プロローグ 赤い遭難者、伝説を動かす
それは、くしゃみをして雪崩を起こした翌日のことだ。
「おはよう、エリン。今日も最高の朝だ」
「おはようございます、ルグ。ホント、良い吹雪日和ですね」
窓の外の白く吹き荒ぶ景色を心強く思いながら、エリン・マクレガーはベッドから起き上がった。
「いやぁ、昨日はやっちゃいましたね」
小さな丸太小屋の中、エリンは鏡を見ながら寝癖がついた黒髪を整える。
肩口まで伸びた髪は光を受けて艶やかに煌めいている。キメ顔を作ったエリンは満足げに頷くと鏡から離れてテーブルの方へと向かった。
「狙ってやったものと思っていた。惚れ惚れするほど鮮やかな破壊に心が震えたのだが」
テーブルに置いたつばの広い灰色の三角帽子から皮肉が飛ぶ。それを小突きながらエリンは椅子に座った。
それは魔獣を仕留めようとした時のことだった。
「あ、電電熊ですよ。晩御飯にしましょう」
そう言って大きな白い宝石の付いた杖を構えて魔法を使おうと魔力を高めた時、突然鼻の奥が痒くなり始めてしまい、そして————。
「ヘックショイ‼ あ、やば」
くしゃみをすると同時に魔法が暴発して山肌を抉る大爆発を起こしてしまい、とんでもない規模の雪崩を招いたのだった。
「わざとあんなことするもんですか。ミスですよ、ミス」
むくれながら魔法で生み出したマグカップの中に、更に魔法でお湯を生み出して飲む。
「やっぱり起き抜けはこれですね。これを飲まないと朝が始まった気がしませ……ん?」
お湯を豪快に飲み干したところで、窓の方から音がした。
音に引かれて目を向けると吹雪き続ける外の景色を閉ざすように、赤い服を着た男が窓を叩いていた。
エリンは思わず目を見開いた。ここまで近づかれたのに魔力を何も感じなかった。昨日の失態といい、どうにもここ数日は気が緩み過ぎていたらしい。
「これは、大惨事ですね。ルグも気づかなかったのですか?」
「ああ。この吹雪があるため油断した。私の失態だ」
変なところで気の合う相棒に笑みが零れる。どうやら吹雪の加護は効力を失ったらしい。
溜息を漏らしながら窓の外の男に玄関の方を指差す。男は大きく頷いて指示した方に移動し始めた。
玄関扉に鍵は付いていない。万年雪に閉ざされる山の天辺に盗みに入る輩なぞ想定していないからだ。
風で押し返される扉を力任せに開けると、男は雪に塗れながら小屋の中に雪崩れ込んで来た。
雪山を登って来たというのに、男は意外なほどに軽装備だった。真っ赤な帽子と耳当て、同色のコートを羽織っているが、防寒装備としてはそれくらいだった。
「ありがとう! 助かったよ。まさか山の天辺に小屋が建っているなんて、オレは幸運だ」
「事情は知りませんが、まあ、とりあえず温まって行ってください」
「おお、なんと礼をしたらいいのやら。親切なお嬢さん、名前を教えて貰えないか?」
「わたくしの名前はエリン・マクレガーです……あ」
マズいと思った時には手遅れだった。名前を聞いた男は眉をひそめて考え始めた。
「エリン・マクレガーって、それはたしか伝説の……。それにその虹色の瞳、まさか『黄金』の魔王殺し⁉」
今でもそう呼ばれているのか。あまり好きな呼ばれ方ではない。
三人の魔王による連合軍を壊滅させた、一瞬で魔王の城壁を消し去った、などと謳われているが、エリンにとってはどれも誇るような武勇ではなかった。
「あの、他言無用でお願いしますね?」
ひさしぶりの人間との会話で油断していた。まさかこんなミスを犯すとは。
その後、エリンは男に暖を取らせ、吹雪が収まった時を見計らい山の麓付近まで送り届けた。
男はいつか礼をしに来ると言ったが、誰にも何も言わず二度と来ないで欲しいことを伝えると、男はニカッと眩しい笑みを見せてサムズアップした。
なんだろう、妙に信用ならない。
「歩いているだけで戦いを挑まれる生活はこりごりなんですが……」
不安に思いながらエリンは山頂の小屋に戻った。
この小さな出会いが、隠居を決め込んでいたエリンを再び歴史の表舞台に弾き出すことになるとは、この時のエリンには知る由もなかった。




