第16話 破国の美姫と黄金の王子 ③
体勢を立て直したエリンとヘルディムが睨み合う。
「既に賊の理想は押し潰した。なのに、なぜ君は私の思い通りにならない?」
「自分で考えなさい!」
言いながらエリンは踏み込み、ヘルディムへ拳を振るう。その動きは並の人間であれば躱すことが不可能なほど鋭い。
だが、ヘルディムは難なくその拳を掴み、エリンを引き寄せた。
「悪くない動きだが、それでは私には届かない」
「このッ!」
エリンは全力で引き下がりながらヘルディムの腹を蹴り飛ばそうとするが、今度はその足を掴まれて高く持ち上げられ、逆さ宙吊りの状態にされてしまった。
丈の短いスカートが捲り上がり、ヘルディムの目の前で黒い下着が露になる。
「なんと煽情的な。純潔の乙女と言うわりに遊びがあるじゃないか」
「見るな変態!」
エリンの下着に見惚れていたヘルディムの顔面にエリンの逆の足が叩きつけられ、ヘルディムは鼻血を流しながらエリンの脚を離す。
床に降りたエリンは距離を取りながらスカートを直し、頬を朱に染めながら言った。
「わたくしの趣味ではありませんから!」
どれだけ頭に来ていても、名誉のために言っておかなければならなかった。
「そうか。君の想い人は良い趣味をしている。馬が合いそうだ」
「色々と違いますが、ありえません!」
否定しながらエリンは距離を取る。今のやり取りで近接格闘では勝てないとわからされた。
半ば予想していた通りではあるが、苦戦を強いられている現状にエリンは歯噛みする。
「ところで、先ほどから殴る蹴るとはしたないマネをしているが、君は魔法を使っているね?」
「何の事でしょうか?」
「誤魔化しても無駄だよ。君は今追い詰められている。誰だか知らないが援護をしてきた者の力は潰した。
この状況でそれらしい魔法を使わないのであれば、既に魔法を使っているということだ。だから、君は僕の制御下にいない。違うかい?」
図星だ。たしかにエリンは魔法を使っている。それも幻想魔境を。それでも戦況を崩せないのには、エリンの側に問題がある。
「黙っていたら肯定しているようなものだよ。どれだけいたぶれば君の魔法は解けるのかな?」
ヘルディムの言う通り、エリンが追い詰められている事実に変わりはない。
にじり寄るヘルディムから距離を取るように後退したエリンは、部屋の壁に背中をぶつけた。
「逃げ道がなくなったね。このまま力づくっていうのも悪くないか。ああ、イイね、それも楽しそうだ! やっぱり相手にするのは君のように強情な子じゃないとね!」
ヘルディムの手が再びエリンに伸びる。防ごうと振り回したエリンの腕をヘルディムは逆の手で抑え込んだ。エリンの細い首をヘルディムの手が掴む、はずだった。
「なんだい、この手は?」
エリンの首を掴んだはずのヘルディムの手は、壁を突き破って出てきた何者かの手によって、動きを止められた。そう、止められたのだ。この世界で最も美しいがゆえに最も強いはずの男の手が。
「な、コイツ、離せ!」
「ああ、離すよ」
壁を突き破って来た何者かの手はヘルディムの手首を握り潰し、腕から切り離した。
「グゥォア‼⁉」
「汚い悲鳴だ。それでも美を追求する男か?」
ヘルディムが痛みのあまり床をのたうち回る。そうしている間にエリンの背後の壁が後ろに崩れる。壁の崩壊する音が響く中、エリンの体は背後から抱きしめられた。
「エリン、遅くなってごめん」
「この、声、ルーク⁉」
決して間違えることのない男性の声に振り返るエリン。そこに、黄金が輝いていた。
光を散らす黄金の髪。右目には眼帯がされており、左目は髪と同じ黄金色。ヘルディムよりも遥かに美しい顔立ち(エリン評)。
エリンよりも頭一つ分以上高い身の丈の体に包まれて、エリンは頬を染めながら涙を流した。
「ごめんなさい、ルーク。わたくし、あんな男に汚されてしまいました……!」
「大丈夫。キミは綺麗なままだ。謝ることなんて一つもない。むしろ、謝るのはボクの方だ。必ず守るって約束したのに、キミを危険に晒した」
謝罪しながら頭を優しく撫でてくる手の感触に、エリンはそれまでの嫌な感情を洗い流され、目の端に涙を湛えたままルークの胸に顔を埋めた。
「わたくしが油断したせいです。魔王の世界に入ったのに、無警戒に歩き回ったりして」
「それはボクのせいでもあるから」
「そうなのですか?」
「いや、何でもない、忘れて」
何故かたじろぐルークを上目遣いで見つめるも、ルークはこれ以上聞かないでくれと言うように目を逸らした。
「それよりも、君はもう少し自分を高く評価して良い。世界で一番美しいのが自分と思っているくらいで良いんだよ。君はお姫様なんだから」
「そんなこと無理です。わたくしにとっての一番は貴方なのですから」
「それは嬉しい限りだけど。うーん、困った子だ」
困ったと言いながらルークは温和な笑みを浮かべながら、また優しく抱きしめてくれた。その春の日差しに包まれているような温かな感触にエリンはまた涙を流す。
「クソが、どういうことだ⁉」
二人が久方ぶりの再会に愛を交わし合っていると、痛みと怒りに顔を歪めたヘルディムが二人の空間に割って入った。
「エリンにとって、ボクは世界で一番美しいらしい。あとは地力の差だ。エリンの力を借りられるボクに君は絶対に勝てない」
「なにを、それは私の世界の法則だ。第一、そこの女が基準ではない!」
「なんだ、まだ気づいてなかったのか。君の幻想魔境は写し取られたんだよ。エリンの心にね」
「こんな男の理想なんて写したくありませんでしたけど、背に腹は代えられません。気が付かなかったのは、あなたの幻想魔境が特殊なのと、わたくしの世界が他者の世界と反発せずに同調し混ざり合う性質があるせいでしょう」
エリンの心は暗闇だ。全てを奪われた黒い世界。だが、その代わりに他者の幻想魔境を受け入れることが出来る。そうして、受け入れた幻想魔境は一時的に自分のものとして使える。
それが、エリンがルグの力を借りることなく使える唯一の魔法であり幻想魔境だ。
エリンはヘルディムの幻想魔境を受け入れ、自分のものとして使っていたが、エリンにとって自分は一番ではないためヘルディムとの力勝負に負けてしまっていた。
それもルークが来たことで全て逆転した。
「なにを言って、待て、エリン、エリンだと? まさかお前は」
その名を聞いてヘルディムは思い至った。自分が手を出した存在が何者であるかを。
ヘルディムが理解すると同時にエリンの瞳の色が虹色に戻る。それでヘルディムは確信した。
「貴様、“黄金”の魔王殺し、エリン・マクレガーか‼」
ヘルディムは正体に気づいた。だが、その名を魔王が口にすることの意味までは思い至らなかった。ルークは汚物を見るように目を眇め、ヘルディムを見下す。
「その汚い口で彼女の名を呼ばないでくれ。虫唾が走る。そして、知ったからには生かしておけない」
「最初から生かすつもりなんてありませんけど。だから、わかるように言ったのでしょう?」
「死ねぇ‼」
エリンとルークの会話を遮り、ヘルディムは我を忘れたように舌を振り乱しながら一心不乱に二人の下に駆ける。しかし、その脚はすぐに止まった。
彼の前に作られた一枚の姿見鏡によって。
「随分と醜い顔をしているな。手もボロボロで、これで君は本当に世界で一番美しいのかい?」
「……醜い。これは誰だ、誰なんだ?」
戸惑い足を止めるヘルディム。その彼の頭上に、黄金の龍の頭が生み出されていた。
「噛み砕け!」
エリンの言葉とともに黄金の龍の顎が開き、ヘルディムを噛み締めながら城の床を砕いていき、首を伸ばすように黄金の軌跡を残しつつ下へ下へと突き進んでいく。
「爆ぜろ」
ルークのその言葉がヘルディムの最期となった。城の地下まで到達した塊は大爆発を起こし、城の真下から巨大な光の柱を生み出した。
この日、一人の魔王がその城とともに姿を消した。
立ち昇る光の柱を空で眺めるエリンとルーク。エリンは抱きかかえられており、光の柱は一切見ずにじっとルークの顔を見つめている。
「もう行ってしまうのですね」
「よくわかったね」
「いつもそうですから。また無茶しているのでしょう?」
「そうだね。でも、今回はそこまで力を使わなかったからマシかな」
そう語るルークの脚は既に黄金の光の粒子に変わり、空に溶け出し始めていた。
「君の方こそ疲れただろう。少し眠りなさい」
「いや。お別れするその時まで、あな、た…を……」
「お休み、エリン。きっとまた会えるから」
眠りに落ちたエリンを抱えながら、ルークは残された力で地上のある地点を目指して降下した。
ヴァンは一人、荷馬車を走らせていた。荷台には眠りこけるエリンと杖に戻ったルグがいる。
あの町での滞在時間は半日未満となってしまった。エリンとルグを回収したヴァンは急いでビリーのところに向かい、すぐに町を出た。
町の中は酷い有様だった。城が爆発した以外には目立った被害はなかったが、町を運営していた魔王の城が消し飛んだとあっては、住民がパニックになるのも当然だった。
追手が来ないか戦々恐々としながらビリーを走らせ、日が沈みすっかり夜になっていた。
「ヴァン、ご苦労だった」
「起きたか」
「ああ。お陰でエリンも無事だ。感謝する」
ルグの素直な感謝を聞いて、ヴァンは得意げに鼻を鳴らした。
「フン。いつぞやとは逆になったな。それで、少しは喜ばせてやったのか?」
「どうだろうか。悲しませたかもしれない。だが、私にはあれくらいしか出来ない」
「歯切れの悪いことを言いやがる。話してやらないのか? 自分が愛しの君だと」
ヴァンはグロリアのことを相談した時に、ルグがエリンに明かしていない秘密を聞いていた。それ以来、二人は腹を割って話す仲になっていた。
「四六時中、体にベタベタと触れている道具が、実は最愛の相手だと言われて君はどう思う?」
「気色悪い」
「そういうことだ」
覇気のないルグの声を聞いて、かつてルグに言われたことを思い出したヴァンは、口角を吊り上げた。
「全く、自分のことになるとこれだ。人のことは悪く言いたくないもんだ」
「男とは、この星で最も情けない生き物の名だ」
「違いない」
ヴァンはルグと語り合いながら、夜通しビリーを走らせた。
荷台で眠るエリンの瞳には、再会を喜んでか別れを悲しんでか、一滴の涙が溜まっていた。




