第9話 悪事から足を洗うと言いますが、手も洗った方が良いのでは? ②
エリンとヴァンがコルダの町に入ってから日が沈みきり夜が深まった頃、エリンとグロリアの二人は町内の高壁を越え、町の中央部へと入り込んでいた。
コルダの町は外壁とは別に、それよりも幾分か背の低い壁が町内に存在する。その壁は町の中央で暮らす領主や側近たちを守るように築かれている。
二人は今、その町の中を移動していた。
「凄い。本当に無尽蔵って感じ。いくらでも魔法が使えそうですよ」
「いえ、わたくしの方こそ、グロリアさんの魔法に助けられてます」
エリンはグロリアの使う人の意識を逸らす魔法によって、その場にいるのに認識されない状態になっている。
それでも誰に見られても絶対に大丈夫とは言えない。勘の鋭い人物や魔力の流れに敏感な人物であれば違和感を抱き、見つけて来るやもしれない。
二人はそういった危険を回避するため、魔法を使ったうえで極力人の目を避けて行動している。目標地点は町の中央に聳える一際大きな建物だ。
時間は少し遡り、昼食後、エリンとヴァンが取った宿の一室。
「この町の領主は結構長いのですよね?」
「ああ。領主の任について五〇年そこそこ。魔王間の戦争に巻き込まれることはなかったし、魔獣の群れに襲われることもなかったから、ずっとあそこで暮らしてるよ」
グロリアの指差す窓の向こうには、一際凝った造りの大きな建築物がある。柱や外壁には意匠が施されており、こだわりを持って造られたのがわかる。
「なんといいますか、如何にもな権力者といった様子ですね」
「あたしもこっちに来て長いわけじゃないけど、見た感じだと絵に描いたような私腹を肥やす権力者だよ。フェム・リンドーアってヤツは」
「わたくしから言えることはありませんが、是正しなければならないのはわかります」
元は王族であったエリンには思うところはあるが、過去に複雑な事情があったにしろ、守ると誓っていた民を手にかけた事実がある以上、フェムという人物に言えることはない。
しかし、不思議なのは話を聞いている限りフェムは権力を使って好き勝手しているように思えるが、民からの反発が見られないことだ。
これまで通って来た村や町も税が高すぎると嘆いている者はいなかったし、領主に対する文句も聞いていない。何かあるのだろうか。
「フェムがどうして他の国に金品を渡しているかはわからないけど、とにかく止めさせないと」
「まずはその辺りの事実確認をしないといけませんね。何かあてがあるのですか?」
「お偉いさんたちが暮らす高等区に見たことのない二本角の男が何度か出入りしてる。どう見てもこっちの国にいる人種じゃないし、そんな奴が要塞みたいな町を作る男の懐に入れるのは不自然だろ?」
たしかに、とエリンも頷く。堅牢な町の造りからしてフェムは警戒心が高く用心深そうだ。
そんな男が招いているのだから、特別な相手だと思うのが自然だ。
「では、その男との会話や手紙のやり取りなどの情報を得れば良いわけですね?」
「そういうこと。それで、あなたは姿を消したり認識を逸らしたり出来る魔法は使える?」
「使えないことはないのですが、わたくしが魔法を使うとどうしても魔力の流れが出来てしまって、見つかりはしなくても魔法を使っているのが看破されてしまうのです」
これがエリンの欠点。大きすぎる魔力によって、どれだけ抑えようとしても周囲に影響を与えてしまい、魔法の痕跡を残してしまう。
魔王やその側近ほどの手練れにはすぐに見破られてしまうのだ。
「ルグ、どうにか出来ないのか?」
「彼女の魔法次第だ。グロリア、君の魔法は?」
ヴァンからルグへ、そしてルグからグロリアへと問い掛けのパスが繋がっていく。
「あ、ああ。認識阻害だよ。それが?」
ルグからの質問に一瞬面食らうグロリアだが、すぐに立て直して答える。まだ喋るローブに慣れていないのがわかる。
「それは他者にもかけることが可能か?」
「出来るけど、長時間は無理。他人にかけると魔力の消費が多くなるんだ」
「それならば問題ない。主人の魔力を君に供給する。それで解決だ」
ルグの発言にグロリアが首を傾げる。グロリアが疑問に思ってしまうほどに、今のルグの言葉は常識外れのものだった。
「え、どうやって? いや、出来たとしても本当に魔力の消費が激しいんだよ? 二人分でも長くは持たない」
「エリン、フードを外してやってくれ。それで全て納得するはずだ」
「本気ですか?」
エリンの問いにヴァンは頷き一つで返す。出会って間ものない相手に素顔を晒すのは抵抗があるが、この後もバレないままで行動するのは難しいとは思う。
どうせバレるならここで自分から明かした方が話が早い。エリンはヴァンの言う通りに頭からフードを外した。
エリンの素顔を見て、グロリアが目を見張る。
「うわ、すっごい美人……て、え? その瞳、それにエリンって……まさか、『魔法使い』⁉」
「そのまさかですが、お静かにかつ内密にお願いします」
「うっそぉー⁉ どこかの山奥でそれらしい人が見つかったって噂で聞いたけど、こんなところで会えるなんて」
エリンが何者か知ったグロリアは、興奮冷めやらぬといった様子でエリンの顔を興味深そうにマジマジと見てくる。
「うわぁ、本当に綺麗な目。何色なんだこれ。この黒い髪も艶々してるし、肌もツルツルでモチモチしてる。どうなってるの?」
「あ、あの、触りすぎ、触りすぎです」
エリンの素顔に魅入られたグロリアが、頬を紅潮させながら髪や体をベタベタと触って来る。
いきなりの接近に耐えきれなくなったエリンは、眼前に迫るグロリアの顔と体を押し退けた。
「ああ、ごめんなさい。あ、なんでヴァンと一緒にいるんですか? デカい男が好みとか?」
「偶然出会って道案内をお願いしているのです。本当にそれだけです。誓って嘘はありません。それよりもルグ、詳しい説明を」
エリンはグロリアからの好奇の視線と余計な追及から逃れる為、話を無理やり戻す。
「エリンは魔力などのエネルギー操作に特化した状態を取ることが出来る。これをプライマリー・グリーンと呼ぶ。この状態であれば他者への魔力供与が可能だ」
「それで伝説の魔法使い様の膨大な魔力量なら消費を余裕でカバー出来るってことですね。なるほどなぁ。あれ、でも、エリンさんが魔法を使ったらマズいんじゃ?」
「プライマリーはあくまで特定の能力に特化させる私独自の機構であって魔法ではない。魔法をエリン自身が扱わない限りは問題ない。ただし、魔力の供給速度は一定以下に保たなければならないだろう」
「ふむふむ、よくわからないけど、とりあえず大丈夫ならそれでいいや。じゃあ、早速今夜実行に移そう」
こうして、エリンとグロリアの潜入作戦は、グロリアの大雑把な計画の下にスタートした。
コルダの町の高等区を行く二人は、誰にも見つかることなくフェムの館の前に着くことが出来た。ここからはより慎重を期する必要がある。
今の状態でドアを開ければ他者からは勝手にドアが開いたように見え、そのことに違和感を抱いた瞬間に認識阻害が機能しなくなる。
一瞬でも注意が集中してしまうと効力を失ってしまうのだ。
そのため、誰かが館の扉を開けたところに滑り込むか、開いている窓から入り込むしかない。
どこか良い場所はないかと二人で探していると、最上階のテラスに付いている大きな窓付きの扉が開いた。
「おお、良い感じのところが開きましたよ」
「自室か貴賓室かわかりませんが、一段と格調高い雰囲気ですね。行きましょう」
二人は窓枠に足をかけ、音を殺しながら壁を駆け上がるように昇っていく。
五階の高さに達し、テラスの柵の縁に手を掛けようとした時だった。
テラスから人間大の何かが落とされた。いや、それは紛れもなく人間の女性だった。
「うぇ⁉」
上からの予想外の落下物に対応しきれず直撃してしまったグロリアは、テラスを目前にして空から突き落とされた。
それとほぼ同時にテラスに手を掛けたエリンの前には、テラスから物を落とした二本角の男の顔があった。エリンと男の視線は完全にぶつかっている。
「……コンバンハ」
「!」
エリンの挨拶に男は魔法で応じた。エリンは魔力の流れから危険を察知し、テラスの縁から体を一気に引き上げ、飛び跳ねるようにしてテラスの中央へと上がる。
エリンがテラスの中央、男はテラスの縁に立つ。エリンを睨みつける男の背後で、エリンがぶら下がっていた部分が切り落とされ、地面に落ちていった。
「これは、やってしまいましたか?」
「相手をキミの土俵に引きずり込む見事な手腕だ。感服する」
「今回はただの不運です。わたくしのせいではありませんよ?」
「あれを見切るか。貴様、何者だ?」
「名乗るほどの者ではございません」
睨み合う両者。潜入は完全に失敗した。ならば、ここから先は力がものを言う。




