第1話 はぐれ魔法使いエリン
遭難した男の来訪から数か月が経過した頃。男を帰した後にエリンは小屋に近づく者を確実に捕捉できるように対策をしていた。
周辺の山々まで雪に紛らせて灰色の塵を降り積もらせ、誰かが足を踏み入れれば感知できるようにした。
そして本日、隣の山の頂で複数人の来訪者が塵を踏んだ。魔法の塵が拾った振動がエリンの耳に届く。
「へぇ、噂通りのべっぴんさんじゃねえか」
「殺す前にちょっと遊ぼうぜ」
下卑た笑いが男たちの間で共鳴した。男たちは隣の山から小屋の中を覗き見ているようだ。なかなか良い目をしている。
「油断するな。ヤツの異名を忘れたか?」
「そんなもんただのデマだろ。『はぐれ』が一人で魔王を討つなんてあり得ねえ」
「生きる伝説なんて馬鹿馬鹿しい。魔法使いだかなんだか知らねえが、やることやってさっさと帰ろうぜ。退屈で死にそうだ」
退屈、その言葉でエリンは動き出した。人の静かな生活を邪魔しておいてよく言った。
三角帽子のルグを頭に乗せてから扉を開け外に出る。
エリンが着ているのは胸元の開いた白いロングドレスだけ。この極寒の雪山においてその出で立ちは異質だった。
「お、外に出てきたぜ」
「おい、こっち見てねえか?」
「そんなはずはない。透明化の魔法をこの距離で見破れるわけが」
その虹の瞳は真っ直ぐに男たちの方を向いていた。
エリンは口元に両手を持っていき、筒の形を作り言葉を発した。
『あ、ああ、聞こえますか賊の方々。わたくしはどこにでもいる人畜無害な一般女性です。何の面白味もありませんので、即刻立ち去ることをお勧め致します』
拡声器を使ったように何倍にも増幅されたエリンの声が男たちの耳に届く。エリンの言葉に男たちは一瞬唖然とした後、顔を突き合わせた。そこに先ほどまでの余裕はなかった。
「この距離で俺たちに気づいておいてそりゃ無理があるだろ」
「どうする。ちょっとヤバい感じがしてきたぜ。あの声をデカくしてるのもよくわからねえし、退くか?」
集団を前にしても堂々たる立ち姿で声を張るエリンの風格に男たちも察するものがあったのだろう。目に見えて警戒度が上がった。
「馬鹿言うな。殺る以外ないだろ。アイツの首級を上げなきゃ殺されるのは俺たちだ」
「そうか。そうだな。このままやっちまおう。全員、構えろ」
覚悟を決めた男たちが一斉に人差し指をエリンに向ける。その指先に光が灯り、強い光を放ちだす。
『それが答えですか。残念です』
「撃て!」
男たちの指先から一条の光線が放たれ、エリンの下へと殺到する。そのままエリンの体を貫くかと思われたその時、エリンの足元を埋める灰色の塵が壁のように巻き上がり、光線を呑み込んだ。
次の瞬間には塵の障壁は消え去り、何事もなかったように佇むエリンが現れた。
「クッ……! 怯むな! 撃ち続けろ‼」
七人の人差し指からの光線の乱れ撃ち。それら全てを灰色の障壁が呑み込んでいく。
『光魔法の一種ですね。たしか、北方の魔王とその配下が使うものでしたか。射程は大したものですが、如何せん威力が心許ないです。七人でこの密度ですと、速射性も及第点未満ですね』
光線の雨にさらされていながらエリンの余裕に満ちた声が男たちの下に届く。
『狙撃するのであれば、この程度の威力は欲しいところです』
エリンの手には先端に大きな白い宝石がついた灰色の杖が握られていた。膨大な魔力をその杖に集束させ、男たちに向ける。
『えい』
そんな気の抜けるような軽い掛け声とともに灰色の壁を突き抜けて光の弾丸が男たちへと飛来し、一人の上半身を消し飛ばした。
「は?」
男たちは咄嗟に攻撃を止めて全魔力を防御に注いでいたが、展開していた透明な障壁を紙切れ同然に貫かれた。
『こんなことも出来ますよ?』
再びエリンの声が聞こえた時、仲間を殺し空へと向かっていた光の弾丸が翻り、男たちの方へと再び迫る。
「に、にげ」
逃げろと口にしようとした男の言葉は続かなかった。声を発するための体が消えてなくなってしまったからだ。
そこからはただの蹂躙だった。碌に逃げることも出来ないまま、一人、また一人と命を散らしていく。
そうして、最後の一人となった男が灰色の塵に足を取られながら死地から必死に逃げ出そうとした時、突然足元の塵が固まり脚を上げられなくなってしまった。
「この塵は、わたくしが魔法で創り出したものです。普段は灰と大差ないものですが、少し魔力を通せばわたくしの思うままに操れます」
エリンの声に男は上体を捻り振り向く。遠く離れた位置にいたはずのエリンは男の背後に回り込んでいた。エリンを見る男の顔は引き攣り、隠しようのない怯えが見えた。
「わ、悪かった。アンタのことはもう狙わねえ。王にも伝える。だ、だから」
「ごめんなさい。そう言った方を見逃して大軍を嗾けられたことがあるものでして、それ以来、攻めてきた相手は生かして帰さないことにしているのです。なにより」
その時、それまでは余裕の笑みを浮かべていたエリンから、一切の表情が消えた。
「わたくし自身が死の淵から舞い戻り、復讐を成した身ですから」
「ま、待て」
男の制止の声も空しく、エリンの体は灰色に変色した後、黄金の光を放ち出し、足元の灰色の塵までもが輝き出す。
「さようなら」
その言葉を最後に凄まじい衝撃が周囲の山々に轟き、至る所で山崩れや雪崩を起こした。
この日を境に、とある山の頂上が大きく窪み、まるで別物の景観に変わってしまった。
灰色の箒に腰かけたエリンは一人、遥かな空の上から崩れた山を眺めていた。
今回は良いところに目をつけたと思ったのだが、あの登山者のせいで終わってしまった。あれだけ言い含めたのに、人の口に戸は立てられないということだろう。
「今度はたったの十年で終わりですか。二百年間かけても良い場所は見つからないものですね。次はどこに行ったらいいのやら」
「正確には九年と二四八日だ。キミは目立ちすぎる。これほどの秘境でもダメとなると、匿ってくれる誰かを見つけた方が良い」
「そんな方いますかね?」
人目につかない場所を見つけるよりも遥かに難題に思える。
「探して見なくてはわからない。魔王の全てが好戦的とは限らないだろう。一度人里におりて情報を集めることを勧める」
「そうですね。ありがとうございます、ルグ」
「礼には及ばない。あらゆる状況でキミの力になるのが私の役割だ。私はキミの唯一無二にして永遠の相棒なのだから」
相棒の心強い言葉にエリンは鷹揚に頷き、箒の行く先を地上へと向け降下し始めた。
「エリン、町の位置は把握しているか?」
「……しばらく飛び回りましょうか。そのうち良い感じのところが見つかりますよ……たぶん」
「実にキミらしい返答で安心した。キミの道行を信じよう」
エリンの行き当たりばったりの旅は、こうして始まった。




