨むは数多の幻想魔境を収める真の異界。
二人が紡ぎ上げた世界と、幻想絡み合う異界との最終決戦の幕が切って落とされた。




