第10話 悪事から足を洗うと言いますが、手も洗った方が良いのでは? ③
エリンは目の前の男を観察する。背丈は一八〇センチ強。角を含めればプラスで一〇センチほど。手足は細く長い。金髪に緋色の瞳。人のことを言えたものではないが、目立つ容姿をしている。
それらよりも突出しているのが身に纏う濃密な魔力だ。魔力の多寡で魔王の配下の中でどの程度の位置にいるのかおおよそ予想がつくが、この男は魔王の側近クラスの力を持っていると、エリンは目算を立てた。
「フェム、この者はお前の差し金か?」
「い、いえ、私はこんなヤツ知りません!」
「で、あろうな。これがお前の手駒であるなら、我々の要求が通るはずがない」
エリンの後ろから男の声が聞こえた。会話の内容から領主のフェムであるのはわかるが、今は目の前の男から目を放すわけにはいかない。
(この男の魔法は、一撃でわたくしを殺せる……!)
一度見ただけの所感ではあるが、当たればただでは済まないのは間違いない。
そんな凄まじい凶器を持っているはずの男の額には玉のような汗が浮かび、首筋から幾つも水滴が伝い落ちる。
男もまた理解している。目の前に立つ者の素性はわからないが、一瞬の動きとその瞬間に纏った魔力の濃さから、まともに戦っても勝ち目がない相手であろうことを。
ヴァンがそうであったように、優れた使い手であればあるほど、自分と相手の力量差を感じ取る能力が高い。
この時点で、両者は既に格付けを済ませている。エリンが圧倒的な格上。男には一矢報いる手段こそあれ、全体の戦力差を覆せるほどのものではない。
「貴様の目的はなんだ?」
故に男は対話を選択するのだろう。少しでも生き残る可能性が高い方にかけている。
「あなたと領主の関係を断つことです」
「まったく、貴様のような輩が出てくるから侵攻を進言したというのに」
男は奥歯を砕かんばかりに噛み締める。
「一応聞いておくが、私を見逃す気はあるか?」
「ありません。あなたのような人を逃して良い結果になった試しがありませんので」
「そうか」
それは自分自身がそうであったように。魔王に近しい者を見逃すと碌なことにならないと、これまでの歴史が証明している。
「ならば、その命、貰い受けるまで!」
「ま、待ってくだ」
フェムの制止の声を無視して再び男の纏う魔力が増大する。また魔法が来る。エリンはその場に止まらず、男の方に向けて駆け出した。
「侮るな!」
接近するエリンに男が魔法を行使する。見えざる力がエリンへと届く直前、エリンは体を捻り見えないはずの魔法を紙一重で回避した。
「なに⁉」
見えているとしか思えない動きに男が驚愕する。その間にもエリンは男に肉薄していた。
「ハイ!」
エリンなりに気合の籠った掛け声と共に拳が突き出され、力の乗った一撃が男の胸に突き刺さる。それを受けた男の体は微動だにしなかった。
エリンは拳を引き、そのまま数歩後ずさる。引くエリンを追うように男は一歩、二歩と前に踏み出した。が、次の足を踏んだところで膝から崩れ落ち、テラスの床に倒れ伏した。
「フゥー。ひさしぶりですが上手くいきましたね」
「あ、あんた、なんて……」
声のした方に振り返ると、樽のような体型の男、フェムは頭を抱えて床に膝をついた。
「今のはですね、純粋な力とか魔力とかその他諸々をどこにも逃がさずに心臓に叩きつけたのです。どれだけ強靭な心臓でも一撃で破裂したことでしょう」
「なんてことをしてくれたんだ!」
フェムは見るからに焦っている。ビジネスパートナーが殺されたからという訳ではないように見える。顔面蒼白になっていることから、この男が死んだのは余程の問題ということだ。
何をそこまで焦るのかとエリンが問い掛けようとした時、再び魔法の気配を感じ取り、膝を曲げて回避した。
エリンが後ろを振り返ると、口から血を垂れ流した男が膝立ちの姿勢でエリンを睨みつけていた。呼吸は乱れ切っているが、未だその闘志は萎えていない。
「再生能力が高い種族でしたか。少々面倒ですね」
「貴様、なぜ見える?」
「今のわたくしは力の流れに非常に敏感なのです。ちょっとでも歪みがあればわかってしまいます。それが見えない空間の亀裂であっても」
「そこまで見抜かれているか」
男の使う魔法がどういったものであるか、エリンは初撃でおおよそ見抜いていた。あれはほんの一瞬だけ空間を裂いているのだ。
裂け目は認識できない程の早さですぐに閉じるが、一度離れたものは接合する力が加わらない限り裂かれたままになってしまう。
防御も何もかもを無視した絶対切断。それがあの男の魔法だ。
「さて、どうしましょうか。何度か心臓を潰すか、再生を上回る速さで焼き尽せば良いわけですが、どうにも死なれるとマズいようですので、生け捕りにさせて頂きますか」
「やれるものなバァ⁉」
啖呵を切ろうとした男の胸で何かが弾け、口から血が噴き出した。それは先ほどエリンが拳で打った点で起こった。
「申し訳ございませんが、詰みです。わたくし、フェムさんほどではありませんが用心深い者でして、一度で仕留められなかった時のために仕込みもしておきました」
「な、なにがッ!」
「印をつけた場所に魔力を送って、届く時に衝撃に変えているのですよ」
エリンは拳を当てる時に魔力でマーキングを施し、遠隔で魔力を通せる箇所を作っておいた。
やっていることとしては、グロリアへの魔力供給と似ているが、与えるのは魔力でなく衝撃だ。今のエリンはプライマリー・グリーンによって魔力を衝撃に変換できる。男の胸元に魔力を届け直前で衝撃に変換したのだ。
「こんな、もの……!」
「頑張れば剥がせますよ。でも、あなたにその余力がありますか?」
話している間にも男の体は打たれ、地面の上を跳ね続けている。最初の拳の力ほどの衝撃ではないにしろ、耐え続けられるものでもない。
時間が経つにつれ男の動きは緩慢になっていき、遂には仰向けの状態で気を失った。
「終わりましたね。さて、それでは事情を聞かせて貰えますか? フェム様?」
エリンに気圧され、フェムは顔を青くしたまま無言で頷くしかなかった。
エリンたちが起こした騒動の後、警備兵が何人も部屋に突入してきたが、フェム自身で彼らを言いくるめて追い払った。
グロリアがどうなったかはわからないが、おそらく無事だろう。あの程度の高さから落下した程度で死ぬはずもない。
あの騒動の中でフェムの館に戻ってくることは考えづらいので、ヴァンのところに戻っているのかもしれない。
とにかく、今は自分とルグで話を聞くしかない。結局力技になってしまったが、直接話を聞けるのはエリンにとっては潜入よりも気楽だった。
「それで、どうしてそこの男を殺されると困るのですか?」
エリンは縄で縛り上げた男に目線をくれながら問うた。縄にはエリンの魔力が通してあり、そう容易く外すことは出来ない。もしも魔法を使おうものなら、その時は今度こそ命はない。
「彼らは私を脅迫してきたのです。言うことを聞かなければ侵攻を開始すると」
「脅迫ですか。あなたの魔王に報告することは考えなかったのですか?」
想定外の回答が来た。たしかに気絶している男の会話から、そのように受け取れるような内容もあったが、脅迫とは考えてもいなかった。エリンは内心驚きながらも疑問点を一つずつ突いて行く。
「居ればしていました。ですが、魔王様は玉座を離れ、外に向かっていらっしゃる」
「外とはどこですか?」
「この大陸の外でございます。火急の用があるとかで、具体的な理由まではわかりかねます」
魔王が領地を離れるのはかなりの大事だ。そのことが隣国に伝わればいつ侵攻してきてもおかしくない。実際にそれが起こっているのだろう。
「あれ? それですと、あなたは隣国に金品を横流しして法外な利益を得ていたわけではなく、侵攻を防ぐための手段として送っていたと?」
「その通りでございます。私に魔王フランマ様を裏切る意思はございません!」
フランマはこの国の魔王の名か。聞き覚えのある名前だ。自分に覚えがあるということは、少なくとも百年以上は在位している。百年間も代替わりしていないのはそれなりに珍しい。
「ということは、あの男を殺されると困るというのは、交渉を蹴ったことになって侵攻が始まるから?」
「その通りでございます。ですが、こうなってしまっては既に手遅れかと……」
フェムの予想外を連発する答えにエリンは頭を抱えそうになるのを必死に堪えた。
今回の件、完全に余計な手を出してしまった。隣国の魔王がこの国に侵攻する、それで揺すって来ることにそれほど問題はない。そんなものは世の常で、国家間の問題だ。この国の民ですらないエリンが首を突っ込んで良いことではない。
それが今はエリンが暴れたせいで国が動こうとしている。全くの部外者の行いが国の命運を分ける一大事を招いてしまったのだ。
この事態をどう対処すべきか思い悩むエリンの前に、フェムは両膝をついて頭を下げた。
「あなたには彼を倒せるだけの力がある。どうかこの国の為にお力を貸しては頂けませんか!」
自分はあまり目立つことが出来ない状況だ。どうするべきか、思い悩む。
「お願いします! どうか、この通りです!」
床に額を擦り付けて懇願するフェム。彼はエリンに罵倒を浴びせても良い立場にあるというのに、必死に頭を下げている。
おそらく、エリンが何もしなくてもいずれこの国は侵攻を受けることになっていた。早いか遅いかの違いだけ。だが、その時計の針を一気に進めてしまったのはエリンだ。
罪悪感と良心がエリンの心を揺れ動かす。様々な懸念材料を判断の秤に乗せ、エリンが最終的に下した結論は————。
「……わかりました。わたくしに出来る範囲で頑張らせていただきます」
「あ、ありがとうございます!」
ルグが喋れる状況であれば皮肉が飛んできたことは間違いない。
こうして、また余計なものを背負い込んだエリンの新たな戦場が決定した。
「まあ、こういうこともありますよね」




