第21話 常勝無敗を抱きて走れ ②
エリンはトリトンを俵のように肩に担ぎながら箒を飛ばした。向かう先はトリトンの父が命を散らしたという、里の近くにある山の奥地。
木々が生い茂る山の斜面を登る間に霧がかかり始め、進むごとに濃くなっていく。
「この霧は魔力を帯びていますね。ドラゴン由来でしょうか?」
「この山にドラゴンが住み着いてから霧が出るようになったんだ。それまでは狩りが出来て山菜も獲れる良いところだったのに、この霧が出てからは山に入りづらくなるし、獣や草木も元気がないんだ」
トリトンの父はその問題を解消するためにドラゴンに挑み散ったのか。里のことを思っての英雄的行いだが、相手がドラゴンでは厳しいものがある。
「本当に今のオレで勝てるの?」
「戦いは既に始まっていますよ。勝つことを目標とし、どう立ち回るか。言ったでしょう、後退は敗北を意味しないと。己を知り、敵を知る。今日はそのための時間とします」
「わかった。でも、急がないとダメなんだ。今はまだ平気だけど、川まで汚されたら里は大変なことになる」
レインブラッドの里には川が流れており、その川は今エリンたちがいる山から流れている。トリトンの言う通り、ドラゴンを野放しにしていたらいずれ川まで汚染されてもおかしくない。
「里の方々はどうお考えなのですか?」
「川が駄目になったら里の場所を変えるって。なんだよ、それ。なんで父さん以外に誰も戦おうとしないんだよ。千年以上住んで来た勝者の地を捨ててどこに行くって言うんだ!」
「トリトンは、レインブラッドの里が、『勝者』たちを育んだこの地のことが好きなんですね」
「そんなの当たり前だ。『勝者』は里の誇りで目標なんだ。みんな憧れているのに、そんなの忘れたみたいに逃げることしか考えてなくて恥ずかしくないのかよ」
トリトンの口から今の里の在り方に対して文句が次々と出てくる。
里の人々は既に諦めている。これは予想だが、トリトンの父は力のある戦士だったのではないか。今の里を代表する男が挑んでも敗北したから、彼らは退くという選択をしたとエリンは考える。
里を動かしての撤退は生き残るための最善手だが、同時に『勝者』たちが育んだ誇りと憧れを捨てることになる。
事態は当初の想定よりも急を要する。時は無慈悲に流れ、トリトンが成長するまで待ってはくれない。
個人の復讐。里の危機。矜持と憧憬。様々な想いを抱えてトリトンは一人で動いている。そんな少年に自分は何を残せるかエリンは熟考する。その答えが出るよりも早く、事態は動いた。
一層濃くなった霧の中、視界の端で何かが動いた気がした。それにエリンよりも早くトリトンが反応した。
「右!」
「見えました!」
濃霧に紛れたドラゴンは、箒で空を翔るエリンの横合いから突撃してきた。エリンは急降下することでドラゴンを躱し、灰塵を生み出しながら地面に降り立った。
降り立った地は標高が高い場所であり、それまであった木々は数を減らしていた。荒れた岩肌と草木の枯れた地面の上で、エリンとトリトンは霧に潜む敵と対峙した。
「見えていますね?」
「見えるよ。でも、どう戦えばいいんだ」
「ルグ、お願いします」
「了解。武器を授けよう」
ルグはエリンの魔力を使用して一振りの短槍を生み出した。トリトンでも取り回しがしやすい長さと重さで、濃密な魔力を纏うそれはドラゴンを討つに相応しい力を有していた。
件の敵は濃霧に姿を隠しているが、エリンは目ではなく空から降らせている灰塵を触覚代わりに使い、敵の位置やサイズを把握していた。
全長は二十メートルに迫るだろう。ドラゴンとしては小型の部類だ。色はわからないが二本の角と大きな翼を持っている。長い首で四つ足の龍。ワイバーンとは一線を画す、幻想の頂き。
攻撃を躱されたドラゴンは空を飛びながらエリンたちの様子を窺っているようだ。
「この槍を使いこなせれば倒せる可能性はあります」
「……ありがとう。やるよ」
トリトンは手渡された槍を手にエリンの前へ歩み出た。トリトンの目は空を飛ぶドラゴンをしっかりと追っている。
「手は貸さないのでは?」
「復讐を誓ったわたくしにはルグがいました。彼には何もありません。その差を埋めただけです。あとは彼次第です」
進み出たトリトンを見たドラゴンが地上への降下を開始し、音もなくトリトンに迫る。トリトンは回避のために左へ跳んだ。
「え⁉」
驚きに声を上げたのは横へ跳んだトリトン自身。自分が想定したよりも遠くへ速く動けたことにトリトンは驚き、たたらを踏んだ。
「槍に籠っている魔力は貴方の力になる。しっかり制御してください」
「そんなこと言われても、この!」
トリトンは文句を垂れそうになる口を塞ぎ、ドラゴンの動きの観察と自分の動きを制御することに意識を傾けた。
「力を与えすぎたか」
「良い塩梅だと思いますけど、お互いに口で言うほど厳しくなれませんね」
「困った性分だ」
二人が呑気に話している間にもトリトンは自分の力を覚え始め、ドラゴンの牙や爪、尻尾などの大地を抉り取る攻撃を躱している。
だが、反撃は出来ていない。当然のことだがトリトンはまだ素人だ。間合いの測り方が上手くなく、大きく避けてしまうせいで攻撃に転じる猶予がない。
「まだ逃げていますね、そんなものですか!」
「やってやる!」
エリンに発破をかけられたトリトンはそれまでの逃げ一辺倒の姿勢から打って変わり、槍を構えて攻めの体勢を取る。
小さな身体で素早く動き回るトリトンに苛立ちを覚えたのか、地上に降りたドラゴンが咆哮を上げると四つん這いの姿勢になり、トリトンに猛然と突き進んだ。
「やぁ‼」
自身を弾き、或いは引き潰すドラゴンの突進に対し、トリトンは勇猛果敢に踏み込んでいった。
大きく顎を開き鋭い牙を見せたドラゴンの噛みつきを、トリトンは上に跳んで回避しながらすれ違いざまにドラゴンの背中に槍を突き立てた。
突き刺さった槍はドラゴンの硬い鱗を貫くとドラゴンの突進の勢いを利用して体を縦に長く切り裂いていき、ドラゴンの背に一文字の深い傷を刻みつける。
ドラゴンの背から弾けた鱗と血肉が辺りに飛び散る。トリトンは全身を返り血で赤黒く染めながら地面を転がり、すぐに立ち上がって槍を再び構えた。
今のトリトンに怯えはない。その瞳には確かな火が灯っていた。
「良い目だ」
「戦う者の顔です。でも、まだ先があります。さあ、ここからですよ、トリトン」
エリンの視線の先で、地を這うドラゴンに切り掛かるトリトンだったが、槍の入る角度が浅かったのか鱗に弾かれてしまい、体の動きを変えられてしまったトリトンはドラゴンの巨体にぶつかり飛ばされてしまう。
「ゥッ」
衝撃によってトリトンの口から空気が吐き出され声にならない呻きを漏らす。空を舞い地面に叩きつけられたトリトンの額から血が流れ落ちる。
死んでいてもおかしくない衝撃にも耐え切れたのは槍の魔力で体を強化されていたからだ。それでも大怪我を負い、これまでのような俊敏な動きは出来ないだろう。
機動力だけのただの槍使いではここから逆転の目はない。だが、この大陸に住まう者には力がある。
「はあ、はあ……はあ————」
トリトンは槍を支えに立ち上がった。その目は未だ光を失っておらず、倒すべき敵へと向けられていた。呼吸を整えようと深く息を吸い、吐き出す。
トリトンが準備を済ませるのをドラゴンが待つはずもなく、追撃の姿勢を見せる。が、エリンが一睨みするとともに魔力を放つことで注意を引きつけ一瞬だけドラゴンの動きを止めた。
その一瞬があれば十分だった。トリトンの体から魔力が放たれ、別の力に変換される。
「くらえ!」
トリトンは槍を振りかぶり、渾身の力で投擲した。トリトンの手から放たれた槍は空気を引き裂きながらドラゴンへと迫っていく。
小兵が放ったとは思えない絶大な威力を秘めた一投だが、それだけではない。
空を行く槍はドラゴンに近づくごとに二本に増え、そこから四本、八本と倍々に数を増やしていく。
結果、百を超える槍がドラゴンへと殺到し、体を貫いてその命を刈り取った。
「うおおおおおお!」
体から大量の血を流して倒れ伏したドラゴンへと歩み寄ったトリトンは一本に戻った槍を引き抜き、ドラゴンの骸の上で勝鬨を上げた。
「あれがトリトンの魔法ですね」
「武器の増殖。波状攻撃。ヴァン同様、『勝者』への憧憬が反映された良い魔法だ」
槍の魔力があってこそ成し得た技であるが、それでもトリトンの将来性は確かなものだ。良い戦士になる、そうエリンは感じ取った。
「やった! やったよ! オレ、父さんの仇を討ったよ!」
ドラゴンとの戦いに勝利したトリトンが駆け寄って来る。
「ええ。よくやりましたね。トリトン」
「エリンのお陰だ! これで霧も晴れて里も……」
そこで周囲を見回したトリトンは異常に気づいた。
「霧が晴れない。ドラゴンが死んだのに、なんで⁉」
「トリトン、それは————いえ、もう貴方にも見えるでしょう」
「え? 見えるってなにが、あ」
周囲に視線を散らしていたトリトンは目にしただろう。未だ霧の中に潜む無数の巨影を。
「あ、ああ、一匹じゃない、群れだったんだ!」
「これが貴方の父が敗れ、里の皆が諦めた理由です」
エリンは灰塵を通じて更なる敵の存在を感じ取っていた。いや、それ以前にトリトンが狩ったドラゴンを一目見た時点でわかっていた。これが真の脅威ではないと。
「だめだ、逃げよう! 逃げて準備しないとオレもエリンも殺されるよ⁉」
「既に囲まれています。逃走は不可能でしょう」
「じゃあ、どうすれば!」
慌てふためき怯えるトリトン。一匹のドラゴンを討ったからこそ感じ取ってしまった絶望感。霧の向こうにいるのは先ほどよりも更に強大な敵だ。それが数えきれないほどいる。
誰もが怖気づく状況だ。エリンはこの期に及んでトリトンを責めることはしない。
「答えは一つです」
だから、示すのだ。その道を歩み始めた少年に、強者とは何たるかを。
「殲滅。ただそれだけです」
エリンが杖を手にトリトンの前に立った。秘めていた膨大な魔力が霧の向こうへと放たれ、宣戦布告が為される。
ここから先は、伝説を示すのみ————!




